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夏の終わりに|雑記

──夏が、終わる。

4月、新規業務に着任。1年で覚える分量の業務を1ヶ月で投げ込まれ、脳みその容量をオーバーし資格試験で撃沈。
5月、次なる試験に向けて勉強を始める。
6月、着任先で全く知らない業務を丸投げされて責任を取らされたため、就業先を変えてもらう。
7月、研修室で勉強の日々。新しい客先と契約し、開発業務へ。
8月、新しい業務を覚えながら夏休みを勉強に費やす。
9月、試験で再び撃沈する。

勉強と仕事を交互に繰り返していくだけの日々だったくせに、半年で2つも試験に落ちるというなんとも情けない結果に終わる。
そして今年の夏最大の試練が、打ち上げ花火とともにやってきた。

・・・・・・

暑い日だった。全身が真っ黒こげに焼けるくらいに。
土曜・日曜の2日、隣の県で野外で音楽イベントがあって、それの手伝いに行った。
私はタイムテーブルをもらっていなかったから宿を取るか家に帰るかを判断することができなかったけれど、蓋を開けてみれば、帰宅か宿泊かではなく、ビジホかネカフェかの2択だった。

1日目が終わったのが18:00ごろだったか。
同業者とともに車に乗って、愛知県の端まで帰ってきた。
家まで帰ると23時を回る。そして翌朝4時半に起きなければならない。
それは流石に、無理だった。
車の中で宿探しをしていると、まだ若干明るい宵の空を、輝く粒が舞い落ちた。

打ち上げ花火だ。

「ああ、そういえば、今日祭りの日でした」同業者の男はそう言った。
打ち上げ花火を見るのは、もしかしたら成人して以来初めてかもしれない。
「感動して泣いちゃうね」
私は乾き切った瞳でそう返した。

タイムテーブルをもらえなかったこと、宿の手配について何も聞かされなかったこと、イベントの打ち上げに呼ばれなかったこと、始終話を聞いてもらえないこと。
ただでさえ勉強と本職の仕事でやられているというのに、追い打ちをかけるようなその仕打ちに、一周回って涙さえも出ない。
同業者の男は、私を憐れみながら、わざと渋滞にハマるような形でゆっくり花火を見せてくれた。

私は、花火を見ながら、「海は綺麗だったな」とか、「うなぎはうまかったな」とか、「あの時まではうまくやれていたのにな」とか、「いや、最初から線を引かれていたような」とか、そういう戻らない過去のことを考えた。
「僕大学が化学専攻だったんで、あれはマグネシウムだな、とか考えちゃうんですよ」隣の男は全然違うことを考えていた。
打ち上げ花火を文句なしに楽しめる品が良くて明るく楽しい女だったら、君も楽しかったろうにな、と心の中で同業者の男につぶやいた。

同じ花火を見ていても、人ってのは孤独なんだと知った。
だから打ち上げ花火は、切ないのかもしれない。
何トンものマグネシウムだかなんだかが21:00を最後に夜空に消えた後、なんとかとれた宿で泥のように眠った。

翌日、周りのイベンターさんたちに憐れまれ、慰められ、励まされてはお菓子をもらい、なんとか2日目を終えた。
帰りの電車の中で、やっとこさ一人ぼっちになった時、周りの客がギョッとして席を変えるほど泣いた。タオルは絞れるほどびしょびしょになった。
その日を境に、私は正真正銘、音楽をやめた。
呼ばれもしないだろう。
集めていた44枚のバックステージパスを捨てた。

・・・・・・

暗い話はそれくらいにしておこう。
そんな私でも、頑張ってなんとか幸せに生きている。
これくらいのことで、死ぬ気にならない程度には、強くなっているのだ。
はっはっは。

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