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術後75日目 化学療法3回目・4日目 最後の病院食──副作用の波と、味わうということ
夜が明けると、いつもの副作用が身体を支配していた。
手足のしびれ。便秘。吐き気。筋肉痛。そして関節痛。
3回目の化学療法ともなると、自分の副作用の「パターン」が見えてくる。 どの症状が、いつ、どんな形でやってくるのか──その確信度は、回を重ねるごとに高まっていく。
「次はこれが来る」
そう予測できることは、一見すると安心材料のように思える。 でも実際は、「またこの痛みが来るのか」 という覚悟を強いられるだけだった。
それでも、今日という日は特別だった。 最後の病院食──これで、もうこの食事を口にすることはない。
病院食に向き合う「栄養士」としての目線
食事は、生きるための基本。
栄養士として、それを知識として学んできた。 でも、こうして病室のベッドの上で噛みしめる食事は、単なる栄養摂取ではなかった。 それは、「生きる実感」そのものだった。
「〇〇さん、お食事お持ちしました」
エプロンをした看護師さんが、いつものようにベッドまで食事を運んでくれる。
私は「ありがとうございます」と返しながら、無意識にスマホを手に取った。
習慣になっていた。食事の写真を撮ることが。
この食事を、私はもう二度と食べることはない。 でも、せめて記録には残しておきたい。 この味、この色、この形──どれも、闘病の記憶の一部だから。
ついでに、病院の週間献立表も写真に収めた。 この先、自宅での食事に役立つかもしれない。
栄養を超えた「食事の意味」
食は、心と身体を支えるもの。
だからこそ、栄養だけではなく、「味」「見た目」「温度」も大切にしたい。
病院食は、味が薄いとか、おいしくないとか、よく言われる。 でも、病気と向き合う人にとっては、それが「日常」になる。
「味わうこと」は、「生きること」そのものだと、身をもって知った。
最後の一口を飲み込んで、そっと箸を置いた。
「ごちそうさまでした」
心の中でそう呟いた瞬間、この場所との別れを実感した。
もう、ここには戻らない。
また食べたいけど、もう戻らない。
その矛盾を抱えながら、私は静かに病院を去る準備を始めた。
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