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無意識的な学び
お疲れ様です。
アラフィフで起業を目指しています。
最近街中を歩いていると、2択のキャッチコピーがあまりにも多いことに違和感を覚えました。
電車の中でみたキャッチコピー
働き方を戻すか、進めるか?
このキャッチコピーは、たぶんコロナ前に戻るのか、それとも戻らずに進めていくのかみたいな意味だと思います。
「そのまま」ではダメなのかな?
そう思いませんか?
最近、とにかく常に新しいことに挑戦しなければいけない空気がありますし、何もせずにそのままでいることを悪みたいに感じることも多くなってきました。
誰もが成長しなくてはいけないのか?
そのままでいるということは、言い換えればその場所にいつまでもいること。
もっと飛躍して言えば、何も変わらないということは、成長していないとも言い換えられることがあります。
そのままでいることは、成長していないこと?
これ本当でしょうか?
そんな話をしていたら、名言を思い出しました。
「私のように、年老いた、教育を受けていない、孤児院で育った無学な女でも、まだ1日にひとつぐらい花の名前を新しく覚えることはできる」
素敵な言葉で、私も好きなのですが、これも成長ありきの言葉なのかもしれませんね。
やっぱり一歩ずつでも成長する姿が、世間から見れば美しいのでしょうか?
無意識的な成長もあり
成長って、すごく意識的で前向きな言葉に聞こえるのですが、受け身的な無意識的な成長もありだと思います。
例えば、先ほどの名言。
花の名前を覚えるのって、意識的です。
この花なんだろと思ったら、Googleカメラでかざして検索する。
一方、テレビやYouTubeをぼーっと見ていて、綺麗な花があることを知る。そしてついでに名前も知る。これは無意識的です。
意外に頭の中に長期間残っているのは、無意識的な記憶ではないかと思います。完全な私見です。
意識的に学ぶより、無意識に学ぶ
そんな人生の後半を過ごしたいです。
最後に余談。
2択はあまり好きではないという話をしましたが、ローランドさんの「俺か、俺以外か」は好きです。
これ、2択のようで、2択じゃないですよね。
1対全部って、さすがです。
おわり