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好きなことを学びたい人たちへ、その覚悟はあるか。

先日、twitterでこんな(↓)ツイートが回ってきて、興味深くリンク先のブログを拝読いたしました。

ブログはこちらをクリック↓
『東京藝術大学の学生生活は本当に病むから気をつけた方がいい』


ブログの内容は、日本最高峰の芸術大学である東京藝術大学を現役合格された画家・棚村彩加さんが、その4年間の学生生活を振り返り、この春入学する新入生へアドバイスを送るというもの

私も、大学では“文芸創作”という芸術を学んでいたこともあり、ブログの内容に全身で共感しました。と、同時に、教育関係の仕事をしていることから、改めて「好きなことを勉強すること」について考えざるを得ませんでした。



★ 共感したところ

棚村さんは、「東京藝術大学に入学するとなぜ病んでしまうのか」ということについて、下記3つの理由を挙げています。

(1)周りと競争して自信がなくなるから
(2)病んでる時ほど良い絵が描けてしまうから
(3)憧れてくるところじゃなかった

この(1)と(2)の部分に、いたく共感いたしました。

((3)ですが…。文芸創作の勉強ができるそこそこのレベルの大学に進学したので、特に憧れはなかったんですよね…笑 第一志望には落ちてしまったので、暗い気持ちで入学しました。「東京藝術大学と三流大学を比べるな!」と思う方は、この先は読まない方がよろしいかと思います…)


「(1)周りと競争して自信がなくなるから」

母校は三流大学ですが(あんまり三流三流書くと、母校の教授や職員さん、友達が傷つくので、もう終わりにします)、優れた小説を書く人がたくさんいました。文芸創作ゼミの学生もみんなレベルが高くて、化け物かと思っていたくらいです。

ゼミで発表する作品には字数制限があって、上手な学生から制限が外される仕組みになっていました。学生たちに競争心があったかどうかはわからないけど、必然的にそれがひとつの目標になっていたし、「外されている・いない」でゼミ生をジャッジしている部分もあったかと思います。

こちらの記事でも書きましたが、ゼミで落ちこぼれだった私の文字数制限が外れたのは、大学4年生の前期。ゼミが始まって早々に制限が外れた子もいたので、私はずっと劣等感を抱いていました。

制限を外してもらうために、先生やゼミ生にウケるような作品(彼らはエログロが好きなようでした)を書こうと思ったけれど、私には書けなくて(書いてみても、評価はされませんでしたが…)。そんなことをしているうちに、自分が何を書きたいのかわからなくなっていきました。

物語を書くことが好きだから大学で勉強することを選んだのに、いつの間にか周囲の人と比べて自信を失い、「私には書く才能がないんだ」と思うようになりました。ゼミに対する熱意も、4年生の頃にはこれっぽっちもありませんでした。

振り返ると、当時の私は「誰かに評価されたい」と求めるばかりで、他人軸で生きていたのだと思います。

アラサーを迎えた今の私なら「教授や先輩たちの評価が全てではない」と割り切ることができただろうけど、20歳になったばかりの私には、とてもとてもむずかしかった。それこそ、教授に認められなければ意味がないとさえ思っていました。

そんなこと、ないのに。


「(2)病んでる時ほど良い絵が描けてしまうから」

私の場合は小説だけど、これも概ね同意でしかなくて…。

あんまり書いてきませんでしたが、小・中学生の頃、私はだいぶこじらせていました。不良の多い地域で育ったせいか、クラスメイトは狂気じみていたし、つるんでいた子はいたけれど、友達と呼べる人はいなかった。死にたいと思うか、早く進学したいと思うかのどちらかでした。

小・中学生の頃の経験を引きずって、高校生になっても友達のつくり方がわかりませんでした。ぼんやりと死にたいと思っていたこともあります。まあ、中二病と思われても構いません笑

友達がいなくて根暗な私の遊び相手は、専ら自分でつくった物語の中の登場人物たちでした。ノートを開き、そこに物語を書くことで、友達と遊んでいるような気持ちになっていたのだと思います。

登場人物のみんなには、時にひどいことをしてしまったこともあったけれど、それでも、物語を紡ぐことが楽しくて。試験勉強そっちのけで物語を書き続けていたのを、今でも昨日のことのように覚えています。

でも、大学生になってから、新しい物語を生み出すことが、だんだん困難になっていきました。私は、その原因を「病んでいないから」だと考えています。

ずっと、少女漫画に出てくるような、普通の女の子になりたいと思っていました。友達がたくさんいて、好きな人がいて、学校が楽しくて。望んでいたことはただそれだけです。高校生の時は上手くできなかったけれど、その失敗を活かして、大学では普通の女の子になれるよう努力してきました。

根暗な部分を隠して、積極的に苦手な人付き合い。サークルに入って、友達や恋人をつくって、オールして遊んで、バカやって。努力の甲斐あって、世間が思い描いている普通の、そして理想のキャンパスライフを過ごすことができたと感じています。

でも、あんなにもなりたいと思っていた“普通の女の子”になったら、物語が書けなくなったんです。それまで、次はこんな話を書こう、あんなキャラクターが出てきたら面白いかも、なんて、途切れることなく創作について考えていたのに。全く思い浮かばなくなった。リアルの生活に注力したら、空想の世界への行き方を忘れてしまったみたいなんです。面白くないですか、これ。

それで、なんとなく、“普通”だと小説は書けなくなるんじゃないかと考えるようになりました。ゼミにも、希有な経験をしてきた人や変わった嗜好を持っている人がたくさんいて、それは創作の役に立っているように見えました。

また、太宰を筆頭に、日本の文豪の多くが心を病んでいたことも知っていたので、「芸術分野で生きていくためには、心の病が必要なんだ」と確信めいたものを感じていました。

それは、「心が病んでいない私は、もう小説を書けない」という死刑宣告でもありました。でも、じゃあ書くために病み続けるかと問われると、それはもう、できなくって。

一緒にバカをやって遊んでくれる友達や、こんな私のことを愛してくれる恋人の存在。根暗で引っ込み思案で、死にたいと思っていた私は、いつの間にかどこかへ消えてしまった。それに、あの頃の私より、今の自分の方が好きなんだもん。

こうやって私は、幸福でいるかわりに、書くことを放棄してしまったのかもしれません。

もちろん、病んでいなくても優れた作品が生み出せる(性格と作品は別物)と捉えていらっしゃる方も多いと思います。病みに頼らないと作品を生み出せない私には、才能がなかったとも言えるかもしれませんね。

(そう言えば、卒論で発表した小説のテーマは「不幸でなければ芸術は生み出せないのか」というテーマでした。これ、どこかで公開したいです…4万字あるけど…)



★ 好きなことを勉強する、とは。

共感ポイント、引くくらい長くなってしまってすみません。

棚村さんのおっしゃっていた「東京藝術大学に入学すると病む理由」が、他の芸術分野を学ぶ学生でも大いに当てはまることを感じ取っていただけたら嬉しいです。

それで、ここからは、「好きなことを勉強する」という点について考えていきたいと思います。


大学を卒業してから、私はずっと教育業界で働いています。事務職からコピーライターに転職したとはいえ、括りはずっと「教育」でした。

事務職として採用して頂いた前の会社では、進路を考える高校生のために、進路相談会や学校見学会などを開催していました。そして、現在の会社では、コピーライターとして、とある専門学校の学校案内を制作しています。

どちらも、直接高校生と接する仕事ではありませんが、私が彼らに伝えたいことは、一貫して「自分の好きなことを勉強する方がいいよ! 楽しいよ!」でした。——……好きなことを勉強する道を選んで、あんなに苦しんだにも関わらず。

棚村さんのブログを読んだ時、大学生の頃の思い出が蘇ってきて、「なんて無責任なことを高校生に伝えてしまっていたんだろう…」と非常にショックを受けました。

自分のしていたことが間違いだった、とまでは言いませんが、好きなことを学ぶことは、楽しいだけではありません。私だって、創作に対して悩んだことがあるのだから、

「好きなことを勉強する道に進んだら、傷つくこともあるかもしれない。それでも、あなたはやっていける?」

くらいのことは、言えてもよかったのではないでしょうか…。


でも、好きなことを学ぶ道に進んだことを、後悔しているかと言われると、別に後悔はしていないなとも思うのです(棚村さんも後悔はしていないはずと勝手に考えています)。

卒業してからライターになるまで少し時間がかかってしまったし、ずっと憧れている作家にはまだなれていないけど。自分の書いているものに、まだまだ自信は持てないけど。先生に褒められたことのない私だけど笑。

それでもやっぱり、好きなことを勉強して良かったと思っています。



好きなことを勉強するのは、楽しかった。

「好きなことを勉強するのは、楽しい」という言葉そのものに、嘘はありませんでした。確かに、自分の実力を思い知って落ち込んで、それ以上、伸びることはなかったかもしれない。でも、学ぶこと自体は、楽しくないわけではなかったのです。

私の場合は、日本の文学や文化を学ぶ学科の中の、文芸創作ゼミに所属していたので、書くことだけでなく、幅広く勉強することができました。古典から近現代の文学に触れ、その背景を学ぶこと。日本の文化になったマンガやアニメについて理解を深めること。出版業界や編集という仕事の仕組みを知ること。

一見、書くことには繋がっていないように見えるかもしれないけれど、授業で学んだことは作品づくりのアイディアにもなりました。近現代文学やサブカルも好きだったし、書くことに慣れていたから、課題のレポートも苦労しませんでした。

高校生の時は、数学や化学といった苦手な授業を受けなければならなかったのに、大学生になって好きなことを勉強する道を選んだら、わくわくする授業しかなくなった。人生の中で初めて、学校で授業を受けるのが楽しいと感じるようになりました。こんな日が来るなんて、正直夢にも思っていませんでした。


作品のアドバイスをもらえる場所は少ない。

社会に出て思います。自分の作品に対して、質の高いアドバイスをしてもらえる場所ってすっっっっごく少ないのだと。

今はSNSが発達しているし、upすれば、たくさんの人に作品を見てもらえるかもしれません。でも、それはフォロワーが多いか、バズればの話です。

フォロワーが多くても、作品を見てくれるとは限りません。見てくださった方が素人だった場合は、薄っぺらい感想しかもらえないですし、的を射た感想が欲しいと思うなら、少しむずかしいかもしれません。

(私もSNSを通して、多くの芸術作品に触れますが、薄っぺらい感想しか伝えられなくて、いつも申し訳ない気持ちになります…。小さなことでも感想を伝えた方が、作者にとって勇気になるとわかっているけれど、「すごくいいと思う!」なんて、ありきたりなことしか言えなくて…)

学べる場所は学校だけではなので、通信講座やセミナーなどを受講したり、著名人がやっているオンラインサロンに身を置き、質の高いアドバイスをもらうという手もあります。総合大学を卒業して、社会人になってからこういったコミュニティに所属するのも、今では普通になってきました。

でも、仕事と並行して作品をつくり続けるのも、根性(「好き」という気持ちとも言える)が必要です。仕事が忙しくて、作品に集中できない期間が続くこともザラです(私のこと)。しばらく作品から離れると、いちからやり直したくなったりします(私のこと)。

それを考えると、作品づくりだけに没頭し、質の高いアドバイスがもらえる学校という環境も、なかなか捨てがたいのではないでしょうか。

文芸創作自体で良い評価を得ることはできなかったとはいえ、書くことについてしっかり学べたことは私の人生でプラスになりました。今、こうして、ライターとして働かせてもらっているのも、学生の間に築いた土台があったからだと思います。




芸術に挑もうとする、すべての人たちへのアドバイス

好きなことを学べる学校に進学するにせよ、社会人になってから挑戦するにせよ、どちらにせよ、芸術に挑む人たちの中に身を置くことになるので、やっぱり先に述べた「落ち込んだり、心が病む時期」が必ず訪れると思います。

それでも、好きなことを学ぶ楽しさはありますし、スキルアップはできるはず。芸術の分野に挑戦したいと思うのであれば、勇気を出してその中に飛び込んでいくことも必要なのかもしれません。

自分の心が折れたとしても、それでもこの世界で生きていく覚悟が、みなさんにおありでしょうか?

棚村さんは、ブログの最後に「東京藝術大学で元気に学生生活を送る方法」として、3つのアドバイスを送っています。

あえてここに書くことはしませんが、そのアドバイスは、学生時代の私にかけてあげたい言葉ばかりでした。そして、創作を再開した今の私にも、心に沁みるものがあります。

これから芸術に挑戦する人たちも、すでに、芸術の世界で生きている人たちにも、ぜひ、心に留めておいていただきたいアドバイスです。きっと、私自身も、何度も読み返すことと思います。

芸術の世界で生きていきたい人たちへ、届きますように。


3つのアドバイスは、棚村さんのブログからチェックしてください。
「東京藝術大学の学生生活は本当に病むから気をつけた方がいい」




缶コーヒーをお供に働いているので、1杯ごちそうしてもらえたらとってもうれしいです!最近のお気に入りは「ジョージア THE ラテ ダブルミルクラテ」(160円)。今日も明日も明後日も、コーヒーを飲みながら仕事がんばります!応援のほど、どうぞよろしくお願いします。