「未来への約束」を手放したら
あなたは「未来への約束」をどれくらいしているだろうか。それはどんな約束だろうか。
「死が二人を分つまで」と誓った結婚?
自分の身に何かあったときの保険?
老後の生活を支える年金?
永年保証を謳った権利収入?
きっとみんな色んな「約束」をしていると思う。
今日は私が一つ持っていた、権利収入を手放した話だ。
といっても大した話ではない。ある商品(以下A事業と呼ぶ)の使用料が永年無料という権利で、A事業はこれまでのキャリアと連携するし、これから発展する可能性の高い事業だと思ったので始めた。
事業初期の参入だったので、青写真どおりに進まないのは仕方ないと思っていた。ただ当初の話が次々と変わっていき、その販売元で分裂騒動が起き、結局何がどうなって、これからどう展開していくのかが見えなくなった。
何より、そんな騒動を目撃する中、気づいてしまったのだ。
「永年保証」はあり得ないということに。
考えてみれば、この世の全てはかりそめであり、移りゆくものであり、そうでない方が不自然だ。(それを留めておこうとするならば、膨大なエネルギーを必要とする。)
つまり「未来への約束」はあってないようなもの。そこにしがみついて、大事なエネルギーを費やしてしまうのは違うと思った。
老後の資金を貯めましょうと当たり前のように耳にするが、今を差し置いて、まだ見ぬ未来(老後)にエネルギーを注ぐのも、やっぱり違うんじゃないかと思う。
もちろん未来が保証されているから、今、安心して過ごせるという考え方もあるだろう。私もそんな未来の保証があったら、普通にほしい。
でも、しつこく言うが、この世の全ては移りゆくのが自然なのだ。変化は止められない。だってそれが自然であり、法則だから。
また「人は変化を嫌う」とはよくいったもので、私自身気に入った商品は使い続ける方だし、ルーティンでできることは楽だし、突発事項を面倒くさいと思うことも多い。
でも、その状態に留まろうとすることはできないのだ。だって変化することが自然だから(3回目。しつこい)
何が言いたいのかというと、「変化するのが自然」と知ってさえいれば、何かに執着したり、不安になったり、心配したりすることがなくなり、いま大事にしたいこと、本当に大切にしたいことにエネルギーを注ぐことができるのだということ。
ここでもやっぱり肝心なのは、今、この瞬間。自分。今の気持ち。目の前にいる人。それらの先に、その時点での今、未来があるのだ。
今年4月に成年年齢が18歳に引き下げられたが、さまざまな「未来への約束」という甘い囁きに騙されてしまう人が増えるだろう。未来を夢見るお年頃には「未来への約束」はとてつもなく響く。
そんな危うい彼らに言いたい。それは幻想だよと。夢がないと言われても、伝えたい。
「未来への約束」を一つ手放したら、少し楽になった。心がね。
お金もかかっていたし、どこかで「権利を維持しなければ」と気負ってムダにエネルギーを使っていたみたいだ。そのことに、手放して、初めて気づいた。
「未来への約束」はほどほどに。
してもいいけど、それが守られる保証は一ミリもないと心得るべし。