【シンガポール 14日間ホテル軟禁日記】#20_そしてシャバに出る篇
2020年8月17日、シンガポールに5ヶ月ぶりに入国。
入国後14日間はシンガポール政府指定ホテルでの滞在が義務付けられている。その14日間+前後数日で、起きたこと、思ったこと、考えたことの記録。
※誤った情報が含まれる可能性、個人の思い込みや考えが多分に含まれていることはご容赦ください。
【Day 15】~酒と自由と効率
月曜日にシャバに出て、いま木曜日の深夜です。ほぼ4日が経過しようとしています。
だいぶ更新をサボってましたが、それはすべてこいつのせいです。
我慢した甲斐あって、とにかく美味しすぎる。14日ぶりの命の液体に、全内臓が喜んでいるのが分かりました。
こいつを飲めば飲むほど、文章を書くための脳の機能は正常さを失うため、ホテルを出てからのこの3日間、noteを書くことがままならない状態でした。しかし今日は、なぜだかほど良い酔い方でむしろ元気なので、軟禁生活終了を迎える日にあった出来事を書いてみたいと思います。
■勢いを増す投稿圧力と後を濁さない鳥の精神
「こっちから電話するまで勝手に降りてこないでね」とホテルから何度か言われており、僕のチェックアウトタイミングは12:15~12:30くらいと前日に伝えられていました。
朝起きて、この14日間継続してきた筋トレをして、2日前の深夜から日課になってしまったCupsダンスを数回やって、朝食の写真を撮ったりしていたらシンガポール時間の朝9:00になり、打ち合わせが始まったり仕事の電話がかかってき始めたりする、そんないつもの朝です。
↓Cupsダンスについて
ちなみに最後のご飯はこれでした。
朝食における豆スープ率は、前日までで12回中6回入っている、という状況だったのですが、この最後の食事をもって13回中7回となり、豆スープの勝ち越しが決定いたしました。
↓食事を全部並べてみた日記
そして食事にはお決まりのポストカードが添えられています。この1週間で急激に増してきている「トリップアドバイザーへのレビュー書いてね☆」圧力は止まることを知らず、ついに「SNSに投稿して!」というより強い依頼となってフィニッシュを迎えました。
さて、そんないつも通りの朝ではありつつも、チェックアウトに向けた準備を進めます。
自分の荷物の整理は早々に終わったので、勝手に移動させていた部屋のデスクやベッドを元の位置に戻す作業に入ります。ソワソワしていたこともあり、結構時間に余裕ができたので、入室した時の写真と見比べて、クッションの位置まで揃えてやりました。
■スムーズなチェックアウト、最後の失敗、そして出会い
もうすぐ12:00だなー、というとき、部屋の電話が鳴り響きます。
「もうチェックアウトできるから降りてきて」
隣の部屋の電話も鳴っているのが聞こえたので、2人ずつくらいセットに呼ばれているのでしょう。案の定、部屋の外に出ると、PCR検査のときにもいっしょにエレベーターに乗ったフィリピン人も隣の部屋から出てきました。お気に入りの「JAPAN」キャップを今日もかぶっています。
1Fに降りてチェックアウトの手続きは、非常にスムーズでした。鍵と前日の夕食に挟まっていたレター(「PCR検査の結果を受け取っており、結果が陰性だったことを約束します」という誓約書に署名したもの)をレセプションに渡したらサクッと終了。
この後Grab(東南アジアでもっともメジャーな配車アプリ)で呼んだタクシードライバーが教えてくれたのですが、ホテルによってはこのオペレーションに非常に時間がかかることもあるそうです。
チェックアウト作業自体はそんな感じで一瞬で終わったのですが、ロビーでGrabを待っている最中、サブのスマホを部屋に忘れてしまったことに気づきました。
慌ててホテルのスタッフに事情を伝え、カードキーを発行してもらってエレベーターに乗ります。
するとそのエレベーターに、一人の女性が駆け込んできました。ホテルの人も止めようとしますが、早口で何かを伝えています。
ホテルの人としゃべってるなーと思って見てたのですが、どうやらホテルの人は納得したっぽい、というか僕の方を見てしゃべってるっぽい、というか僕にしゃべりかけてるっぽい…?
エレベーターが閉まって、完全に僕とその子だけになっても早口で何かをしゃべっていたので、「ごめんなさい、なんでしょう?」と話を聞くと、ようやく僕にもわかる速度で説明してくれます。
「PCR検査を受けて部屋に戻るエレベーターでいっしょだったんですけど、覚えてます…?」
マスクだからよくわかんないのと、たかが数分話しただけだったので完全に忘れてしまってましたが、確かにそのときの女の子でした。
1年間、新潟大学に留学していた、とそのとき説明してくれてました。僕が東京ではなく大阪から来たと伝えたら、大阪についていろいろ質問したがってましたが、廊下で長話するわけにもいかず、それぞれ部屋に戻った、という出来事がたしかにありました。
「せっかく覚えた日本語を忘れたくないし、日本についてもっと学びたい」と思っているそうで、ロビーで見かけて連絡先を聞きに来てくれたといういきさつでした。まあたしかに日本には当分行けないだろうから、シンガポールにいる日本人は捕まえておきたいのかな…。でもだったらあんな早口じゃなくて日本語で言ってくれたらよかったのに、とは思いましたが。笑
それにしても、人と接触することを禁じられた14日の間でゼロからの友達ができるって、すごいですよね。MOM(シンガポール労働省)にバレたらぶっ飛ばされるのかな…?
■来世は
最後の最後でそんな出会いもありながら、家に帰ってきて念願のビールを身体に染み渡らる日々が続いています。
人生でこれほどスマホの充電切れに緊張感をもった日々はありませんでしたが、その根源となっていた監視アプリは最後までちゃんとしていて、自らの役割を終えたことをきちんと伝えてくれています。
あれだけ「アプリ起動やめるんじゃねーぞ」と常時脅してきてたのに「もう俺のことはアンインストールしてくれていいぜ」と言ってのける潔さと漢気、緩めのイラストにもかかわらずカッコ良さを感じます。
生まれ変わってアプリになるなら、こういう生き方をぜひしたいですね。