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私が専門看護師になった理由

こんにちは、あきです。

前回は私が看護師になった理由をつらつらと思い出話を入れながら綴りました。

今回は、なぜ専門看護師になったのか、そして専門看護師になって思うことを綴っていきたいと思います。

これを読むことで、専門看護師を考えている看護師の方が参考になれば嬉しいですし、医療者ではない方にもそんな看護師もいるんだなくらいに知っていただける機会になったらもっと嬉しいです。

少しでも仕事や役割を知っていただくことで、看護師を最大限に活用できるのではと企んでいます。しばしお付き合いください。

大学院進学を決めたわけ〜難しいと感じたご家族の存在〜

私は都内の病院で新卒入職、配属はICU(集中治療室)でした。もちろん第一希望部署だったので、期待とワクワクとドキドキの不安も入り混じりながらの新人時代を過ごしました。やる気だけはあるので、空回りしながらも叱咤されながらも充実した日々でした。

当院のICUは院内で状態が悪化した患者さんや、侵襲の大きな手術後の患者さんが入室される部署でした。(救急車で運ばれた患者さんはEICU;Emergency ICUという別の集中治療室に行きます)

治療のため(良くなるため)に入院していた患者さんの急激な悪化は、患者さんのみならず家族にとっても大きな不安を抱かせます。集中治療の甲斐あって、回復して一般病棟に戻れる患者さんもいれば、残念ながらフルコースで治療を行っても病勢が勝りICUでお看取りとなる患者さんもいます。

私はICUで働きながら、前者のように長い集中治療を受けながら、厳しい状況を乗り越えて回復に向かう患者さんの姿に励まされながらやり甲斐を感じることもありましたが、後者のICUでお看取りとなる患者さんとそのご家族の姿がどうにも忘れられませんでした。聞こえはいいですが、集中治療を受けながら、終末期(死を意識せざるを得ない時期)が重なっていく時期は、看護師としてどのように関わっていいかわからない、もどかしさや不全感がありました。亡くなった後も看護師として関わり方が異なれば、もっと残された家族は辛い思いをしなくてよかったのではないか、と考えることもありました。

特に、家族が予期悲嘆反応(大切な家族を無くすかもしれないという悲しみの反応)で涙を流している時に、私は家族にどう声をかけていいのかわからずその場に一緒に立ち尽くしていたことがありました。その時大先輩の看護師は、そっと家族の背中に触れ、何も言わずにさすっていました。当時20代前半だった私は、自然とタッチングして共感の姿勢で寄り添える姿に感動しました。と同時に、若い看護師の私なんかが家族にタッチングをしたところで、「小娘のくせに私の気持ちなんてわかるか」などと思われはしないか、など訳のわからない言い訳を自分にして、なかなか行動に移せなない、やるせない思いをしていました。自分が家族の立場になってみれば、若い看護師であろうと、自分の大切な家族(患者)のために一緒に悩んで悲しんでくれる看護師の存在はありがたいと思えるんですけどね。なかなかいざとなると難しいものでした。

看護師5年目になると、リーダー業務だけではなくスタッフのチームリーダー役割や係・委員会担当など役割が増えて責任も重くなってきます。私は役割を与えられるとやる気が出るようなタイプでしたので、患者さんやご家族の看護においてもプライマリー(患者さんの担当看護師)の時にはその人にとって何ができるか、何が最善かを考えるようにしていました。ただ、部署内での係や委員会がまた大変で、

安全係:医療関連事故などの発生を起こさないように対策を練ったり、起きた場合原因検索を推進して再発防止のための方策を練る

記録係:電子カルテの適正記録、ルールの統一を共有する

感染係:院内感染を起こさないよう最新の知見を共有、また感染予防対策を全員ができるよう推進する

業務係:業務改善が必要なものに取り組む(申し送りの適正化や時間外削減の取組)

栄養・WOC係:褥瘡(床ずれ)予防対策の共有や褥瘡の処置の共有

そのほかにも薬品係、物品係、接遇係、教育係などなどそれぞれの部署内での取り組みがなされています。これらの係のリーダーともなると、目標→計画立案→実施→中間評価→修正実施→最終評価を繰り返していると、日々の看護業務以上に負担がかかってきます。

目の前の患者さんやご家族だけを対象としている方がよっぽど目に見えてやり甲斐を感じますが、これらの業務改善に関わる係の活動はなかなか負担です。当時の私は、患者さんとそのご家族だけを考えて仕事できたら幸せだなーなんて思っていました。(この係の業務が実は縁の下の力持ちで、すごく患者さん家族への看護に関わっていて重要な役割を担っていることは後ほど理解してきます)


そんなある日、私のチームの後輩がプライマリーの患者さんのことで相談してきました。「意思疎通が図れない患者さんの家族が最期に本人と話したい」って言っている、でもそれは叶えられない、だけど家族が混乱していてその状況を理解できない、という内容でした。

私もチームとしてプライマリー患者さんの情報は共有していたので、すぐに状況が分かったのですが、その患者さんは血液内科疾患に化学療法の副作用による呼吸器疾患合併、人工呼吸器管理をしていました。鎮静の影響で意思疎通が図れないのですが、鎮静の量を減らして覚醒すると呼吸が苦しくて会話どころではない、という状態でした。肺の状態は限界で、鎮静を減らすことで本人が苦しむことになるという医療者の見解がありました。一方で、奥さん(患者さんの)は、「今の状況を本人がどう思うか最期に知りたい、それを確認する前に人工呼吸器つけちゃったから、最期に知りたい、最期に話したい。だから鎮静薬を切ってほしい」と言っていました。私たち医療者がみるかぎり、鎮静を減量して苦しむ姿は見るに耐えない状態でしたが、奥さんも状況を一緒に見れた方が理解が進むと思い、奥さんの面会時間に合わせて鎮静薬を減らすこととしました。奥さんは鎮静を減らして呼吸回数が上がり、むせ込んで意思疎通が取れる状況ではない患者さんを見て泣き出しました。「こんなことなら人工呼吸器をつけなければよかった、治ってまた家に帰るために選択したのに」と泣きながら医療者に訴えていました。その後は鎮静を減らすことはせずに治療を続けていましたが、いよいよ終末期かもしれないと医療者が感じ始めた頃、担当医は奥さんやほかの家族に『もう厳しい状況です』と説明しました。奥さんは「そんなはずない、私は助かるって信じている」と話し、しばらく厳しい状況を受け入れずにいました。毎日のように担当医からは厳しい話が繰り返されましたが、奥さんの反応は変わりませんでした。そして亡くなった時、奥さんは1時間以上泣き続け、立っていられない状態でした。出棺の時、私は他のご家族に「奥さんはすごく看病されていました。このあとまだしばらく忙しいと思いますが、そのあとの奥さんが心配です。どうかご家族、親戚内で支え合っていただけたらと思います」と伝えました。それくらい、その奥さんのその後が心配になる状況でした。

私は、この患者さんとそのご家族との関わりから、今まで自分が行ってきたケアや看護って本当にそれでよかったんだろうか、と考えるようになりました。これだけ精一杯ご家族に寄り添っていても、奥さんの(病的な)悲しみは癒えない。私のかかわりがもっとよかったら、もっと自信がもてたら、何か変わるのかもしれないと思うようになりました。

この体験の後に、看護師長との目標面談があり、ありのままを伝えました。「もっといい看護が見つかるかもしれない、勉強してみたい」と。すると師長は『大学院行ってきなさい、そして看護を言葉にできる力を磨いてきなさい』と背中を押してくれました。当時5年目の私には早い、という人もいたかと思いますが、師長のその言葉で行っていいんだ、やっていいんだと思えるようになりました。今は一緒に働いていませんが、今でもメンターとしてとっても尊敬している師長です。ちなみに師長も大学院で看護教育学を学び修了している人でした。

大学院在学中のスーパー専門看護師との出会い

そんなわけで、当時専門看護師というよりは大学院進学がメインの目的でした。私が進んだ大学院は「修士論文コース」と「専門看護師コース」のどちらかが選択できたのですが、私は臨床現場で働いていたい、患者さんご家族と関わっていたいという思いから「専門看護師コース」を選択しました。

実は私が働いていた病院では身近に(ICU領域で)専門看護師がいなかったので、どんな役割でどんな仕事をしているかイメージがつかないままだったので、正直すごい人、くらいの印象でした。同じ学費を払うのであれば、より履修科目の多い専門看護師コースにしようというような理由もありました。専門看護師コースと言っても、修士論文は必須だし、同じよう質を求められたのでなかなかハードでしたが。私が進学した大学院では様々な領域の大学院生と関わる時間が長く、様々な視点から討論できたことで視野が広がったように思います。

実習では、専門看護師にシャドーイングする同行実習、実際に専門看護師の役割(看護実践、相談、調整、倫理調整、教育、研究)を組織内で行う実践実習がありました。専門看護師とは...を学び始めていた私にとってそれを実践している専門看護師の方に同行することはすごく刺激を受けたし勉強になりました。まるで違う職種を見ているかのようでした。専門看護師の行動には全部意図があると言われています。スタッフへの言葉かけ、患者さんやその家族への言葉かけ、なぜそう言ったのかを同行実習では質問していきました。同じくらい、専門看護師はスタッフの反応や言葉、患者さんやご家族の反応や言葉にどのような意味があるかを掘り下げて考えています。その思考と実践の凄さに、「専門看護師ってかっこいい!でも到底私には無理だ」と衝撃と感動の一方で自信をなくした落胆の気持ちがありました。

看護師としての臨床経験の少なさ、そして自分自身の性格や能力から自信を無くし、《大学院だけ出て、専門看護師になるかどうかは臨床に戻ってから考えよう》と思っていた時に、実践実習がやってきました。

案の定、実習先の師長さんには、教育計画を相談したところで「あなた、たかが看護師5.6年の経験でスタッフ教育とか倫理的問題のことなんて早いわよ」とバッサリ言われてしまう始末。その日は悔しくて泣きながら帰りました。でもそこで大学院で学んだことかもしれません、『なぜ私は泣いたのか』『泣くほど悔しかったその感情の裏には何があるのか』『師長さんの言葉の裏には何があるのか』とリフレクション(内省)し始めました。きっとこれから先、この師長さんのように思う上司や先輩に出会うだろうし、至極真っ当な感情だよねと思うようになりました。確かに経験年数は浅いかもしれない、でも若いからこそできる役割(スタッフの意見の吸い上げや共感)があるはず。そもそも看護協会は専門看護師の要件を看護師経験5年以上という規定をしている、そこには意図があるはず。そう思うようにしました。

そして、翌日、何事もなかったかのように実習先に行くと、指導者さん(専門看護師)に「昨日は辛かったよね、昨日あったことはちゃんと大学の先生にも報告してね。」とフォローを受けました。私以上に事を大きく見てくれて精神的なフォローをしてくれました。その指導者さんは、患者さん家族だけでなくスタッフのことも丁寧に見ていて、意図を持った関わりを実践していました。時にズバッと、時に面白く、時にスタッフの代弁をしてくれる、まさに憧れるような専門看護師でした。何か行動を起こす前には、どのように動くことが必要か、戦略的な思考も新しく感じました。部署を超えて、組織内を横断的に活動する場合、組織を知ることそしてアプローチする順序も考える必要があります。それだけ系統立てて考えられる頭の回転の速い方ですが、私が師長との一件を『自分で対処(ストレスコーピング)できるから』、と大学に報告しなかったことを、指導者さんは先回りして大学の教員に「こういうことがあったから、あきさんが心配です。フォローをお願いします」と伝えてくれていました。まさに調整と教育、実践能力を感じました。実習させてもらう分際でありながら、ケアされている事を実感した瞬間でした。自分の組織のことを外部にチクるような行為なので、まずったなと思ったそうですが。それを超えてでも救ってくれたその人としてのカッコよさに感動を隠せませんでした。私はこの実習で出会った指導者さんにまさに心酔し、「私もこんな患者さんとそのご家族の気持ちを代弁できる、スタッフを守れる、専門看護師になりたい」と専門看護師になる事を決めました。そんな専門看護師になれるかは別として。一生憧れですし、足元にも及びませんが、ついていきたい先輩です。

研究と修士論文を経て、専門看護師受験

その実習を終えてからは、自分の研究に励んでいくわけですが、私の大学院進学のきっかけとなった家族とのかかわりがテーマとして挙げました。そしていち看護師として難しさを感じた家族とのかかわりは、専門看護師だったらどのようなかかわりができているんだろうという疑問から研究テーマを絞り上げていきました。

結果、専門看護師の家族看護をまとめるに至ったわけですが、またそのかかわりをインタビューで聞いて、分析する過程はとーっても勉強になりました。ICUのみならずICUをでた後、退院した後まで見据えてかかわっていたり、最期をICUで過ごす患者さんとその家族に少しでも距離を感じさせないようなかかわり。あの時の分析や考察は本当に自分の分析力、文章力のなさに苦労しまくりましたが、何ヶ月も同じデータに向き合うことで自分の頭に染みつきました。おかげさまで、数年たった今でも家族とのかかわりに悩んだ時に思い起こして参考になっています。「あの人だったらどう考えるかな、どうするかな」が大きなヒントとなっています。

専門看護師は大学院を修了したのち、実践を積んで受験資格が得られます。大学院修了と同時になれるわけではないところが難しいところです。私も上記のごとく、臨床経験はその当時7年(大学院時代、退職はしたものの非常勤勤務としてなんとか臨床に食らいついていたので)、経験は浅いながらも修了した年に審査を受けました。書類選考では自分の行った実践を1200字にまとめること(6 つの役割のうちいくつか)、そして筆記試験ではその領域に合わせた問題に自由記述で挑むのですが、これがまた2時間でできる量じゃない。A4  用紙7枚ほどある解答用紙に考える暇なく書き続けました。思考をまとめる時間もなく、私のまとまらないぐちゃぐちゃな思考をさらけ出したので結果は期待していませんでした。かつ、正直記念受験的なところもあったのであまり期待していなかったのですが、なぜか?合格することができました。私の見解では、方向的にまずっていない思考、かつ情熱が伝わる内容だったから受からせてくれたのかなと思っています。(それもどうかと思いますが)

急性・重症患者看護専門看護師になって思うこと

そうして晴れて2018年12月に急性・重症患者看護専門看護師になることができました。あまり集中治療的なことを書いていませんが、私だからできることは何かと考えた時に、臨床実践能力は私の身近にいる認定看護師さんに叶いませんし、そもそも経験年数的にも説得力は落ちるかもしれません。(自分で若いからだなんて価値を下げてしまっている可能性も否定できない)ただ、2年の間大学院で色々な状況での事例検討で散々討論してきた、倫理的問題や意思決定に関して、納得いくまで考え抜いたことの経験は臨床に活かせると思っています。患者さん、家族にとっての最善や、最期をどう過ごすかの検討については力になれると思っています。ただ、患者さんやご家族へのケアは心理学やストレス理論、コーチングだけでは成り立ちません(急性期の領域は特に)。看護師として、この患者さんの病態生理や治療状況、機序を理解した上で医学的な側面での理解も必要不可欠です。そうでないと予後の見通しを含めて専門的ではなくなるからです。だからこそ、生体侵襲や救急疾患、集中治療における医学的な勉強もし続ける必要があるし、人工呼吸器や透析機器、補助人工心肺装置などの管理についても学び続ける必要があると思っています。ただ、自分のサブスペシャリティー( 集中治療分野、救急分野の中の得意分野)として、家族看護やケアを掲げたいと思うし、その家族が代理意思決定(患者さんの意思がわからない時に代わりに医療的判断を決定する)する時、や患者さんの終末期に特に寄り添ってかかわっていきたいと思っています。いつかの私がかかわりに悩んだように、スタッフの困りごとにコミットメントして対処できたらいいなと思うし、私だけができるケアではなく、みんなでできるようになったら看護の質も向上、ベースアップできると思っています。悩んだ分、誰かに還元できると思います。だからたくさん悩む!

上記のような思考は、やはり実習で出会った専門看護師の方のスピリットに影響を受けているし、大学院で学んだ多面的、多角的、俯瞰的な視点がまた活きてきているように感じます。大学院修了後、また同じ組織に再就職したのですが(だからこそ最短で受験できたように思います)全然違う景色が広がっていて、ものの見方が変わったように感じて日々新鮮です。看護師業界では、大学院に進学しようが給料は変わりません。まさに自己研鑽の延長で高い学費を払ったわけですが、そこに、大学院に進学した見返りを感じています。

認定看護師と専門看護師の違いについて、大学院でもずいぶん議論にあがりました。役割の違いは明記されていながらも実質なんだろうね、なんて話していました。認定看護師を持ちながら、大学院に進学した大学院同期は当時「認定看護師でも専門看護師でも人によっては活動の範囲が一緒だったり、役割も似ているから実質的になんとも違いはわからないな」と言っていました。その後修了してから集まった会で、「専門看護師はモノの見方が深まるとか以上に、モノの見方の種類や方法が増えたと思う」と幅の広さを実感していました。一つの事象に対して、深く探るだけではなく、様々な方面から、様々な立場で捉えること(俯瞰的といっていいのでしょうか)が増えたと話していました。

専門看護師になって感じることや考えることはまたどこかでシェアしていきたいと思っています。これが、私が専門看護師になった理由です。何か参考になったり、そうなんだーって思うことがあれば嬉しいです。


長文にお付き合いいただきありがとうございました。

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