外山滋比古教授〜整理学先生〜
郷土の偉人(先生は幡豆の生まれで、現在の
刈谷高校をお出になった方なのですが、
思考の整理学を読むまで愛知県出身とは
知らずにいました。)、外山滋比古先生の
在りし日に執筆された整理学シリーズを
借りては読んでます。
きっかけは、名大生はおろか、東大や京大の
学生達にも今もって読まれている「40歳」の
名著(40歳=刊行されて早40年。)と、生協の
書籍部に割と平積みされてるのを見たからです。
遠い日の記憶にこの本の存在はあったのですが
最初私は、外山滋比古先生と言えば英語の先生
としか思ってなかったのです。
調べると先生は、寄宿舎(寮)があり日頃の
旧制刈谷中学、来年より附属中学が出来る
県立刈谷高校をお出になったあと、現在の
筑波大学の英文科を卒業されて、面白いかな
現役の頃はお茶大(お茶の水女子大学)で
教鞭を執られていました。私が存じ上げる
先生というのはこの頃の話なのです。
現役の大学生時代には何だか読んでも
実感わかなかったのですが、人の親になり
名大に職場として3度目にもなり、勉強に
対する考え方も変化してきました。そこへ
この外山滋比古先生の名著。
プロフィールを見てたまげました。
うちの母方の祖母と同じ、大正12年生まれ。
亡くなったのも、令和2年。
祖母は5月1日生まれ、先生は11月3日。
命日は、祖母が4月10日、先生は7月30日。
大正12年というのは、あの9月1日があった
日です。(関東大震災)つまり1923年生。
令和2年というのは、コロナ騒ぎの事実上
初年度ですね。COVID-19と2019年に見つかった
話ですが、世界共通で振り回され出したのは
2020年です。なので、祖母もですが、
先生も誕生日前に他界されたので96歳まで
生きた人生だと。うちの祖母とは全然違う
タイプなのに、同じ愛知県生まれで、
共通点があるので、とても不思議です。
思考の整理学はもちろん、考えるレッスンや、
他にも忘却の整理学等、よく考えると
不思議な「整理学」シリーズをおまとめで
いらっしゃる先生。
英文科専攻だから頭が文系?と思うのは
ちょっと早とちり過ぎです。
多分筑波大学の前身、東京文理科大で
学ばれたからなのか、「この世の人間の頭の
中には壁がないんだから」という考えで
割と物事をフラットに見ておられた方かな?と
推察しています。
文章が英語のような日本語(←変な言い方して
ご無礼します。いわゆる現在のよく説明する
はっきりした言い方、書き方)で書かれた部分も
あるのですが、大正終わりのお生まれの方の
せいか、古文風に、けれどトゲトゲしくなく
回りくどくない、それでいて分かりやすい。
あの書き方は「外山節」としか言いようがない。
だって、英語はすごいぞ!英国はすごいぞ!
アメリカとはこんなことが違うんだぞ!って
書いてもおかしくないだろうに、分かりやすい
比較や、偏らない対比。過去の記録や事実は
こうだったとか、書くにも言うにも人間は
偏りが出るものだろうと思うのです。
だけど、取り敢えず今日これを書いてる時点で
3冊ほど借りましたが、ホントにどれも偏りが
見事なほど少ないのです。
学者学者してないのも先生のいいところ
でしょうね。何より、東大京大のような旧帝大
ではなく、筑波大学(旧東京文理科大)というのも
渋いポイントかもしれません。
子供達に「筑波大学って結構優秀なんよ?
旧帝大よりも割と自由だしね。あとは昔から
【学群】制がユニークなんよ。医学部とか
芸術学部だけは独立してて、医学群とか
芸術学群ってなってるけど、他の学部は
グループ分けがちょっとアバウトなのさ。」
と言って話していたのです。「変な大学?」
と言うので、変な、じゃなくて、変わってる
ことを当たり前に捉えているのが筑波大学だと
思います。(←落合陽一先生も卒業生で教授です
が、そういう人が行くんだろうなって)
いろんなしがらみや偏りがどうしても
発生してしまう世の中です。しかしながら、
自分の頭で考えるには、やはりコツを
学び、試してみて、自分の方法を編み出す
必要があるんだな、ってこともわかりました。
学びは一生ですね。