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術後70日目 化学療法2回目・20日目 「医師は機械か、人か─疑問の果てに見えた答え」
病院から傷病手当の書類ができたと連絡があった。 昨日は仕事中で電話に出られなかったが、今日もかけ直してくれたらしい。 明日の午後から入院するので、そのときに取りに行くと伝える。保険適用で300円。
ただ、このころの私は、医師の対応に強い疑問を抱いていた。
診察は、必要最低限の言葉で進んでいく。短い時間の中で効率よく情報を伝えようとしているのかもしれないが、患者としては、もう少し心の部分にも触れてほしいと感じてしまう。
私は製造業で働いている。 ラインに乗せられた製品が、決められた工程を経て、一定の基準を満たしているか検品される。 そこに感情はない。規格外のものは弾かれ、規格内のものは流れていく。
──私も、検品される側なのだろうか?
ふと、そんな考えがよぎった。
──もし診察がただの手順なら、薬の処方も『機械化』できるのでは? そんな考えが一瞬よぎった。──手術も「手術マシン」と解釈すれば、割り切れるのでは?
そう思ったら、不思議と腹が立たなくなった。 医師に対する期待があるからこそ、そのギャップに苦しむ。 ならば、最初から「機械的なもの」と割り切れば、余計なストレスを感じずに済むのではないか。
でも、どこかで違和感もあった。 もし本当に医師が機械と同じだとしたら? 私は、ただ与えられる治療を受け続けるだけの存在になってしまうのではないか。
「でも、結局は人対人。診察の一つ一つは短くても、積み重ねの中で信頼が生まれるのかもしれない。」 頭ではわかっている。 けれども、明日からの入院治療を思うと、どうしても気が重い。
【後日談】
このときの私は、医師をただの「作業者」として見なした方が楽だと思っていた。
でも、化学療法を6回終える日に、私は主治医に感謝の手紙を渡した。
手術・治療に対して一区切りをつける儀式のつもりだった。
しかし、後になって気づいた。
医師が機械ではないように、私もまた「流されるだけの患者」ではなかった。
検品ラインのように、ただ治療を受けるだけの存在ではない。
信頼は、待っているだけでは生まれない。
「医師が私を理解してくれない」と嘆く前に、自分から歩み寄ることも大切なのかもしれない。
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