見出し画像

丁寧な暮らしとは

昨今よく聞く「丁寧な暮らし」。
褒め言葉としても聞こえているが、時々バカにされているように聞こえて、
ちょっと前までには、「丁寧に暮らそう」をあまり意識しないようにしていた。

だんだんと、自然と一緒に歩むことこそ、しあわせというか、生き物そのものとしての知恵を身につけられて、強く生きて行ける気がしてきた。
世間が言っている「丁寧な暮らし」とは同じものなのか分からないが、じっくり身周りの環境やできことを味わって、確実に、誠実に生きたい。

まずは理解すること、受け入れることが大切。
自分の身体に起きていること、置かれている環境、心が感じていること。
体のここが痛いとか、違和感があるとか、環境は変えられないけど、自分はなぜここにいるか、そして、自分はそれが好きかどうか。

おそらく、誰が正しく、誰が悪であることがない。何事も悪から始まって、一人だけが悪いわけじゃないから、いろんな経験や歴史、たくさんの要因が目の前の状況を作っている。

ただ、自分の思う「良い方向」に持っていくことができると思う。
体に良いことがしたいと思って、毎日ファーストフードを食べるなんて人がいないと同じ、何かしらの努力もしくは変化をするはず。それが、少しずつ積み重ねてゆけば、変わっていく、世界は多分こうやって、毎日毎日、変わっている。

人はそんな簡単に変わらない。人を変えるより自分が変わったほうが早い。
環境も同じ。それを理解して受け入れるには、場合によって時間が必要かもしれないけど、では「自分から変えよう」「できることから何をしよう」と、そう思える人が増えていれば、どんどん変わって行けるでしょうか。

永遠がいない、「万事無常」だからこそ、「丁寧な暮らし」をして、理解と受け入れを練習することが大切だと思う。


例えば、毎日の食生活、それによって変わる自分の体調(最近ようやく月の満ち欠けで変化する自分の体調を理解してきた今頃)、さらに、そんな自分の普段の行いと居る環境からの人間関係。そう考えると、私も、自分はまだまだだと再認識する。

次のステップに突入したことに、必ず何かつらいこと、心苦しいことがいろんな形で現れる。それを批判したり、拒絶するよりも、「今、どういう状況?」「私はどう感じているか」「私はそれを胸を張って言えるのか」を確認できたら、勇気を出して進めばいい。

小さな生活習慣から大きいな決断まで、暮らしそのものであり、「丁寧に」行っていけば、良い変化につながっていくことを日々願っている。


どんな日でも
ラブ、な毎日!

いいなと思ったら応援しよう!

a k i
こんな文書でも読んでいただき、いつもありがとうございます!