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雑居ビルを眺めながら 7

昔、街中の商業ビルで働いたことがある。閑散という言葉を知らない、今ほどオンラインも充実していなかったから、買い物と言えば街歩きに近い頃の話。遅番のシフトで入ることの多かった私は、午前11時出勤、休憩は午後3時で、ラッシュとは無縁の生活を送っていたが、いつでも街中は人で溢れていた。

お昼は最上階の休憩室で取ることが多かった。殺風景なパイプ椅子に腰掛け、窓の外を眺めると、すぐ目の前に隣のビルが押し寄せ、その隙間を縫うように雑居ビルが見渡せた。通りを歩く人の姿が小さく見える。こうして見下ろしていると、自分という社会の中の小さな存在がより矮小に浮き出てくるような気がした。コンビニで買ってきたスイーツの袋を無造作に置いたまま、作ってきた弁当の包みを開ける。非正規の雇いなので、毎日昼を買う訳にはいかない。

思い起こしてみると、当時は非正規であることが当然だった。実際、働いていたショップの店長も非正規だった。時代の流れといえば簡単だが、正直しんどかった。それでも、自分が何のために働いているかの役割や使命があればいいのだと、無理やり言い聞かせていたように思う。そのためには雇用形態は関係ないのだ、と今となってはそんなはずないのだが、そうでもしなければ生きて行けなかったのだった。

それでもしんどいことに変わりはなかった。当時の宮城の最低賃金は700円くらいだったから、時給が1000円を超えることは容易ではなかった。掛け持ちもしていた。週休2日なんて程遠かったが、それでも辛くて転職する人は多かったろう。そこでも苦労は多い。たとえ店長を経験しても、非正規であることで能力がなかったのではと思われることはざらにある。氷河期時代を知らない世代はなおのことだし、その傾向は今の方が強いのかもしれない。

もちろん楽しいことがなかったわけではない。違う職場ではチーフも経験した。だが長年、販売に携わって思うことは、経済の中で動く物とお金の関係が必ずしも人を幸せにはしていないということだ。量産される物の傍らで枯れる技術と、それを掬いあげようとして吊り上げられていく値段(致し方ないとわかっていても)、そして量産される模倣品。売れ残ったものの行きつく果て。在庫管理をすれば、データ上、いかに効率よくそれをゼロにするかを考えなければならない。

この世界が正常に動くはずはないだろう。いびつなまま、それでも日々は続いていくだろう。だからこそ、どうにかしたいともがくだろう。そんな日々の積み重ねが何かをせき止め、一方で日常を壊していく。あの日、何を諦めてしまったのだろう。

ほんの束の間与えられた休息に、人は何を思うだろう。空の高さを思うだろうか。逃げ出したい思いと疲労感だけを抱えるだろうか。窓の外の雑居ビルに当時の自分が何を重ねていたか、今となってはわからない。休憩室についていたテレビの、ワイドショーの音声と煙草のにおい、出がらしのお茶と今日が終わったら行きたかった場所。遠く線を引く飛行機。そんなことばかりを思い出してしまう。

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