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りっかいくうの『天国』

はじめに

お久しぶりです。サクライアキと申します。

突然ですが、皆さんはプロダクション体育館のパステリズムが踊る「ステラ」はお好きでしょうか?

ここでは好きだというのを前提で話させていただきます。あれ本当に良いですよね。体育館の日3のライブでもセカイシンフォニーVer.で披露されていましたが(自分は生で観てないけど)、言葉で言い表し切れないほどの尊さと輝きを放っていました。

2人があれほどまでの輝きを放つのは何故なのか。
衣装?キャラデザ?躍動感?ダンスの技術?カメラワーク?ロケーションや時間帯?曲調?

これらも全て輝きの一端を担っていますが、個人的には「歌詞」がかなり重要だと思います。
パステリズムの2人が憧れを原動力にアイドルのセカイへ飛び込んだこと、2人で必死に飛び立とうと走り続けていること、プロダクション体育館の黎明と終焉、その間に詰まったくだらなくて尊い一瞬の一つ一つを抱きしめて、決して今日を諦めずに走り続けていくこと。
そんなパステリズムの「想い」を彩り代弁した歌詞の一言一句を活かした世界観こそ、この「パステリズムのステラ」の魅力の根幹なのではないかと思います。

さて、前置きが長くなりましたが。今回このnoteで話す内容は、そんな「パステリズムのステラ」に相当するほどに「りっかいくう」の御三方に噛み合う楽曲についての語りでございます。

ズバリ、煮ル果実さんの「ヘイヴン」です。

普段は友人と「この曲やってほしいよな」とか「この曲このユニットに刺さるくね?」というようなことを友人と内々で話すことが多いですが、今回はマジでりっかいくうの御三方に踊ってほしいです。「パステリズムのステラ」に並ぶ傑作になると思います。この記事が本人に届くことを願います。

願いが叶った前提で煽っとくか。
イェーイwアルセロくん、ユピテルくん、けんたくん、読んでる〜?w

ほんへ

そもそもこの曲は何?

まず、この楽曲についてご紹介をば。
2018年2月10日に楽曲「アンドリューがいったから」を発表しボカロPとしての活動を開始、「紗痲(しゃま)」「トラフィック・ジャム」「トリコロージュ」などを代表曲に持つボカロP・煮ル果実による楽曲であり、スマホゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」内の音楽ユニットであるVivid BAD SQUADに書き下ろしたものです。

そんなヘイヴンですが、テーマは上記の通り「音楽は自由」というもの。曲調自体、煮ル果実さんらしい独特なサウンドに加えて「ロック×ジャズ×ストリートラップ」というスタイルとなっていたり、やべぇ転調をしたりなどとっても自由です。りっかいくう自身、「モチベーションが死んでる」「救われ升」などからもわかる通り、「はしゃいでみた」の名を冠するほど自由奔放で、このテーマ自体がとても似合うと思いました。

とここまで楽曲紹介をしてきましたが、ここで後々使う専門用語もといエピソードをひとつ解説しておきましょう。「やるやんりっかいくう」です。

この配信で詳しく紹介されていますが、端的に言うと「彗星ハネムーンの撮影における裏話」です。
「なにやってもうまくいかない」までやってきたりっかいくうが次回作とした彗星ハネムーンですが、その中で露呈した「方向性の違い」。Pを交えた話し合い、もといすごい言い合いを経て、練習に身が入らなかったまま迎えた一回目の撮影ではグダグダ。その後のお通夜ムードな打ち上げの際にPが「撮影で納得いかなくてウダるの見るのもう飽きた。ここで腹割って話してくんねぇと終わりやぞ。」と宣告されたことで3人で本音を語り合い、問題点をリストアップした上で練習を重ね作り上げたのが現在投稿されている「彗星ハネムーン」ということなのです。

まとめると「バラバラだったりっかいくうの3人の向かう方向がひとつになり、絆を深めたストーリー」ということ。
しんどくて挫折しそうになったとき、いつだって3人で歩いてこれた。3人が自由にさせてくれた。
てことで、そんなフリーダムなりっかいくうで、フリーダムなヘイヴンを本格的に解釈していきましょう。

タイトルの意味は?

そもそも「ヘイヴン」って何なんでしょう。HAVENというのは「安息の地」といった意味がありますが、曲中ではそれらしいものがみあたりません。同時に「天国」という意味もあるこの言葉。天国は善い行いをした者が行き着く先であるため、「理想像」ということではないのか?と考えました。
理想像はどこにあるのか。それがこの曲の根幹なのでしょう。

1番Aメロ

散々な夜に 可燃性の言葉が
やたら気になって キリなくて
気付けば火傷して
正しく生きれなくて 矛盾と半端の瓶詰め
塗りたくってさ 嫌を樹脂で蓋する

『ああだこうだそうだ焦って競るばっかで
本来したいことは、とは? 出来てんの?』
人は云う『逃避行、有耶無耶な勘定』
沈んだ僕を君は色んな声で叱って
その度に宙に浮かべるんだ

初音ミクwikiより、Aメロ

「やるやん」を基に考えていきます。
『ああだこうだそうだ焦って競るばっかで本来したいことは、とは? 出来てんの?』と続く自問の言葉。焦って溜めてばかりで、本来やりたいダンスはできていたのか。これまでも似たような事態になったけどその度有耶無耶にして逃げて、耳にイヤホンをつけて外界の音を遮断するように蓋をして、そして今挫折に向かっている最中で。
そんな自問で散々な夜に沈んだ僕を耳が熱くなる痛い言葉で叱るメンバーたち。むろん相手方も同じでありそれも自分が叱り、宙に浮かぶ。そうやって叱咤激励して浮かんだ先に「ヘイヴン」があるのでしょうか?

1番Bメロ

壊れた幻想を愛せるなら
不慣れな現実だって愛せるかな
ずっと探しているんだ今日も明日も
辛くたって強がって辿り着けない

同上、Bメロ

現実を見てしまって壊れた理想像の欠片を愛せるなら、いまいま上手くいかない現実にも意味が見いだせるのかも。
そうして探し続けても見つけられないヘイヴンに辿り着くには、相当な覚悟が必要なのが、歌詞を考えるとわかってきました。彗星ハネムーンを作り上げた時も、もしかしたらそんな心持ちだったのかもしれません。

1番サビ

ヘイヴンは ヘイヴンは何処にあるんだ
思い出せる限りの希望を抱き締めるよ
笑い飛ばしてくれよメイリー
君といない世界は味気ない

正論や真実が火を生むなら
いつか虚構の雨を降らすからさ
離さないで。歌っていく
離さないで、歌っていく
どちらの意味も解る未来に
生を託して

同上、サビ

思い出せる限りの楽しい思い出、プライムに対抗して生まれたりっかいくうの持つ憧れた「希望」を抱きしめながらヘイヴンを探しています。

雨を降らすこと自体、とても途方がない道のりです。海で水が蒸発して、空へ浮かんで雨雲となり、雨となって陸へ落ち、陸が海へとその雨水を運びまた蒸発して……陸海空が一丸となって頑張らないと虚構の雨は降らせられない。
3人で歩かないと雨は降らせられないから、どれだけ辛くても彼らと一緒にいない世界は味気なくなくなってしまうから。
踊っていくから、手を離さない。だから手を離さずに踊っていく。やっと理解した言葉を胸に、希望を言葉に・ダンスに宿していくのでしょう。

2番Aメロ

暗転 がらんどうな部屋の中
惰性で吸うコンテンツ なぞる古典
憧れも消費して
『無意味を集めりゃ意味になる』
『不幸が続けば幸がある』とか
綺麗事でも信じてみようって もう何度目?

同上、Aメロ

場面が変わり部屋の中。ぐーたらと自分の好きなものばかり消費して過去の遺産の輪郭を見るだけ。
『塵も積もれば山となる』とよく言うし、これまで「モチベーションが死んでる」から確かに重ねてきた。だから綺麗事でも信じようと思ったけど、結局生まれた不満も惰性でなし崩し的にやってきただけなのです。
そんな逃げは何回目?と、回ってきたツケに対して、重ねたくないという気持ちの籠った目を開いて歩を進めていくりっかいくう。彼らには、これから何が映るのでしょうか。

Cメロ

いいんだよ もういいんだよ すべて
なのに いいんだと もういいんだと
思えず ずっと痛めて
何を守ってるの

壊れた幻想を愛したいよ
このまま現実だって愛したいよ
それでも最低が襲う夜は
いつだって傍にいる
心を澄まして

同上、Cメロ

いつか地に足をついて、普通に生きていくのだろうかという、この努力の行き着く空虚な末路を想像してしまう。
それでも「もういいや」と思えない3人は、「ここで腹割って話してくんねぇで終わり」にはしたくない3人は、進む方向が違っていてもきっと同じ想いを持っていました。やっとそれに気づいたのです。
壊れた幻想も、現実も愛したいから。たとえどれだけ最低な夜が続いても、3人で腹を割って、耳を澄まして言葉を重ねて、今こそヘイヴンを目指すのです。

ラスサビ

ヘイヴンは ヘイヴンはきっとあるんだ
思い付ける限りの理由を抱き締めるよ
笑い飛ばしてくれよメイリー
君のいない世界は味気ない

正論や真実が火を生むなら
いつか虚構の雨を降らすからさ
無謀だって思うだろ
夢想だって思うだろ
それでも信じる

同上、ラスサビ

ヘイヴンはきっとあるから
絵空事でも愛していくよ
がらんどうな部屋 灯る光
君と共に選んだ確かな今

ヘイヴンはきっと見つける
自分だけの鼓動を
離さないで。歌っていく
離さないで、歌っていく
どちらの意味も今は解る
生を続けて

同上

きっとあるヘイヴン、いま見つけたヘイヴンを目指し、思いつける限りの3人の理由を集めて雨を降らそうと駆け出します。
「邪道、蛇行、摩耗!」と、無謀な夢想だと思うのは間違いないけど、りっかいくうだからできること、りっかいくうじゃないとできない自由な今を信じて、きっとあるヘイヴンが絵空事でも、壊れた幻想を愛していこうと3人で頷き、確かな今を離さないで歌って踊っていきます。
本来生きるはずのない「着ぐるみ」たちによる生は、この記事を作っている今でも、読んでいる今でも続いていきます。いつかヘイヴンにたどり着くまで。いつかヘイヴンにたどり着いてからも。
笑い飛ばし、共に歩んでくれる仲間がいるからこそ、全てを愛していけるのです。


〆に

というのが、僕の考えた「りっかいくうのヘイヴン」でした。いかがだったでしょうか?
自由に理想像を、自分らしい様を目指す3人の「ヘイヴン」、ぜひ我々も見ていきたいですね。
これはあくまで僕の解釈なので、ぜひとも皆々様の持つ考えで展開して楽しんでください。その手助けになっていれば幸いです。
自由に音楽を愛し、自由にはしゃいで自由に駆け出していく。そんな決意を感じさせてくれる「へイヴン」、ぜひ楽しんでみてください。

あと良ければ踊ってください。良ければ。

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