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タジキスタン・パミール旅行記15 〜ホログ5日目 病院再訪〜

ホログ4日目は、病院に行って診察を受け、その後薬を購入した。翌日はホログからドゥシャンベに戻る予定だったが、体調は相変わらず悪いため、もう一日ホログに滞在して休養することにした。

一方、飛行機は明後日なので、それまでに回復した状態でドゥシャンベにいなければならない。宿の部屋の中とはいえホログに1日余分に滞在できて少し嬉しいという気持ちがある一方、回復しなかった場合に飛行機をどうすべきかという不安も大きく気が休まらない。

(前回の話および記事一覧)

再び病院へ

2022年8月17日水曜日。

朝食は宿前のカフェでカーシャ(ロシア語で「おかゆ」)を注文した。食べきることはできなかったが、割と食べやすかった。午前中の遅い時間に、タンゲン(マルシュルートカ)に乗って病院へと向かった。

病院到着後は、受付でしばらく待った。周囲を見回すと、壁に病院内の案内等がタジク語で書かれているのに気付いた。一方で、病院内では先生も来院者も話しているのはシュグニー語で、昨日もらった処方箋(?)はロシア語、その紙に元々プリントされていた病院名や項目名は英語である。ホログを巡る言語事情的なものを改めて感じた気がした。

病気の原因?

受付で待っていると、2日前にお世話になったRさんから電話があり、体調が悪いそうだが大丈夫か、いったい何があったんだ、と気をかけてくれた。

私は、一体何なのかはわからないが体調が悪い、といったん答えたが、その直後に体調を崩した原因の候補のひとつが思い浮かんだ。

数日前、私はホテルで水道水を電気ポットでいったん沸騰させ、それを冷ましてから日本から持参したポカリスエットの素を入れたペットボトルに注ぎ、宿内および出歩く時用の飲み物にしていた。

しかし、思い返してみると、電気ポットの中のお湯が冷めるのがやたら早かった気がする。電気ポットが「沸騰」の合図と思しきものをした直後は確認していないが、その後念のためコードをコンセントから抜いてしばらく経った時には、予想以上にお湯が冷めていた気がする。ホテルの部屋の蛇口からはお湯も出ていたが、そのお湯よりぬるいくらいだったかもしれない。

ひょっとすると、これはそもそも電気ポットがお湯を沸かしていなかったのではないだろうか? そういえば、お湯を「冷ました」時、ポットのほうはまだかなり熱いのに中の水はそれより「冷えて」いたような気もする。電気ポットが正常に動作していたならその温度勾配にはならないような気がする。

だとすると、私が煮沸水だと思って飲んでいたのは、実際には生水で、生水を飲んだことが原因で体調を崩したのではないだろうか? しかも、単なる生水ではなく、ポカリスエットの素という栄養分を入れてそれなりに暑い日中をそれなりの時間放置していたものである。中ではいろいろと繁殖していそうである――。

そんなストーリーが頭の中に一瞬で思い浮かび、これが体調不良の原因でまず間違い無いような気がした。とっさに、Rさんに「Boiled waterを作ったつもりだったがUnboiled waterを飲んでしまったかもしれない」と話した。電話越しのRさんは、多少呆れているようだったかもしれない。

それにしても、全くうかつだった、と思った。ホテルでお湯を沸かそうとしていた時も、何かおかしいと思っていた気はするが、お湯が実際に湧いていたかを確認しようという発想にまでは至らなかった。宿も移ってしまったので、改めて確認することもできない。

また、たかが生水と言っても安心はできない。仮に、何か非常に危険な微生物的なものが混ざっていたとしたら、命にかかわる可能性も皆無ではない。自分は生きていられるのか、少し不安になった。

真の原因?

なお、体調不良の実際の理由については、本当に件の「水」が原因なのかどうかは不明である。

一般に生水は危険とされているタジキスタンだが、ホログはそんなに危険ではない、という話も後に聞いた。

コロナ規制絡みで無事帰国できるかという精神的なストレスが体調に影響を及ぼした可能性もあるし、パミールでは低いほうとはいえ西日本最高峰より高い2000m強というホログの標高によって高山病的な何かにやられたのかもしれない。

一方で、高温で栄養分豊富なペットボトルというものもなかなか危険な気はするので、やっぱり「水」が真の原因、という可能性も高いかもしれない。

薬の説明

病院では、昨日診察の終盤を対応して薬を出してくれた先生が対応してくれた。昨日は「明日もう一度来るように」と言われていた気がしたが、私の勘違いか聞き間違いか、特に来る必要は無かったようである。

先生から何か聞きたいことはあるか、との聞かれたので、例のフラシリンのの使い方を聞こうとしたが、フラシリン以外を含めたすべての薬の使い方を教えてくれた。また、各々の薬のラベルのキリル文字を英字に翻字して書いてくれた。キリル文字は読めると伝えたが、うまく伝わらなかったのか、敢えてサービスで書いてくれたのかは不明である(なお、例によって達筆なので、私の筆記体読解力ではキリル文字のラベルの助け無しには解読困難だったかもしれない)。

フラシリンについては、容器にニードル等で穴を開け、余った分は別の容器に保存しておけば良い、とのことだった。

お世話になった「Aga Khan Medical Centre」。二日目の帰り際に、ようやく写真を撮るだけの心の余裕が生まれた。
「Aga Khan Medical Centre」の敷地内から出口方面を望む

食堂とマントゥ

病院を後にした後は、宿までタンゲンで戻った。体調は若干好転しているようであり、また回復のためには水や食料も必要であろうから、少し出歩くことにした。

宿の前の吊橋を渡ってしばらく歩いたところのスーパーで水を購入。宿への戻り道でオーシホーナ(Ошхона=タジク語で「食堂」)のひとつに入った。

オーシホーナとは直訳すれば「オーシの家」であり、また食堂の前にメニューだかメニューではない装飾だかでオーシ(ポロウ)の写真があったので、少し重いかなと思いつつもオーシを食べようと思っていた。しかし、あまり広くないお店の席に座って店のお姉さんにオーシを注文しようとすると、オーシは無いとのことだった。

メニューは置いていないようなので、何があるか聞こうと店のお姉さんにシュグニー語で

「タマンド・チーズ・ヤストー?(あなたのところには何がありますか?)」

と質問したが、直後に語尾に「オー」を付けない「タマンド・チーズ・ヤスト?」が正しい表現だということに気付いた(シュグニー語では、事実関係を問う場合は最後に「オー」を付けて疑問文とするが、疑問詞を使う疑問文では「オー」は付かない)。もっとも、この程度の間違いなら意思疎通には問題はなく、お姉さんは今あるメニューを教えてくれた。自分一人、間違った表現を使ってしまったと心の中でしばらく悶々とした。

食堂では、マントゥを注文した。お姉さんの言ったメニューの中で聞き取れたのがマントゥだけだったとか、そもそもポロウとマントゥ以外のタジク料理の名前を把握していないといった事情もあるが、私がパミールに具体的に興味を持つきっかけになったBさんから以前マントゥの話を聞いたことがあり、パミール料理というわけではないかもしれないが現地で食べたいと思っていた食べ物でもあった。

マントゥは3個出たが、2個半ほど食べることができた。食欲不振の最中であったが、今回タジキスタン国内で食べたタジク料理の中ではこの時のマントゥが一番おいしかった気がする。

宿からグント川の吊橋を渡ってしばらく歩いたところ。正面の建物一階がスーパーになっており、そこで水を購入。このスーパーはホログ滞在中の主な買い出し先のひとつだった。
昼食を食べたオーシホーナ(食堂)の近くにて。写真の正面の建物もオーシホーナだが、そこではなく右奥の道(※宿方面への道)を少し行ったところにあるオーシホーナで昼食を食べた。どちらがおいしいのかは片方しか食べていないので不明。
オーシホーナで食べたマントゥ(右)

宿にて

宿に戻ってからは、時として部屋のベッドに横になり、窓から見える宿の裏にそびえる山をぼんやりと眺めたり、どこかかから聞こえてくる子供たちの遊び声に耳を傾けたりもした。しかし、宿での時間の大半は、ベッドから半分身を起こしてスマホをいじくり、航空機の変更やキャンセルについて日本語情報を非効率に探り続ける、ということに費やしてしまった。

そんな中でも、RさんやNさんが心配してメッセージを送ってくれた。ただただ感謝である。RさんとNさんは、いずれも「Boiled Water」を飲むことを勧めてくれたが、今の宿にお湯を沸かせる施設は無さそうで、アドバイスを十分に活かせなかった。申し訳ない……

ドゥシャンベのAさんも、明日の車をどうすれば良いか相談に乗ってくれ、夜にAさんのほうから再度連絡をしてくれることになった。ただし、この日はその後Aさんからの連絡は無かった。

結局、9時過ぎ頃まで宿でごろごろし、それから宿前のカフェに夕食に行った。シャウルマを注文してみたがほとんど食べることができず持ち帰り、宿で食べようと試みるもやはりほとんど食べることができなかった。

件のフラシリンは、ニードルは無かったが爪切りを持ってきていたのでそれで容器に切れ目を入れ、空いたペットボトルに移して使うことができた。

(続き)

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