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法螺とホラー

前述

私は、法螺話とホラー話が好きだ。
突然の親父ギャグですまない。今日はこれが言いたくて、わざわざ筆を執った。
わざわざ法螺話とホラー話に分類したところで、「ホラーなんてだいたい法螺話だろうよ」と言われるかもしれない。ごもっともだ。ぐうの音もでない。しかし、ちょっと話を聞いてほしい。

多くの人は、小説を読むときに「これが法螺かどうか」なんてことはいちいち考えない。ご認識の通り、当たり前にそれは架空の話だからだ。胸がキュンとなる恋愛も、緊張感漂うハードボイルドも、それが創作である限り、法螺話である。
しかし、ホラーに関してはどうだろう。都市伝説を検証するとき、某コミュニティサイトでスレッドを追いかけるとき、ホラーゲームをプレイするとき、あなたは嘘だと思っていても、暗闇が怖くなったり、風音に驚いたりするのではないだろうか。
ホラーは日常に侵食してくる。そう、今も。

とある地域について

愛知県名古屋市の端くれに複数の古墳群があることをご存知だろうか。
近年発掘調査が進み、簡単なミュージアムができて、土地開発も進んだ。昔は畑や田んぼしかない部落のようなところだったが、今や小学校が3つも建つほどの成長区域だ。
一級河川のS川がT山の奥から流れてきており、川を隔てた向こう側が春日井市である。
ミュージアムの資料によると、3〜5世紀頃、地域の豪族はその川から海に出て邪馬台国(距離的に現在の奈良県かと推測される)と翡翠などの交易を行なったそうだ。興味のある方はぜひ探し当ててミュージアムに行ってみていただきたい。
現在は立派なレプリカの古墳が新しく作られ、近隣の子どもたちの遊び場になっている。新しい古墳とはこれいかに、と大人を唸らせた逸品である。

古墳群と神社の謎

私が昔から不思議だったのは、その古墳群の上に神社があることだ。
T山の神社はヤマトタケルの妻を祀っており、地域の古文書によればヤマトタケルの伝説がそこにあるようだった。
927年に編纂された神社一覧の書である「延喜式神祇巻」にも神社の名前が載っているため、非常に古い時代からあることがわかっている。

しかし、だ。神社と古墳では、信仰対象が違うのではなかろうか。
古墳というのは、その地域のどえらい偉い人が亡くなったときに建てた、いわゆる墓のようなものだ。
一方神社は、上記にも書いたように、神を勧請するところであり、一般的に墓とは相性が悪いようにも思う。
国立国会図書館に寄せられた質問に、似たようなものがあったのでおいておく。

Q.神社と古墳の関係について書かれた文献を探している。
全国的にみても古墳と神社が隣接していることが少なくないが、神道では死を穢れとしているのに、なぜ墓である古墳の近くに神社があるのかを知りたい。
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000170926


レファレンス協同データベース

これに対する回答は、「制作時期が違うというのもあり、たまたま同じ場所にあるだけで直接的な関係はないのでは」というものであった。

はて、信仰というものが、”たまたま”同じ場所に共存するのだろうか。

これは勝手な予想だが、山岳信仰にも似た発想なのかもしれない。
古墳ができたのは5世紀、つまりだいたい西暦400年頃だ。一方神社一覧を編纂するほどに神社が建てられたのは、900年代。その間約500年ある。古墳は地形の変化によって土に覆われ、そこに不自然な丘として残った。
墓が墓として機能しなくなったのち、その異形な地形は、神聖な場所として、新たな信仰へと変化したのではないだろうか。
……とまあ、机上の空論を並べたてたが、全くど素人の未検証・未研究の代物である。
民俗学の権威である柳田國男氏は現地調査が一番大事だとおっしゃっていたため、いっとき熱心にその地域を散策したが、無知の知を得たことだけが成果だった。

神社のアナザーストーリー

ところで、その古墳群を携えた神社には、もう一つ、現代的なストーリーがある。
名古屋市の弩級心霊スポットである、ということだ。
境内の木に藁人形と五寸釘が打ち込まれていたという噂から始まり、そこは見事に丑の刻参りの場所として謂れがついた。
ここ20年くらいの話なので、比較的近年に誰かが五寸釘を打ちにきたのではないかと思われるが、テレビやインターネットが普及するこの時代、呪いはあっという間に誇大広告され、そこの山丸ごと心霊スポットに変えてしまった。

少し話が逸れるが、丑の刻について簡単に書く。
丑の刻参りというのは、文字通り、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に神社に赴き、北東の方角に向かって藁人形を打ち付けることで呪いをかける行為だ。
京都にも有名な丑の刻参りスポットがある。貴船神社である。あそこは京都の中心からちょうど北東の位置にあるのだ。
先ほど少し話したが、山というのは山岳信仰などもあり、霊場と認識されることも多い。さらにいえば、北東の方角は「鬼門」つまり霊道が開きやすい場所であるとも言える。
貴船神社が在する比叡山は、都を守るために延暦寺を建てている。山を隔てて滋賀県側には日吉大社があり、ここで神仏習合をもって厄払いを行なっている。
使いの神は神猿(まさる)、魔が去るのダブルミーニングである。
(私が比叡山を散歩した時は土砂降りの雨だったが、ロープウェイもあり、紅葉も美しいため、ぜひ散策していただきたい。)

名古屋市のその神社は、名古屋市の中心部からちょうど北東に位置した山の上にあり、まさに丑の刻参りに適している。私は、実際の呪いよりも、現代においてその呪いの方法が広まっており、それを実行する人間がいるというのが、兎角恐ろしくてならない。

オカルト話

とまあ、ここまで、歴史に基づいて簡単な地域の説明をしたが、ここから先はオカルトだ。

さて、山の話だ。先ほどの神社は標高193mという、非常に小さなT山の頂上にあり、岐阜県との県境である。山道はならされて愛知と岐阜を繋ぐちょっと危ない崖道になっている。
最初に説明した通り、S川はT山を通って古墳の街に流れ込んでいるが、その川の上流はそのまま岐阜県までつながっており、その川に沿って、崖道があるイメージだ。

水場に山場、霊がこれほど集まりやすい場所はないだろう。
ということで、この崖道沿いには、心霊スポットがいくつかある。
私がかつてとおった時、そこにあったラブホテルは「ホテルリバーサイド」という井上陽水みたいな名前だったが、頻繁にオーナーが変わるのか、現在は「サンパチ」というパチンコ屋みたいな名前になっている。
由来は、全日380円の部屋があるから、である。

愛岐トンネル群、というスポットもある。
現在の中央線敷設に伴って廃線となった旧国鉄中央線の隧道群として親しまれているトンネル群だ。全部で13基あり、煉瓦造りのトンネルをSLが走っていたというロマン溢れる場所だ。
なお13號トンネルは口裂け女発祥の地でもある。
春と秋に一般公開され、桜や紅葉を見に物好きな人が訪れる。

他にもいろいろあるが、最後に最強の廃墟をご紹介する。
その名も「千歳楼」だ。
廃墟の中でも規模が大きく、いまだに取り壊しもされていないところから、全国の廃墟マニアが足を運ぶ。2003年10月に閉業した旅館で、長い年月から見れば比較的新しい廃墟と言ってもいいだろう。
京都の三条大橋をイメージして赤い橋が設置されており、営業当時は渓谷の季節を堪能しながら懐石料理を食べられるような、非常に美しい宿屋だった。
経営不振で廃業してから、建物で不審火が相次ぎ、白骨死体が発見されてからは、そこは心霊スポットとなった。
実際霊が出たかどうかは知らないが、そこを心霊スポットにしたのは、人間の所業である。

私は営業当時の千歳楼に入ったことがある。
まだ私が幼少の頃、法事のために千歳楼の精進料理をいただきに上がったのだ。また、千歳楼は私の両親が結婚式を挙げた場所でもある。
ちなみに、我が両親は、新婚旅行で蔵王のとあるスキー場に行ったが、そこも火災が発生して現在はない。

法螺話か、ホラー話か

私は法螺話とホラー話が好きだ。
信じるか信じないかはあなた次第、なんて言葉が流行った時期もあったが、実際のところ、ホラーは人間の心理に即して作り上げられた”法螺”でもあり、人間の根源的な悪意を表出させている”事実”の話でもある。
これまで、淡々と私は”事実”だけを述べてきたが、どうだろう、皆さんはそれを”法螺”だと感じただろうか。
ホラーは日常に侵食する。
私の生活の中に信仰があり、畏怖があり、脅威がある。
きっと明日も、法螺とホラーは互いに干渉しあって物語となっていく。

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