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【エッセイ】桜見てひまわり思う


雪国というほど近年は雪が降り積もらなくなった石川県ではあるが年間降水量も上位で日照時間は下位なのは今も健在の地に住んでいるから冬は西高東低に従ってこもることが標準デフォルトと刷り込まれている。
もし、この概念が元からなかったとして例えば湘南に生まれていたら風は冷たくても空が青くて日差しが眩しければ防寒対策ばっちりで外へ軽やかに出歩く感覚を僕は持っていただろうか。

そんなことはわからない。
もしもだとか本当に不毛な議論だ。

石川県でも桜が咲き始めた。
今年もやってきた春。冬はもう過ぎたのだ。
まだ朝晩は肌寒く、日中も花冷えだったり、かと思えば少し汗ばむ陽気が数時間つづいたりする。
羽織る季節の変わり目を世の中は春と呼ぶ。

冬眠から目覚めたもぐらのように、僕にも外に出たい衝動が本能的に湧き上がる。
歩くと気持ちがいい。気分がいい。
用はなくても外に出たい。歩きたい。風を吸いたい。
ただ誰かと会う予定があれば言うことはない。
毎日となるとそれは今の僕の生活では難しい。
でもなるべく誰かと会うために努めている。

今日は僕の数少ない作家さんの知り合いが参加しているイベントに赴いた。
毎日何かしらのイベントがあれば人との出会いの機会は増えるんだな、なんて、そんな当たり前のことを考えながら青空を仰ぎ見て歩いていた。

最近ラジオにメッセージを送り始めた。
中学生以来、とてもとても久しぶりにラジオにメッセージを送った。
あの頃はFAXだった。
今はスマホのメールでどこからでも送れる。
ラジコという神アプリもある。
便利な世の中になったものだ。
僕のラジオネームが読まれるとなんともいえなく嬉しい。番組が終わったらラジコでそのくだりを文字におこす。このやり取りすら僕には貴重な繋がりなのだ。社会との繋がり。人との繋がり。
それでも顔を合わせて話が出来れば最高だ。
ギャラリー兼カフェは常にはじめましての芸術に出会える。そこに集うお客さんともご縁があれば話したりもする。そこで家系図のように人物相関図の線が引かれていく。やはり誰かと会わなければ繋がりは広がらない。そんな当たり前のことが今はとても尊い。

僕は今日も歩きながら色々考えていた。
歩いていると創作がはかどる。目に入るものから突拍子もない発想が生まれたりもする。昔のことを思い出したりもする。
今日はふとある曲が湧き上がってきた。
懐かしい思い出の曲だった。

elliott(エリオット)の「ひまわり」という歌だ。
(桜の話をしておきながらひまわりというのもなんだが)

https://youtu.be/Yqmfw2swj8Y?feature=shared


この歌は2001年7月から9月まで放送されていた「フレーフレー人生!」というドラマの主題歌だった。
このタイトルは覚えていた。松下由樹さんが主演で涙を流しながら明るい方へ顔を上げて何かを誓って希望を抱いているようなビデオパッケージの写真も思い出せた。が、内容が思い出せない。
ウィキペディアでも調べてみたがストーリーを読んでもそうだっけ?というレベルでいまいち思い出せなかった。いや、ちゃんと全話観ていたはずなのだ。ただ松下由樹さんががむしゃらに頑張っていたとしか記憶していなかった。
でも、このドラマの主題歌はとにかく強烈に脳に焼き付いていた。
ことあるごとに(とはいっても何年かおきに)思い出して口ずさんでいた歌だった。

ここまで僕にずっとくっついてきた理由は歌詞が当時の僕の悩んでいたことと一致していたことが大きいのだと思う。

このごろじゃ ヒトとの距離にとまどいながら
窓の外の景色さえ見えなくなってた

elliott「ひまわり」より引用

Aメロのこの部分に17歳〜18歳の当時の僕は救われたのでした。
そもそも論だが僕は歌は人を救ってくれると思っている。実体験からそう断言する。
が、僕は自分が人を救う為に詩を書いているつもりもない。そんな奢りは毛頭ない。はなからない。強いていえば自分が救われるから書いているのかもしれない。
でも僕はこの「ひまわり」の歌詞に救われた。

当時高校3年の僕は仲良くなることを感覚にとどめておけばいいものをこだわってどういうことなのかを言葉で納得しないと気が済まなかったのだ。
考えれば考えるほど人との距離感がわからなくなった。
どこまで許されるのか。どこまでという目に見えない線を必死で見ようとしていた。

友達ってなに?

もうそこまで遡ってしまえば平静になどしてはいられなかった。
わからなくて勝手に落ちていった。

そんな時、この歌と出会った。
この歌を聴くためにドラマを観ていたのかもしれない。
「フレーフレー人生!」という身も蓋もないインパクト大のタイトルに集約された僕への応援歌。
内容は覚えておらず。

時代も流れてあの頃の常識も大きく変わった。
僕の人付き合いのアップデートは追いついているのか?いないと思う。むしろ昔の方がコミュニケーション能力は高かったと思う。
どこまで踏み込んでいいのか。どこまでが人懐っこくてどこまでがしつこいのか。綺麗ですねもかっこいいですねもルッキズムにひっかかるのか。髪切った?までアウトなのか…。
あの時ですら距離感に悩んだ僕にこの多様性の社会は吉なのか凶なのか。

僕は積極的に人と関わっていきたい。
インプットを会話でしたい。人とのやり取りで吸収したい。未来をひらきたい。人脈という言葉は計算高くて好きじゃない。人脈ではなく人との繋がりが何よりも欲しい。

フレーフレー自分!










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