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タジキスタン・パミール再訪記23 〜クルガンテッパ→ドゥシャンベ→アルマトイ→インチョン→帰国〜

2023年5月7日日曜日。いよいよタジキスタンを離れる日である。


クルガンテッパ→ドゥシャンベ

朝7時頃、お世話になったHさんの家を発ち、町の中心部から乗合タクシーでドゥシャンベ方面に戻った。

体調は昨日よりさらにもう少し改善したようで、クルガンテッパからドゥシャンベへの移動中は、景色を楽しんだり写真を撮ったりする余裕も昨日よりあった。

ドゥシャンベに到着する前、タクシーの運転手さんが目的地まで送ってやると言った(但し別料金)。クルガンテッパ行きタクシー乗り場到着後は、他の乗客が降りた後、そのタクシーにそのままホテルまで送ってもらった。

ホテルに戻ると、受付のお兄さんは、昨日私が帰ってきていないことを把握していたかどうかは不明だが、「無事帰ってきたか」といったような笑顔だった。

朝のクルガンテッパ。時刻は7時半頃。
ドゥシャンベへの道は、クルガンテッパ周辺の一部のみ未舗装
クルガンテッパ→ドゥシャンベ間にて
クルガンテッパ→ドゥシャンベ間にて
のどかな光景
ドゥシャンベの入り口の門。門の上には「ХУШ ОМАДЕД」(ようこそ)と書かれていた。
パミール行きタクシー乗り場(の横の宿)に到着。時刻は9時頃。

さらばタジキスタン

しばらく部屋(ドミトリー)で休んだ後、チェックアウトをし、タクシーで空港へと向かった。

空港では、来る時はドゥシャンベにいなかった知人がこの日ドゥシャンベに来ることになっていて、順調に行けば飛行機の時刻に間に合いそうなので、最後に会えたら会おう、ということにしていた。しかし、車が遅れていると連絡があり、空港でのチェックイン手続き後しばらく待っていたが間に合いそうになく、結局今回は会うことはできなかった。

10時過ぎに宿を後にする

お金を無心される その4

出国すべく空港の2階に登ると、出国審査の手前のセキュリティーチェックのお姉さん2人組が、持っているお金を見せろと言ってきた。

お金を出すと、私がお金をたくさん持っている、お金は持ち出せないと言い、ロシア語で

「プローハ、オーチン・プローハ(悪い、とても悪い)」

と言った(他のやりとりは基本的にタジク語でしていたが、このフレーズだけ何故かロシア語で言っていた)。

そうなのか? でも2000ドル以下は問題無いと見たような? 急に何か変わったのかな? と思っていると、お姉さん2人組はソモニの硬貨とお札を取り上げ、放免となった。最後にお姉さんの一人に「タジキスタンにまた来たいか?」と聞かれたので、普通に「はい、また来たいです」と答えた。

お金を無心されたことに気付く

しばらくはそんなものかと思っていたが、出国審査を終えて更にだいぶ経ってから、ようやくこれが「ゆすり・たかり」の一種だと気付いた。

タジキスタン国境での正規職員による「ゆすり・たかり」的な金銭要求は、陸路での出国時には高確率で遭遇するという話を見たことがあった。しかし、今回は空路であり、また同じく空路だった前回は遭遇しなかったので、そういうことが発生するという発想が無かった。けれども実際は、どうやら空路でも、人のいない時間帯を見計らって行くと「ゆすり・たかり」に遭遇できるようである。

ドゥシャンベの出発待ちロビーには、他の国ならあるであろうお土産屋的なものが無い。なので、「ゆすり・たかり」は旅行者から最後に金を巻き上げるための貴重な手段なのかもしれない。いずれにせよ、かつて旧ソ連圏名物だった、正規職員(典型的にはホンモノの警察)による旅行者に対するカツアゲ、という伝統は、ここでは今なお息づいているようである。

ところで、巻き上げられるお金の額は、こちらがゴネれば低額で済む、あるいは払わなくて済むという説も見たことがある。なので、今度遭遇した時は

「カムタラズ・ド・ハゾール・ドッラル、ムシュキリー・ネースト!(2000ドル以下、問題無し!)」

とでも言ってゴネるのを試してみよう、とも思った(※結果がどうなるかは知りません。あくまで自己責任で……)。

そのようなことを考えたりしつつ、飛行機はドゥシャンベからカザフスタンのアルマトイへと飛んでいった。

ドゥシャンベ国際空港を発つ。時刻は午後1時半頃。
飛行機は標高を上げていく(私のスマホのカメラは、どうも飛行機からの写真がくすんだ色に補正されてしまう。。。)
眼下にパミール方面(多分)の山々を望む。また来たい。
午後2時半頃、機内食。
機内食と同時刻頃、眼下に湖が見えた。ウズベキスタンとキルギスの国境にあるアンディジャン・ダムというダムのダム湖の模様。
キルギスのどこか
アルマトイ上空。地上が近付いてきた。
アルマトイ着陸

アルマトイ

アルマトイでは時間がかなりあるので、バスで市内に出て観光をしたり夕食を食べたりすることにした。行きで買ったSIMが使えるので(帰りに使うことを見越して買ったので)、ネット環境には不自由しない。

アルマトイの中心部は、きれいな町並みだと思った。観光名所としては正教会の教会があるようなので見に行った。

2週間ぶりのアルマトイ国際空港
バスの車内から見えた線路。行きにアルマトイに寄った時にバスを降りたところの近くだと思う。
アルマトイ中心部付近と思しき場所でバスを降りる。このあたりに来るのは初めて。
アルマトイの通り
アルマトイのトロリーバス
ゼンコフ大聖堂
別の角度から
ゼンコフ大聖堂のある公園の入り口付近にあった、独ソ戦関係のエンブレム(独ソ戦はソ連では「大祖国戦争」だが、本校執筆中に改めて見てみると、「大」の無い「祖国戦争」と書かれている。「祖国戦争」はナポレオン戦争ロシア戦役のロシア側の呼称だが、独ソ戦についても「大」を省いて「祖国戦争」と言うことがあるのか?)
公園入り口の独ソ戦関係のモニュメント類。奥にゼンコフ大聖堂が見える。

夕食

食事はいろいろ悩んだ末にGoogleで評価が高めっぽいところに入った。

しかし、目星をつけていたカザフスタンオリジナルっぽいものを学食形式のカウンターで注文すると、品切だと言われた。咄嗟に別に欲しい物を選んで注文できるロシア語力もなく、とりあえず目にとまった範囲内で食べられそうなサリャンカ(単品)を注文した。

サリャンカ単品では少々エネルギーが少ない気がした。パンもたのもうかと思ったが、結局サリャンカだけにしてしまった。

アルマトイで食べたサリャンカ。なお、サリャンカはウクライナ料理だが、私がそのことを知ったのは帰国後かなり経ってから。私は長年ウクライナ語を勉強しているが(※ただしこの時点では長期放置状態)、例によって料理事情には疎い……

空港帰還

食事の後、空港に戻るバスのバス停に行く途中の道にモスクがあるようだったので、そこも立ち寄ってみた。

予定のバス停の近くで、夕食を食べたお店と同じ看板のお店を見かけた。いろいろな悩んだ末に決めたお店だが、このお店自体はチェーン店で、アルマトイ市内のあちこちにあるようだった。ここだとひょっとすると、夕食のお店では品切れだったカザフスタンオリジナルっぽい料理もあるかもしれないな、と特に根拠もなく思った。

食堂からモスクに向かう途中にあった青物市場。カザフ語の「КӨК」の正確な意味は知らないが、私のチュルク語の知識の限りでは「青」系統の意味のはずである。ロシア語の「ЗЕЛЕНЫЙ БАЗАР」の直訳は「緑物市場」となっているが、カザフ語の「КӨК БАЗАР」の直訳はひょっとすると日本語と同じ「青物市場」かもしれない。
夕暮れのアルマトイ
アルマトイ中央モスク
モスクの横の広場より
夕食を食べたのと同じチェーン店
バス停にて
空港に帰還

アルマトイ→インチョン→帰国

インチョン行きの飛行機はアルマトイを深夜に出発し、翌朝インチョンに到着した。

インチョンでも乗り換え時間がある程度あったので、空港の前を少し歩いてみた。

インチョンから福岡に向かう飛行機は、福岡で南側に大きく回り込んで空港に到着した。福岡からは新幹線で地元の駅に行き、夕食にお好み焼きを食べて帰宅した。

アルマトイを発つ。離陸は午前1時頃。
中国のどこかの上空
インチョン到着前。奥の陸地は江華島か?
インチョン交際空港内にて。ハングルの紹介的なもの。
昼食は韓国料理(料理名忘れた^^;)
空港の近くを少しだけ歩いてみた
福岡行きの飛行機
釜山上空(多分)
西戸崎・海の中道のあたり。そろそろ着陸。
空港には南側からアプローチした。本校執筆中に調べたところによると、中央の駅は西鉄白木原駅で、2022年に高架化された模様。
福岡空港到着
博多駅から新幹線ji
地元の駅でお好み焼き

旅を終えて

前年に続いて2度目となるタジキスタン・パミール旅行も無事終わった。厳密には、前回は帰ってきてからも無事ではなかったのだが、今回は終盤体調を崩してしまったものの、日本帰国時には概ね回復していた。

今回の旅でも、現地の知人におおいにお世話になった。私の旅を支えてくれた彼ら彼女らに感謝の限りである。また、私の不手際からおおいに迷惑もかけてしまった。お詫びをしてもしきれない気持ちである。

前回の旅ではホログのみの滞在だったが、今回はワハーン、ムルガブにも行くことができ、パミール以外でもクルガンテッパに行くことができた。ホログでもそれなりにゆっくりとすることができ、私の最大の目的である「世界最大のイスマーイール派コミュニティーであるパミールの人々の日常を感じたい」という点についても、まだまだ表面的なところでさえ不十分だが、多少は経験を積むことができたかもしれない。

言語も、シュグニー語のほかにワヒー語も少しだけだが使うことができた。シュグニー語も、私の実力はまだまだ全然だが、いろいろな場面で使うことができた。タジク語でのコミュニケーションも、それなりにできたと思う。さらに、ブルシャスキー語も一言だけだか使う機会が持て、ロシア語、韓国語も片言ながら使う機会があり、日本語で話す機会もあった。

今回の旅では、いろいろな場所に行き、いろいろなものを見て、いろいろな言葉でいろいろな人と話をすることができた。しかし、私が触れることができたのは、パミールのごく一部に過ぎない。ホログ以外は滞在時間も短かったし、ホログの中でも行けなかった場所はある。もちろんパミール以外のタジキスタンは行っていないところだらけである。パミールとは何か、ということを理解するには、パミール以外のタジキスタンを知っておくことも必要だろう。パミール関係を抜きにしても、それぞれの場所にはそれぞれの魅力があるはずである。

前回の旅と同じ感想になるが、私の人生の中で、パミールへの旅はまだまだ始まったばかりである。今後とも、パミールの言語や文化、その他いろいろなことを学びつつ、時間やお金の許す限り、現地にも足繁く通いたい。

パミールの自然、町や村々をまた見たい。そして、パミールの人々とまた会いたい。

(おわり)

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