苦しみの原因は”私”だった 〜無(最高の状態)〜
「人はなんで苦しむんだろう?」ということについて以前の記事で書きました.
そもそも,「苦しみってなんだろう?」,「苦しみの原因って何?」ってことについて学んだのでシェアしたいと思います.
学んだのは「無(最高の状態)」からです.
苦しみとは?
苦しみってどんなときにかんじますか?
僕はこんなときに,苦しみを感じます.
先生に怒られたとき
次のプレゼンについて考えたとき
プレゼンで質疑にうまく答えられなかったとき
これらの苦しみの共通点は何でしょうか?
それは,自分のニーズが満たされていないときに感じるということです.
そして,このニーズが満たされていないという感覚を知らせるために苦しみがあるとのことです.
先生に怒られたとき → 自分が否定されたような感覚(悲しみ)
次のプレゼンについて考えたとき → 良くないものが近づいているような感覚(不安)
プレゼンでうまく答えられなかったとき → 自分のイメージが崩れたような感覚(恥)
実は苦しみにも役割があったみたいですね.
苦しみの原因
じゃあ,この苦しみって何が原因なんでしょうか?
それは自己(私という実感)だと,本書では述べられています.
なぜ,自己が苦しみの原因なんでしょうか?
例えば,先生に怒られたときを例に考えてみましょう.
怒られたときに,大脳辺縁系を刺激し,数秒で全身にネガティブな感情が走ります.
ここで,終わればまだいいんですが,さらに自己が反応します.
”私”が怒られるのは理不尽だ
”私”が何をしたっていうんだ
”私”は悪くない.アイツのせいだ
こんなふうに自己(私)を中心に脳が勝手に物語をつくり,更に苦しんでしまうんです.
さらに,自己を中心に思考が過去や未来に広がると,もう手がつけられなくなります.
”私”は前にも似たようなことで怒られたな
”私”は今後どうやって先生と接したらいいんだろう?
”私”がまた怒られるんじゃないだろうか?
先生に怒られたという事実から,自己が暴走して,苦しみが生まれる.
どうやら,私達を苦しめていたのは自己(私という実感)だったようです.
じゃあ,その自己を止めることができれば,苦しみもなくせそうですよね.
でも,それって可能なんでしょうか?
本書では自己を無くす方法について書かれています.
次回は自己について書いていきたいと思います.
終わりに
苦しみって進化の過程で生まれたから仕方のないもの.
そんなふうに思っていたんですが,私達の足りないものを気づかせてくれる役割もあったんですね.
苦しみって意外に憎めないやつかも?
なんて思ったりしました.