ピアジェとモンテッソーリ
アメリカの大学院で、構成論を学んだ。私が学んだ「構成論」は、ピアジェ理論から派生して、”子どもは、知識を教えられて覚えていくのでなく、頭の中で物事を関係づけて、知識を構成していく”という考え方。だから、教科書やテキストは必要ではなく、子どもに考えるきっかけを与えることが大切。例えば、1+1=2 を考える時、実際のものを使って考えたら、子どもが自ずから数の概念を構成していく。もちろん、数字の1は日本語では”イチ”と言う、等の社会的知識は教える必要はあるけれど。
サンドイッチを作るとき、どんなものを挟んだらいいか、挟む材料はどこで手に入るか、挟む順番はどうするか、三角に切るにはどうするか、四角に切るにはどうするか、どうやったら衛生的にきれいな状態で作れるか、等々、色々なことを考える。子どもが小さいときは、ただ挟むだけかもしれない。だんだんただ挟むだけでなく、切ったり、卵を茹でたりという活動も加わってくる。これは、子どもが色々なことを関係づけれるようになっていくプロセスと言える。
大人の役割は、子どもが自分で色々なことを関係づけて、知識を構成していけるような環境を整えること。
モンテッソーリ教育においても、同じことが言える。ただ違うのは、モンテッソーリ教育では、子どもが知識を構成していくための教具が開発されている、ということ。”number rods(数の棒)"は、数の概念を構成するために作られた教具の一つ。子どもたちは、それぞれの教具をマスターして行く度に、自ずから知識を構成していく。
ピアジェもモンテッソーリも、目指すところは、同じである。知識は、教え込まれて記憶して、増やしていくものではなく、自ずから環境に働きかけて、関係づけて構成していくもの。
モンテッソーリ教育では、教師は教具のやり方を子どもに示すが、知識を教えることはない。それは、子ども自身の自己教育力にかかっている。そして、教師は、子どもの自己教育力を信じ、子どもが次の知識を構成するチャンスを見逃さず、その子どもに必要な教具を提示する。
そして、ピアジェとモンテッソーリの、子どもが自ら知識を構成していくという考え方は、その子どもが大人になっても、続いていく。人から言われて動くのでなく、自分からその時々に必要なことを考えて動ける大人へと成長していく。
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