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「自分の時間」を生きるということ
初めてのグアム旅行で、外国人家族がビーチでただただのんびり過ごしている光景に衝撃を受けた。
それまでの私にとって、旅行といえば「ガイドブックに載っている観光名所やレストランをどれだけ多く回るか」というものだった。
いつも時計を気にしながら、行く先々でそこに行った事実を証明するための写真を撮った。
美しい景色は、いつもカメラのレンズから見ていた。
帰宅すると疲れきっていた。
「バケーション」とか「ホリデー」という概念が、わたしたち日本人にはあまり馴染みがない。
多くのサラリーマンが、休みは長くて1週間、有給を使うと罪悪感とともに出社し、お土産を配って回るという具合だ。
しかし多くの欧米諸国では、年に1ヶ月もしくはそれ以上のホリデーが、労働者の権利として認められている。そもそもホリデーを楽しむために働いているから「仕事<休み」が当然の感覚だ。
そんな彼らの休みの過ごし方は、非常にのんびりしている。何せ時間がたっぷりあるからだ。
当時の私は、「あー!だからみんなビーチで(本を顔に乗せて)昼寝するんだ!」とハッとしたのを覚えている。
この事実に気づく前は、彼らは観光もせずに「せっかくの時間を何もしないで無駄にしている」と思っていた。
しかし実際は、「何もしないという贅沢な時間を過ごしている」のだった。
私たちは常に、時間やノルマ、周囲からの期待や自身の執着といった、多くのものに追われている。
それほど不満もないが、満足感もない日々。
『多忙な生活の不毛さに気をつけよ』ソクラテスの言葉は的を得ている。
忙しさで充実感を感じるのは危険だ。
では、充実した時間とは何だろうか。
「This is the life (これぞ人生) 」と、自分が「生きている心地」を味わえる瞬間ではないだろうか。
人生は一度しかなく、やり直しもできない。過ぎた時間は取り戻せない。
だからこそ、不満を抱えて生きている暇なんてない。
「本当はこうありたい」と心のどこかで思いながら、昨日と変わらない日々をなんとなくやり過ごすことは、「誰かの時間」を生きているのと同じだ。
未来は明日からではなく、今この瞬間から始まっている。ぜひ今すぐに、「自分の時間」を生きることに正面から向き合ってほしい。
今日もあなたが幸せでありますように。