ものづくり高専生が中退して起業して休業した話
タイトル通りなのですが、この度起業してちょうど7年目にして会社を休眠させることになりましたので、そこまでのお話を区切りとして書いておこうと思いました。
基本的には多少ぼかしながらざっくり書きますので、何となく見てもらえればいいです。
①高専
まずは最初からということで、学生時代の話からします。
自分は都立高専という当時は大して偏差値も高くなかった学校にそこそこ苦労して入りました。
というのも自分は当時熱烈な学校アンチで、中学校にあまり行っていなかった事で勉強が壊滅していました。
高専を目指してから塾に通わせてもらい何とか合格し、親戚は喜んでくれたし学校の先生からは「お前が高専に合格したと知ったらこれから受験するクラスメイトが動揺するから黙っていろ」とかん口令を出されました。
そんなこんなで入学した高専という学校はとても楽しく、部活や委員会など色々な活動を率先して行いました。
この時始めたロボット競技は後々も人生の軸となります。
まさに高専デビューと言えるくらいエンジョイしていた自分ですが、色んな活動をするうちに必要以上に意識高い系(笑)になっていき、ついに「がっこうやめう!」と言い出してしまいました。
当然大反対を受けるわけですが、必要以上の行動力を手に入れていた自分は驚きの行動に出ます。
②インターン
高専を辞める話をする際に言われるだろうなと思ったことが、「社会の厳しさも知らないくせに」論法でした。
ありきたりではありますが、これを言われたらたしかに社会を知らない自分は立場が弱いし、知らないとわかっている事から目を逸らすのは正しくないと思いました。
なので、以前にインターン紹介で知り合った企業に「学校を辞めるために働かせてくれ」という旨を伝えたところ、紆余曲折ありOKが出ました。
やべぇ事言ってるなと思うかも知れませんが、ちゃんと自分もやべぇ事言ってるなと思っていたので大丈夫です。
逆にこのインターンで自分が全く通用しないようなら素直に学校に戻ろうと決めてました。
インターンが始まってからはその会社にいた設計者の方の補助として働きました。現場でもなんでもやります!という姿勢でしたが、ただでさえ邪魔な学生に得意でもない事をやらせる程暇ではなかったようで、戦力外通告を受けました。やる気だけあってもダメなんだなと学びました。
設計は前述のロボット競技のおかげもあり多少できたのと、設計者の方が3DCADが使えなかったのでそこを自分が補うような分業が意外に上手くハマりました。
めちゃくちゃ厳しい方でしたが、厳しくされるのが大好きな自分はウッキウキで色んな事を学ばせてもらいました。
結局半年間程しかいませんでしたが、個人的には手応えはあったのとツンデレ上司が「調子に乗りそうだから言わなかったけど、お前は優秀だったよ」という捨て台詞を残していった為満足しました。
どうでもいいですけど、この「調子に乗りそうだから褒めない」は自分の周りにいる人の共通認識レベルでみんな思ってるらしいです。なんでや。
③高専中退
インターンで満足した自分は予定通り高専を中退しました。中退と言っても高専で学んだ事やチャレンジしたことは得難いものばかりでしたし、ここまで多くの事を学んで去るのだから実質卒業くらいに思ってました。
事実、高専での経験は今でも自分の糧になっているし、高専に入れて無かったら全く違う人生であったと思います。
とはいえ、辞めた方が良かったかと言われれば卒業したほうがいいに決まってるし、自分は辞めたのにものづくりの仕事にそのまま就けてる珍しい例なので参考にはならないです。
高専は素晴らしい学校だし今でもちょくちょく寄るくらいには大好きです。
④開業
学校を辞めてから社会勉強と称して半年ほどふらふらしてましたが、仕事を探すかと思って就いた職はリラクゼーションサービス業でした。ありていに言えば街中にある60分3000円とかのもみほぐしです。
どうして突然違う分野に行ったのかというと、昔から親戚に「マッサージ上手いよ!プロレベルだよ!」と褒められていたのを真に受けました。
ほんとに上手いなら仕事にしてみたいと思ってチャレンジしてみましたが、結果的には天職でした。
本当に才能があるというのを人生で唯一感じた事で、逆にそれ以降の仕事はセンスないなーと悩んでしまうほどでした。
結局人間関係が悪くなり辞めてしまったのですが、そうで無ければ続けたかったくらい楽しかったです。
その後インターンに行っていた会社から仕事を受けてくれないかと言われ、そこで機械設計の個人事業として開業しました。
ここから機械設計者としてのキャリアが始まります。
⑤3Dプリンター
開業してから間もなく、興味のあった3Dプリンターを初めて購入しました。
買った機種はUP2plusという当時では珍しい買ってすぐに使える性能の3Dプリンターでした。それでも15万円程しましたが。
これが自分にとって衝撃で、ものづくりがとても楽しくなりました。
というのも、自分は趣味ではCNCという加工機械を購入してロボットを製作していましたが、設計は楽しいものの、その後部品を加工機で切り出して後処理をして組立をして…という工程はすこぶる億劫でした。余りに億劫過ぎた結果、自分はいかに加工を簡単にするかを設計の命題にしていた程です。
そこで3Dプリンターという機械は設計さえすればいとも簡単に欲しい部品をすぐに作ってくれる事で手間が掛からないし、その工程を考えなくて済むようになって設計も楽になりました。
自分に必要な機械はこれだ!と思い、3Dプリンターに関する事業をしたいと考えるようになりました。
⑥法人化
開業してから半年ほどで、個人自営業から法人にしました。理由は3Dプリンターに関する事業をしたかったからですが、ほぼノリと勢いでした。会社作ろうと決めてから一週間で作った即席法人です。
当時は法人化から何かが始まるような気がしていましたが、別にそんなことはなくただ法人格という扶養を抱えただけです。今から考えたら若気の至りだなと思いますが、実際22歳と若かったししょうがない気もしますね。
しかも自分は法人化したからバリバリ働こうみたいな殊勝な人間ではないので、マイナスしか無かった気もします。
しかし自分の城ができたという達成感はあったのと、仕事先でも法人化している本気度を買われたりしたことはあったので、得るものがなかったという訳では無いなとは感じてます。
もう一度当時に戻って法人化するかと言われたらしないですが。
会社っていうのは子供と同じで、作るのは簡単でも養うのが結構大変です。しかもおいそれと畳むことも難しい。
しっかり組織化していれば別ですが、自分はずっと一人なので負担はデカいです。
⑦お仕事
肝心のお仕事ですが、機械設計を本業にしつつ金属3Dプリンターを使った研究に携わったりと、色々な経験をしていました。
特に自分も個人ならクライアントも中小がほとんどなので、設計だけじゃなく色々やらなければいけないという都合で割りとオールマイティな仕事を覚えました。
ここは今にも生きている事が多く、苦労をした分の成果もあったと思います。
だいたい5年くらいは下積み期間という感じでした。
⑧電柱事件
起業して5年くらい経った頃に、自分の人生を見つめ直すきっかけになった事件が起こりました。
あまり詳細は言いませんが、とりあえず電柱事件としておきます。
簡単に言うと"電柱を地面に刺す"みたいな仕事だったのですが、納期が無い・人もいない・一緒に働いてた人に背中を刺されるみたいな最悪の現場で、死んだほうがマシという言葉の意味を身を持って理解しました。
これ以降、このままではマズいと思って真面目に今後の仕事を考えることにしました。
特に一人ではできる仕事の規模の限界がすぐに来るので、どこかに勤めるなりしてチームで働く事も意識しだしました。
ちょうどそんな時期に新しい出会いがありました。
⑨ベルト型3Dプリンター
この頃に、自分がかねてより欲しいと思っていたベルトコンベア型という特殊な形状の3Dプリンターが2社からリリースされました。
1社は中国の3Dプリンターメーカーで、もう1社は日本のスタートアップでした。
金額的には中国の方が安かったですが、応援したい気持もあり日本のメーカーの物を購入しました。
それが合同会社BirthTのLeeeという機種で、後々自分の選択を大きく変えることになります。
ここでこの後の話のためにベルトコンベア型の3Dプリンターについてお話しておきます。
従来の3Dプリンターはだいたい箱型になっており電子レンジくらいのスペースに溶かした樹脂を積層して物を作る技術ですが、作るたびに取り出す手間があり、その為だけに側にいなければいけないという点が微妙にめんどくさく感じていました。
ところがベルトコンベア型では機体のベースに文字通りベルトコンベアを搭載しており、造形したものを自動で排出して作り続けてくれるという点が非常に魅力的でした。
前述の通り自分はいかにものづくりに労力を掛けないかという点が大事であったので、この機械はまさに夢の箱と言えるものでした。
しかし、原理的には数年前から開示されているものの、製品化するメーカーが現れなかったのです。
結果的に言えば使えれば楽しい機械ではあるものの、技術的課題がいくつかあり思い通りの機械ではないなという感想でした。
その後開発に関する意見交換のようなものをBirthT側としていましたが、最終的には開発に参加することになりました。
⑩BirthT参加
この頃就職活動的なことをしていたのですが、BirthTがまだフルコミットできるような状態ではなかった事と、平日に動けるメンバーは多い方がいいので自分の会社は続けることにしました。
本業で稼ぎながら、空いた時間でBirthTの開発を行っていました。
とはいっても開発の人材は足りていたので、自分は技術調査や発注・特許取得など開発の周辺業務を主に担っていました。
現在ではこの時開発した技術を使った工業グレード機体のLeeePROがリリースされていますが、当時は技術的に、また物理的にこの技術が完成するのかもわからない状態で、本当に世に無いものを1から開発する大変さを実感しました。
そんなこんなで晴れて自分の目指したベルトコンベア型3Dプリンターができてひと満足といったところですが、たとえいい製品ができても売れないものは売れないというのはハードウェアスタートアップあるあるです。
⑪製品リリース
そんな経緯を経て2023年7月6日に工業グレードのベルトコンベア型3Dプリンター「LeeePRO Mk-Ⅰ」が先行モニター販売でリリースしました。
そこから2ヶ月も経たずにいくつかのメディアに記事にして貰ったり、色んな引き合いが来たりで正直今のリソースでは対応できないくらい忙しくはなってきました。
しかし、すぐにお金になるわけではなく、リリースすれば何とかなるという甘い見通しは晴れて崩れ去ることになるのです。(これもあるある)
とはいえ今まで開発に没頭していただけの身からすると上向きになってきたという実感は間違いなく、「どうすればこのチャンスを逃さずに進めるだろうか」という事を真剣に考えるべきフェーズに入りました。
⑫就職活動
色々考えた結果、まず不安定なBirthTと不安定な自分の会社を続けるのが無理があると結論付けました。
釈迦力に働けば可能だとは思いますが、もう29年も生きてるので自分がそんな真面目な人間ではないことは理解してきます。
安定した仕事に就いた上で稼いだお金をBirthTに投資するのが一番不確定要素が少ないと考え、初めて本気で就職活動を開始しました。
結果から言うと1週間くらいでオファーを頂いてすぐに終わったので、これまで頑張ってきて良かったなと思いました。
しかも面接には半袖短パンで行っても大丈夫だった様なので、自分でも働けそうだと安心しました。
⑬会社休眠
そんな経緯で自分の会社はあるだけめんどくさい為、休眠しました。
休眠を簡単に説明すると、事業を一旦行わない状態にして、その分何もしてないから税金とかは勘弁してね、という制度です。(多少払います)
期を跨ぐとめんどくさい為、期末である8/31を以って休眠しました。
今の一番の関心事であるBirthTの方が軌道に乗ればまたやりますし特に残念だとかいう感情もないですが、7年というと結構長かったなと思います。
この7年は個人的には修行期間だと思っていたので、今後は培った技術や能力を活かして価値に変えていきたいと思っています。
⑭最後に
これだけだとただの思い出なので、一応この7年間の気付きをもって教訓とさせて頂ければと思います。
1.ものづくりが好きな技術者がしょっぱなから起業する意味は薄い。
一番に思いつくのはこれです。理由はいくつかあり
a.ものづくりは経験がものをいう世界なので、必ず必要な下積み時代で苦労する意味はない。
b.チームでこそ大きな仕事ができるので、自分のような一人で色々するマンができる仕事はたかが知れている。
c.事務経理などものづくり以外の仕事が多すぎて面白くない。
などなど、ものづくりが好きならそれに没頭できる環境を目指すのが正解です。
お金が好きなら起業してもいいと思います。
2.正社員最強
曲がりなりにも経営者をするとわかりますが、日本の仕組みは正社員最強です。
社員を守る仕組みはあっても経営者を守る仕組みは無いので、生きるか死ぬかみたいな世界に放り出されるのは分かっておいたほうがいいです。
3.仕事に好き嫌いが無くなった
これはいい事ですが、自分でなんでもやらなきゃいけなくなったので分野外の仕事に対しても臆せずにできるようになりました。
技術者は自分の専門以外をやりたがらないがちですが、本業のメカ設計に限らず営業から組立などの専門外でもしゃーないやるか、と意識は変わりました。それは評価されます。
4.学歴はもう関係ない
自分は高専4年で辞めたから学歴は高卒同程度、という高卒の年齢まではいましたよの意味の一般人が一生聞かないかも知れない学歴ですが、めんどくさい時は辞めたんで中卒ですと言います。
自分は技術者で持ってる技術の内容で売ってるので、学歴で何かが変わるという事もないです。
逆に、多少いい大学の学歴があってもそろそろ通用しない年齢でもあると思います。
5.スキルは大事
これは自分の生き方ですけど、スキルは裏切らないなと。
なんか頑張ってきたものを仕事で役立てるとおのずと評価されるみたいな。
6.技術者は一生勉強
良く言いますけど、これができないといい技術者にはなれないし、なってはいけないと思います。
他の業界は知りませんが、ものづくりの世界で新卒が即戦力とかあるわけないです。
自分は年齢的にはそこそこちゃんとした技術者ですが、何十年のベテランと比べたらカスです。
しかも何十年のベテランも常に勉強してます。勉強する人としない人はまさに天と地の差が出てくるので、それができないならオススメしません。
7.趣味を仕事にすると楽
これは人により意見が分かれると思いますが、自分は趣味の延長で仕事しているのはいいなと感じてます。
理由としては、まず追加で覚えることが少ないです。遊んでればそれが仕事に活かせるので。
一生勉強と言いましたが、ほとんど遊びながら覚えてます。
次に仕事してる感が薄いので、ストレスがあんまり無いです。人間関係はありますが、それは運なので。
あとはいいか悪いかは別として、自分の拘りが反映されます。
それでクオリティが上がることもあるし、無駄に時間がかかることもありますけど。
8.自分をアップデートすることを覚えると人生変わる
人間はえてして自分の領域外のことに前向きになれない事が多いですが、その殻を破って新しい知識に触れたり、新しい出会いをしたり、そういった事に抵抗が無くなるとスムーズに人生を変えられるようになった気がします。
今の自分なら例え別分野に行っても適応してやっていけるんだろうなと思えます。
以上です。
7年間、ここまで頑張ってきたなという気もするし、もっとできただろという気もします。
ただ、自分の送りたい人生の為に選択をして、けもの道を進んできた事だけは誇りたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。