タジキスタン・パミール再訪記14 〜ホログ4日目〜
2023年4月28日金曜日。この日は午後にホログを発ち、イシュカシム・ワハーン方面(まずは温泉地として有名なガルムチャシュマまで)に向かう予定、だったが……
ホログ散策(午前中)
朝は韓国人旅行者Wさんと宿の前のカフェ・バラカトで朝食を摂った。朝食後、Wさんはホログを離れ、次の場所へと向かう予定である。宿を出る時、Wさんは宿のおじいさんと記念撮影をしていた。
パミール服を注文
午前中はバーザールを覗き、その後、某知人氏に教えてもらったパミール・プラザのパミール服を売っているお店に行き、パミール服(シュグニー語で「ローク」。ただしこの単語は服を示す普通名詞でもある)を買うことにした。
階段を何階か登ってパミール服が置いてある店を見つけ、店のお姉さんにパミール服が欲しいと言った。
服は女物と子供向けのものが主に飾られていたが、男物もひとつあり、お姉さんに勧められてそれを着てみた。サイズ的にもちょうど良く、それを買うことにした。
服は、生成り系の色で、上着とトーキ(パミール帽)のセット。パミール帽は昨日Gさんにももらったが、それとは色違いなので買うことにした。店のお姉さんにズボンも欲しいと言ったところ、「今から作る、1時間ほどかかるので後で連絡する」とのことだったので、連絡先を伝えていったんパミール・プラザを後にした。
ペーチャクを入手
ズボンができるのを待っている間、パミール・プラザの前のバーザールに再度行って、パミールの女性のお下げ髪を延長する形のアクセサリー「ペーチャク」を買うことにした。
私がペーチャクの存在を初めて知ったのは、前回パミールに来るよりも更に数ヶ月ほど前のことである。その時、このペーチャク(当時は名前も知らなかったが)をネタにしてイラン民謡「シーラーズの娘」の替え歌で「パミールの娘」というものを作ってみよう、と思いつき、その一環(?)としてペーチャクを購入したいと思うようになった。
しかし、前回パミールに来た時は躊躇してしまい、結局購入しないまま帰国してしまった(なお、「ペーチャク」という名称はその時Gさんに一度教えてもらったがすぐ忘れてしまい、帰国後かなり経ってから再度Gさんに教えてもらった)。
そういうわけで、今回は思い切ってペーチャク買うことにした。店番のおばさんに「誰に買うんだ」的なことを聞かれたので、今はいないけどいつか誰かにあげたい、的なことを答え、購入した(50ソモニくらいだったと思う)。
おばさんにペーチャク売り場やペーチャクと自分の写真を撮っていいかと聞くと、最初は私がおばさんの写真を撮りたいのだと思われ、おばさんは「写真に写るのは好きじゃない」と言いながら笑ったが、私を撮ってほしいのだと言うと撮ってくれた。
パミール服を入手
ペーチャクを買った後は、バーザールの横の、今日イシュコシム(ワハーン)方面に向けて出発する予定の乗合タクシー乗り場をうろうろしたりした。
しばらくすると、パミール・プラザのパミール服屋さんからスマホに
「Брюкен таёр чудом. Пе магазинен(ズボンの準備ができました。お店に)」
というシュグニー語のメッセージが来た。
「Қулуғи бисёр! Пе магазинта ядум(ありがとうございます! お店に行きます)」
とシュグニー語で返信し、パミール・プラザのお店に向かった。
パミール・プラザのお店で、お店のお姉さんからズボンを受け取った。上着とズボンとトーケ、合わせて500ソモニだったと思う。
宿に戻り、さっそくパミール服を着てみた。某知人氏に報告の写真を送り、「Very nice」との返信をいただいた。
ホログ出発…?
最後の昼食
ホログ出発前の最後の昼食は、Iさんと宿の近くのウズベキスタン・レストランで食べた。私はこのレストランに来るのは初めて。某看板によると今夜はコンサートがある予定のレストランでもある。
レストランは、今まで私がホログで行った食事処の中ではかなり良かった。私は元々あまり食べ歩かない人間ではあるが、宿の近くなのにどうして今まで来なかったのだろう、と思った。
昼食後、ワハーンには身軽に行きたかったので、荷物のうちのいくらかをIさんに預け、それではまた後日、ということでIさんと別れた。しかし、結果的にこれが大きな問題を招くことになる……
ホログ出発待ち
午後、宿のおじいさんに別れを告げて宿を発ち、バーザールの横のイシュコシム(イシュカーシム、ワハーン)方面行き乗合タクシー乗り場に行った。この日は温泉地として有名なガルムチャシュマまで行き、そこで一泊して翌日イシュカシム・ワハーン方面に行くつもりでいた。
橋を渡ったグント川南側が乗り場だという話も見ていたが、橋を渡った先にいたおじさんに「ガルムチャシュマに行きたい」と言うと、北側に停まっていた乗合タクシーを案内された。
この時間帯はかなり暑かった。出発までの時間、乗合タクシーの周辺をうろうろしていると、ホログ州立大学の学生だという女性二人組に話しかけられた。外国人と英語で話をしてみたいようで、時々シュグニー語を交えつつも英語で話をした。
乗合タクシーにも乗客が集まってきた。車内で話されている言葉はシュグニー語でもタジク語でも無いようだ。おそらくワヒー語だろう、と思った。他の乗客と少し話をすると、やはりワハーン方面から来たとのことだった。
ホログ出発→送還
やがて乗合タクシーは出発した。ホログの街中をしばらく東に走り、州立劇場のところで南に折れてグント川を渡り、西へと向かう。グント川南岸でもしばらく停車して乗客を乗せ、ホログの町を離れてパンジ川に沿って上流(南側)へと向かった。
しかし、ホログを離れてしばらく進み、検問があるのが見ると、不意にビザをIさんに預けていた荷物の中に入れていたことに気付いた。検問所では検問の人からいろいろと詮索をされ、結局検問の車でホログに戻ることになり、好意で荷物を預かってくれていたIさんにも多大な迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない……
夕食
ホログでは、お昼に別れを告げたばかりの宿のおじさんに今夜も泊まることになったと告げ、宿の部屋で意気消沈状態でいた(部屋はそれまで泊まっていた部屋から移って、今朝まで韓国人旅行者Wさんのいた部屋となった)。気分的にも時間的にも、今日はもうホログは発てなかった。
再会
夜になる頃には、気持ちもある程度回復してきた。部屋にいると、不意に宿のおじいさんの孫(?)の男の子が部屋の扉をたたき、私の名前を呼んだ(男の子には私の名前を覚えられていたようだ)。
部屋を出てみると、数日前に別れたTさんがツアーから戻ってきていた。お互いに思いがけない再会を喜んだ。
Tさんとはその後、夕食に行くことにした。場所は、今日の昼食のウズベキスタン・レストランが良かったので、とりあえずそこに行くことにした。今夜は、前日ホログの州立劇場でコンサートをしたグループの音楽イベントをやっているようなので、ひょっとしたら貸し切りではないか、とも思ったが、とりあえず行ってみるだけ行ってみよう、ということになった。
ウズベキスタン・レストラン
ウズベキスタン・レストランは、特に貸し切りということもなく入ることができた。店内の席と屋外の席があったが、店内に入ると音楽に合わせてみんなが踊っており、静かな場所が良いとのTさんの希望で屋外の席に座った。
席の近くの地面にはウォッカの瓶が転がっていた。Tさんは「ビールでも飲みたいっすね」言った。
間もなく店員のお姉さんがやってきて、私はシュルボーを頼んだ。お姉さんに
「タマンド・シャローブ・ヤストー?」(シャローブ(お酒)はありますか?)
と聞いてみたが、シャローブは無いとのことだった。ただし、持ち込みは可とのことだったので、どこかで買ってこようかとTさんに聞いたが、Tさんもそこまでして飲みたいわけではないようで、お酒無しでの夕食となった。
店内から漏れてくる音楽を何となく聞いていると、パミール人の歌手でタジキスタンの歌手としても大御所(多分)のダレール・ナザロフの「Turki Sherozi」と思しき曲が聞こえてきた。歌詞は「シーラーズの佳人(トゥルク)」の通称で知られる有名なハーフェズの詩である。その歌詞がいまいちよく聞き取れないので本当に「Turki Sherozi」か少し自信が無かったが、Tさんに「この曲、多分聞いたことがある」と言った。
ルシャン語
しばらくすると、今度は「Ay mu kabutar」が聞こえてきた。歌詞がルシャン語(一部タジク語)の歌で、今度は間違いなくそれである。
ちょうど、店員のお姉さんが来た。お姉さんに
「マム・ソーズ・リヒェーネヨー?」(この歌はルシャン語ですか?)
訊と訊くと、お姉さんはそうだと言い、さらに自分はルシャン出身で、今はホログで大学生をしていると言った。つまり、このお姉さんは他ならぬルシャン語母語話者なのだ。
まさかルシャン語の歌を聴いている時にルシャン語話者と会話(※但しシュグニー語で)をすることになるとは……
お姉さんに、ルシャン語はこの歌に出てくる「アズム・ジーウジ・タ(私はあなたを愛している)」というフレーズだけ知っている、と話し、お姉さんは「そうそう、それがルシャン語」と応えた。
お姉さんが席を離れると、Tさんが「あのお姉さん、すごく美人っすね」と言った。私はTさんに「あの人はここシュグナーン(ホログ周辺)より一つ北側のルシャンという場所の出身で、ルシャンの人には美人が多いと言われているよ」といった趣旨のことを話した。
ヒジャブ論
Tさんはパミールの女性はすごく美人だと言い、それとともに「ホーログの風紀が心配っすね」と言った。ホログの女性のヒジャブ率が低いことを言っているようだった。
私はTさんに、パミールではタジキスタンの他の地域と違ってイスマーイール派が主要な宗派で、イスマーイール派ではヘジャブは任意だと公式に規定されているからだ、と説明した(但し、単にホログがパミールの中では都会だから、という事情もありそうだという気も後日するようになる)。また、私がパミールに関心を持ったのは、まさにそのイスマーイール派がきっかけだ、といったようなこともTさんに話した。
* * *
ガルムチャシュマ・ワハーン行きに関しては大失態をしてしまったが、思いがけずTさんに再開し、さらにルシャン語の歌を生で聴くことができたのは、慰めになるとともに、貴重な思い出にもなった。
(続き)
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