「ボヘミアンラプソディー」 クイーンの時代
他SNSで書いた18/11/30の日記です。よければ。
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「何度 馬鹿にされても 苦しくて倒れそうになっても
立ち上がって 前を見て 進むんだ」
こんな言葉を聞いたら「ロッキー」?を思い出す。
いえ、違います(ロッキーは素晴らしい)
映画ボヘミアンラプソディーを見て、こんな裏テーマがあるなんて思いもしなかった。
”騒ぎ立てる少年よ 今は街で遊んでいるけど、いずれ大物になるであろう
We will rock you
洋楽を聴き始めたのは小学校高学年で昔なら早熟だったのかな?ビートルズでひっか かったのが「ワインディングロード」に「サムシング」に「ゲットバック」とか偏向ぎみ? あと、サイモン&ガーファンクル、ママス&パパス、ビージズ、カーペンターズ そいで ABBAとかかな~。どれも耳にいいよね。ロックのグルーブとか知らなんだ モノラルのラジカセで聞いていたんだ。
”今夜、俺は心底楽しむつもりだ 生きてて良かった、天と地がひっくり返ったような気分を味わう
Don't stop me now
中学へ入って洋楽を聞く友達がぼちぼち現れはじめて、米屋のYがKISSファンで「ドラム セット揃えたってよ~」って話で注目のまとに、土建屋の社長の息子トムクルーズ似の激モテ男(まだトムクルーズデビュー前)Hがクイーン狂で…ってどっから情報が入って きてたんだろう。類友なのかな。俺は中3にはすっかりZEP狂に。高校入ったらボンゾーさんとジョンレノンが死んじゃった。
”ラジオよ、ニュースはあるか? 知るべきことはすべてラジオから聞いていたんだ
Radio Ga Ga
憂鬱で倦怠な高校生活を支えてくれたのがロックだった。もち、すぐバンドを組んだ。 ソフトケースのギターを背にチャリで出来たてのR港線をひた走りTの家へ。 もっぱらタバコふかしてただけだったかな。そのうちに俺んちが溜まり場に。ほとんど 麻雀部屋だった。常時4-5人居て、酷い時は10人位にも。なんせ、離れの親の目が届き にくいという絶好の環境で。
・戦慄の王女 - Queen (1973年)
・クイーン II - Queen II (1974年)
・シアー・ハート・アタック - Sheer Heart Attack (1974年)
・オペラ座の夜 - A Night at the Opera (1975年)
・華麗なるレース - A Day at the Races (1976年)
・世界に捧ぐ - News of the World (1977年)
・ジャズ - Jazz (1978年)
・ザ・ゲーム - The Game (1980年)
ここから省略ですんまそん・・
「オペラ座の夜」から後追いで聴き始めて、「世界に捧ぐ」で追いついて、、って感じかなあ クイーンの全盛期って何時?みたいな話題もあるらしいが、70年代後半だよねえ。 映画にもあったように、フレディーのソロがライブエイドの前後ってのもあるし。 実質10年ないのか。それ考えるとすごいな。20~30年やってるかと思った。
今、便利な時代でyoutubeで色んな記録が見れて、当時のインタビューとか見ると、 フレディーなんか割とさらっと飄々と受け答えしてるが、内心、忸怩たる思いも あったんかな~
選ばれし者の恍惚と不安か、、
”僕に石をぶつけ顔につばを吐きかけようと思ってるんだな
僕を見殺しにしてそれでも僕を愛していると言うつもりか
ああ 君がそんな仕打ちをするなんて
すぐに逃げ出さなくては、今すぐ ここから逃げ出さなくては
何もたいしたこと無い
誰もが知ってることさ
たいしたことじゃない本当に僕にはたいしたことじゃないさ
どっちみち 風は吹くのさ
Bohemian Rhapsody
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と、映画「ボヘミアンラプソディー」の感想でもないものをお見せして申し訳ありません。映画評は出尽くしてるので、自己紹介がてら自分の音楽遍歴の一部を書いてみたものです。高校卒業前後に怒濤のパンク&ニューウェーブ時代がくるのですが又の機会に、、。
#ボヘミアンラプソディー #クイーン #フレディーマーキュリー #日記