専門看護師の私が考える、これからのこと
つい最近、stand.fmのラジオにゲストとして参加させていただきました。
自分らしい最期とは
看取りの機会もある看護師は、自分の最後についてどう考えるのか...
私自身、興味深い内容でした。
もしお時間ある方は耳をお貸しください。
自分らしい最期について聞かれた時、私は実をいうとそれほどない、と感じることができました。
私はただ、最期に信頼できる医師や看護師がそばにいたり、大切なひとが大切にしてくれた、そう思えるだけで、自分らしい、周りに恵まれた最期が迎えられるのではないか、と今は考えています。
そんな自分のこともまだわかっていないような私が、今後やっていきたいことをいくつか挙げていきたいと思います。
最初に言っておきますと、これは私の自身の思考の整理でもあり、一部読みにくい部分がありますことをご了承ください。
ACPを病院の外でもやっていきたい
みなさんはACPという言葉を聞いたことがありますか?
Advance Care Planningの略で、厚生労働省は「人生会議」と銘打って推進しています。
これは自分の人生、療養や治療に関することも含めて、どのようにしていきたいかということを考えていくプロセスです。つまり決定事項が重要なのではなく、いつでも、何度でもアップデートできる、そういうものです。
似たような言葉に、事前指示書(Advanced Directive)、リビングウィルなどありますが、これらは「何かがあったときの指示書」であって決定事項を示したものになります。
ACPと何が違うかというと、ADやリヴィングウィルは決定しているものなので、結論を持っているだけだと、複雑な状況下では対応が難しいという難点があります。
例えば、「私、あきは、何かあっても人工呼吸器をつけないでください」という治療に関する指示書を作成したとします。これは治療が難しくなった場合やもう限界が来た時をイメージして書いていますが、例えば、明日私がちょっとした肺炎を拗らせて、突然呼吸が苦しくなり病院に運ばれて(人工呼吸器が必要な状態)と医師から言われたとします。(なんだか縁起悪くてたとえやだな。)
でも、私が前述した「私、あきは、何かあっても人工呼吸器をつけないでください」という指示書を持っていたら使わない場合もあるわけです。まあもちろん可逆的な状態で、若いし肺炎治るし、ひとまず人工呼吸器つけたらいいじゃない。ということになるんでしょうけど。
というわけで私の事前指示書はここでは微妙に効力なんて働かないのです。
アメリカやヨーロッパなど、個人の意思が強く優先される国であれば、本人の書いた意思は重要視されます。たとえ家族がこうして欲しい、生きていて欲しいと望んだとしても、本人が望んでいないからしません、とわかりやすいようです。
日本は集団を重んじる、家族を重んじる背景があるので、やはり個人の意思が尊重されるようにはなってきましたが、それでも法的拘束力はないです。
なので、事前指示書のように決め事をしておくこともある種大事ではあるのですが、ここでは、その決定事項をどのように決めたのかのプロセスを誰かと共有しておくことの方が、如何様にも応用が効くのです。
だからプロセスを大切にして欲しい。
私だったら、「(一度装着したら外すのが難しいくらい病状が悪化しているならば)人工呼吸器はつけないでください」という指示書に至るのに、苦しい様子を大切な家族に見せたくない、家族が近寄りがたい風貌になりたくない、穏やかに慣れた場所で過ごしたい、などそんな理由があったりします。
是非そのプロセスを誰かと共有することをしてみて欲しい
だけど突然自分の過ごし方やこうしたいということを家族や仲の良い友人と話すのは難しい、恥ずかしい、縁起でもない、抵抗感がある人も多いと思います。
だからこそ、私は意思決定支援としてそこに入っていきたいのです。
今病院でやっていることを、病院外でまさに今生活している方々の意思決定支援をしていきたいなと思っています。
専門看護師として病院の中でできることと今後の立ち位置
今私は病院勤務で10年が経とうとしています。
専門看護師として臨床家でありたい。実践していたい、そんな思いがあります。
一方で、役割として教育や研究などもあります。
必然的に、病院内でのキャリアについては考えさせられる瞬間もあります。
主任や副師長、師長などそれぞれの部署に配置されている管理職ですが、病院としては専門看護師や認定看護師などスペシャリストにも管理を学んでもらい、組織や病院に還元して欲しい、そう思うのは自然かもしれません。
私も例に漏れず、ありがたいことに初級管理者として新たな役割を得ました。
専門看護師同士で会話に出てくるのは、スペシャリストは管理者になるべきなのかどうなのか、です。
スタッフとして専門看護師を名乗っていても現場にはいられるし、いちスタッフとしての意見を上司に述べることができます。
そして看護の質の保持や向上のためにスタッフへ伝えられることは現実可能な部分で共有できる、そんな強みがあります。
一方で、管理者となると、管理的側面での捉え方も増え、一見スタッフに過負荷となるようなことも組織としてどう動くかという大きい枠組みの中で考えると板挟みとなるケースもあります。
だから専門看護師の先輩でも、副師長や師長をやった方で、看護に関われないことに葛藤を感じて管理職を降りるケースもあるようです。
これは周囲の環境や求めるものなどによっても随分と異なってくるのだと思いますが。
私が29歳で専門看護師になった時、自分のいる組織においてのキャリアはどこを目指そうか考えた時期がありました。
実践はしていたい、でもスタッフ目線も持っていたい、でも発言権は大切にしたい、そう思った時に自分にとっての天井は「副師長」(部署におけるナンバー2)かなと思いました。
誤解を恐れずに言いましたが、勝手な私の一意見なので流してくださいね。
では自分はいつその機会があるのか、を考えたときに、最長で3年後、最短で2年後だと思っています。では副師長になった時に何ができるかを考えたら、、どうでしょうか。
管理職としての立ち位置が学ぶことも多く楽しくなってしまうかもしれないし、
やっぱり専門看護師として直接介入をしていたいと思うかもしれない
そこの選択肢はその時々で変わりゆくものだと思うので、私の思考はここまでです。
ただ、ずっと組織に守られているこの環境は、温かくて安定しているのですが、このままではいけないなとも思うわけです。
起業したり、自分で事業を行ったり、自分で何かを0から1 でやっている人にしかわからない世界があるのなら勉強してみたい、そうも思います。
組織の中でやっていく協調性や適応能力を磨きながら、そんな将来の選択肢を潰さないように、少しだけ先を見越した勉強をしていきたいと思っています。
専門看護師の可能性と今後の働き方
専門看護師3年目の私が言えることでもないのですが、自ら役割開発、役割獲得、役割拡大を求められる専門看護師の働き方は無限にあると思っています。
自己研鑽をしつつ、ニーズがあるところに介入していく
いつかどこかでやりたいと思っていることを、つらつら述べていきたいと思います。
実は最近、女性の起業や女性の社会進出を応援するというコンセプトのミスコンにエントリーしてきたんです。
そこではこれまでにない、自分のキャリアビジョンややりたいことをプレゼンするという審査もあり、私はそこに共感しファイナリストとして出場してきました。
またミスコンのことは別で述べるとして、私自身、医療従事者以外の方に自分のやりたいことはどのように捉えていただけるのか、反応をみたかったので、チャレンジ精神でした。
自分のプレゼン動画を流している間の会場の雰囲気は、頷きながら共感してくれているように感じました。
ニーズは様々ですし、そこは個別的に関わることで対応するのですが、ACPの推進は是非是非やっていきたいと改めて強く思いました。
専門看護師として自分の主軸にあることはちゃんとやる、その上で社会に発信していくことの重要性も身にしみて感じることができました。
これからもトライアンドエラーを繰り返しながらポジティブマインドで過ごしていきたいものです。
今日は思いついたように書いたので、全然まとまりがないnoteですが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。