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世界のどこにも、存在しない景色を
理想のプロポーズの言葉だと思い込んでいるセリフがある。
『まおゆう』という作品に出てくる魔王というキャラの
「あの丘の向こうを共に見に行こう」
というものだ。
これだけ読んでもたぶん意味がわからないと思う。だから説明させてほしい。喉に刺さった小骨は必ず取るから。
『まおゆう』という物語を乱雑に表現すると、「ここではないどこかを目指す物語」だ。
舞台設定は誰でもわかる王道のファンタジー。しかし幕は本来のクライマックスから始まる。魔界の深奥にて、勇者と魔王が語り合うところが第一幕だ。
勇者は当然、魔王を倒そうとする。しかし魔王は戦う気配を一切見せず、紙の資料を使ってある事実を勇者に示す。それは、「どちらが勝とうが、世界は現状より悪化する」という不都合な事実だった。
戦争によって生まれた協力体制、それによって減った飢餓や貧困。戦争がなくなればどちらかは本当の地獄となり、どちらかはかつての世界に戻る。
それを踏まえた上で魔王は言う。
「だから勇者よ、違う未来を見に行こう」
「魔族の勝利でも、人間の勝利でもない未来を」
「誰も見たことがない世界を」
「あの丘の向こうを、共に見に行こう」
何度読んでもセリフの重みに心が震える。情報量の大きさに脳がわめきだす。僕にとってはそんなセリフだ。
同じ夢を見ている人を、仲間って呼ぶんだ
もうちょっと論理的に書かないと伝わらないと思う。なのでここでは有名なビジネス書からとある話を引用させてほしい。
『サピエンス全史』というめちゃんこ面白くてめっちゃんこ読むのに苦労する本がある。
どんな本かガサツな表現でまとめると「人間ってどっから来て、何をしてどうなって今の人間になったの?」を考察していく本である。
面白いエッセンスがたくさんあるんだけれど、今回紹介したいのはそのうちの1つ。
「人間の最大の武器は幻想を信じられること」
という部分だ。
どういうことかというと、人間と他の動物を分ける最大の違いは「幻想を信じられること」にあるらしい。
チンパンジーなどの動物も言語らしいものを持っているし、たまには嘘をつくこともある。
でも「ライオン」「水」「食べ物」といったものを声で表すことはできても、「守護神」「カッパ」「パンをくわえて走る女子高生」を表すことはできない。
この世に存在しないもの、幻想を語ることはできないんだ。
それができるから人間は集団としての強さを発揮できた。「一族」や「国家」や「宗教」を信じ合うことで、とんでもない数の人が協力することができた。
でもだからこそ弊害もある。
「自分と同じ幻想を信じている人がいない」
そんな時に、協力関係を結びにくいってことだ。
カラオケで披露した曲に怪訝な顔をされた時や、将来の進路について話した時、これからの人生について語り合った時にその弊害は出てくる。
「あの丘の向こうが見たい」
と思う人が自分以外にいなければ、自分は世界に一匹の動物なのと同じだ。
ここまで書いたけれど、まだ疑問は残っていると思う。
「同じ夢を抱いた人がいて嬉しいってのはわかった」
「でもそもそも、なんで丘の向こうが見たいの?」
という感じかもしれない。
それじゃあ次はその部分を説明させてほしい。
新しさに取り憑かれた人を、天才って呼ぶんだ
『天才を殺す凡人』という強烈なインパクトのあるビジネス書がある。読む前とあとで世界が変わるような一冊だ。
その中では人を3種類に分けていて、それぞれ
・天才
・秀才
・凡人
と呼んでいる。
この3者を分けるのは能力値とかそういうものじゃない。もっと内面的な、「価値基準」とか「行動基準」と呼ばれるものだ。
ランチのお店でも、味で選ぶ人もいれば接客で選ぶ人もいる。そんな風に「何を基準にして判断するか」という違いだ。
・天才
「創造性」で判断する。「それは新しいか?今までにないか?」と考えがち。
・秀才
「再現性」で判断する。「それはルールに沿っているか?論理が通っているか?」と考えがち。
・凡人
「共感性」で判断する。「みんなにどう思われるか?自分はどう思うか?」と考えがち。
という感じだ。
そしてここからはかなり僕の感覚に基づいた話になってくる。客観的なデータはないので1人の意見として聞いてほしい。
この本の中でいう「天才」は数が少ない。秀才や凡人に比べて、世の中の人口が圧倒的に少ない。
僕の感覚では「凡人:70、秀才:25、天才:5」くらいだと思う。
だからこそこの本の中でも、「天才は多数決によって凡人に殺されることがある」と語られているのだろう。
長くなったけれど、そもそもの「なんで丘の向こうを見たいの?」に話を戻そう。その理由を一言で表すと「天才だから」だ。
「まだ見ぬものが見たい」「新しいものが見たい」「世界の、時代の、最前線に立っていたい」
「よく見知った世界の中で安全に生きるくらいなら、未知の世界でのたれ死んだほうがずっと楽しい」
そんな自分でもよくわからない衝動に取り憑かれている。それが天才と言う人種だ。
その衝動を持っている人は多くない。その価値観、その幻想を持っている人は多くない。同じ夢を描ける人は本当に少ない。
だからあの言葉の本当の価値は、「サピエンス全史」と「天才を殺す凡人」の2つを読んでようやくわかったんだ。
あの丘の向こうに、共に行こう
あまりにも少ない天才という人種。出会うことがまず難しいのに、その種族の中でも、同じ夢や同じ未来を描けるかどうかはわからない。
ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズのように、天才同士でも違う未来を描いてしまうかもしれない。
だからこのマンガの、このセリフに胸が熱くなる。自分と相手を同じ種族だと見抜き、同じ幻想や夢を描いていると認め、その上で同じ未来を目指そうと誘った。
その熱に、その情報量に、その想いに、いつもやられてしまう。
私を構成する5つのマンガ
僕を構成する5つのマンガはほぼ同じ根っこがあると思う。ここまででずっと語ってきた「見たことがないものを見たい」という熱だ。
自分にしか撮れない映画のために常識を捨てる青年。
安全な暮らしを捨てて未知と危険の潜む穴に潜る少女。
情や共感性を捨て去って自分の限界を超える少年。
美食の追求のために冷静な計算の上で狂気に至る少年。
それぞれがそれぞれに「丘の向こう」を目指しているのだと思う。
もしこの記事を読んで少しでも熱くなるところがあったなら、これらの作品を手に取ってみてほしい。
あなたも「丘の向こう」に行きたくなるかもしれない。
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