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術後9日目:退院、そして人生の前倒し
退院日。
荷造りを終えた病室に、わずかに残る自分の気配。14日間歩いた廊下、見慣れたナースステーション、窓から見える景色——ここでの日々が、もう過去になろうとしている。
病院を出る前に、最後の院内散策をした。何度も歩いた廊下が、今日は少し違って見える。病棟のフロアからエレベーターに乗ると、浮遊感とともに胸がざわついた。ボタンを押せば、簡単に外へ出られる。でも、本当に"戻れる"のだろうか。
外の世界。
会計を済ませ病院の外に出ると、肌に当たる風の感触が違った。病棟の空調とは違う、9月の風。ほんの少し秋の気配を含んだ、季節の変わり目の空気。たった13日ぶりのことなのに、まるで異国にでも来たような感覚がする。
我が家に到着。玄関のドアを開けると、そこにあるはずの"日常"が、どこか遠く感じる。
栽培していたかぼちゃは、入院前よりも大きくなっていた。私はしばらく止まっていたのに、世界は何事もなかったかのように進み続けていた。
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手すりを握りしめながら、慎重に階段を上り部屋に向かった。お腹に力が入らない。腰も痛む。これまで無意識にこなしていた動作が、一つひとつ負担になる。
止まった時間と進む時間。
部屋に入ると、机の上にはスタンバイ状態のPC。あの日のまま、電源すら落としていなかった。まさか入院するなんて思ってもいなかったから、時間がその場で凍りついている。
退院時の荷物を仕分けしながら、ふと気づく。
「これは、次の入院の時にも持っていくか……。」
無意識に、"次"を考えている自分がいた。
退院したはずなのに、解放感はない。治療はまだ続く。がんと向き合う生活も続く。脱毛に備えて、美容院の予約を取った。
"人生の前倒し"
ふと、考える。
私は、親が生きた(生きている)歳まで生きるのが当たり前のように思っていた。でも、その前提が変わってしまった。今は、人生を前倒しして考えなければならない状況になってしまった。
病院を出たからといって、すべてが元通りになるわけじゃない。"今まで通り"には生きられない。これが今の私の現実。