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世界で最も卓越したオーナーブリーダー、アガ・カーン殿下が逝去(フランス)

 カリム・アガ・カーン殿下の逝去により、競馬界はひとつの象徴を失った。殿下は長い年月をかけて世界で最も卓越したオーナーブリーダーのひとりとなった。その名前、勝負服、そして傑出馬たちは競馬史に深く刻み込まれることになるだろう。先祖代々の伝統「馬への尊敬と愛情」を受け継ぐこの“競馬界のプリンス”のキャリアを振り返る。

 深淵なる悲しみ。カリム・アガ・カーン殿下は(88歳)はリスボンで家族に見守られながら安らかに息を引き取った。この最も象徴的なサラブレッドのオーナーブリーダーのひとりが最期を迎えたのは、2月4日から5日にかけての夜だった。ハーバード大学でイスラム史を学んでいた20歳のとき、カリム殿下は祖父アガ・カーン3世の後継者に指名される。伝統では父アリ・カーン殿下が継承するのが望ましいとされていた。1957年7月11日、タンザニアのダルエスサラームにおいてイスマーイール派の第49代イマームに即位。世界2番目のイスラム教シーア派の一派であるイスマーイール派は、存命の世襲イマームによって率いられている唯一の宗派である。殿下は即位後、必要なだけ時間をかけて学問を修めた。職務を遂行するためには学問が不可欠だと考えたからだ。しかしそのわずか3年後、父の突然の死をうけて、意に反して馬の世界を発見することになる。

 殿下はかなり逡巡した末に一族の馬産の伝統を引き継ぐことを決意し、すぐに大成功を収めた。とりわけ馬主一年目の1960年は例外的な年だった。わずか2ヵ月余りのあいだに、シャルロットヴィルが仏ダービー(ジョッケクルブ賞)とパリ大賞、シェシューンがゴールドカップ(ロイヤルアスコット開催)とサンクルー大賞、プティッテトワールがコロネーションS、そしてヴェンチアがセントジェームズパレスS(ロイヤルアスコット開催)とサセックスSを制した。さらに嬉しいことに、若きアガ・カーン殿下は47勝を挙げ、賞金118万7810フランを獲得し、フランスのリーディングオーナーに輝いた。これは競馬史のなかで最も美しい一ページの始まりだった。その後16年のあいだ、殿下の馬はすべてフランスで調教された。1964年にはフランソワ・マテ調教師がアレック・ヘッド調教師の後任となった。そして1977年、殿下はシャンティイ近郊のグヴィユーにエーグルモン調教センターを創設した。同時に、たてつづけにふたつの大きな買い物を行った。フランソワ・デュプレ氏とマルセル・ブサック氏の厩舎の馬を購買したのだ。殿下の繁殖牝馬は1977年には75頭だったが1980年には164頭に増え、英国のレースにふたたび馬を出走させる決定が下された。1983年にフランソワ・マテが死去すると、アラン・ド・ロワイエ=デュプレが後を引き継ぎ、2021年に引退するまで殿下の馬を管理し続けた。2005年には、殿下はジャン=リュック・ラガルデールの所有馬の購買を申し出た。そして一頭の種牡馬(リナミックス)、繁殖牝馬62頭、現役競走馬74頭、1歳馬42頭、当歳馬43頭の合計222頭を引き受けた。どれもが妥当な判断であり、殿下の生産事業は過去65年間で最も実りの多いもののひとつになった。また殿下の有名な勝負服(グリーンに赤いエポレット)は世界最大級のレースの優勝馬リストに載っている。

 主な勝利は以下とおりである。このほか世界中で多くのG1で勝利を収めている。

英ダービー5勝 シャーガー、シャーラスタニ、カヤージ、シンダー、ハーザンド

愛ダービー6勝 シャーガー、シャーラスタニ、カヤージ、シンダー、アラムシャー、ハーザンド

仏ダービー7勝 シャルロットヴィル、 トップヴィル、ダルシャーン、ムクター、ナトルーン、ダラカニ、ダルシ

愛オークス2勝 エバディラ、シャワンダ

仏オークス7勝 シェマカ、ヴェレヴァ、ザインタ、ダリャバ、ザルカヴァ、サラフィナ、ヴァリラ

凱旋門賞4勝 アキイダ、シンダー、ダラカニ、ザルカヴァ

 殿下に最後の大きな興奮をもたらしたのは名牝タルナワ(ダーモット・ウェルド厩舎)だ。このシャマルダルの牝馬は、2020年にヴェルメイユ賞(G1)、オペラ賞(G1)、BCターフ(G1)を制覇するという偉業を成し遂げた。飽くことを知らない競馬への情熱は、当然のように娘のザラ王女に受け継がれ、彼女は今や一族の伝統を永続させるという重責を担うことになる。彼女は真のホースウーマンであり、長い年月をかけて種牡馬選びに関する優れた知識と見事な技巧を身につけてきた。彼女の服色(グリーンに茶色のエポレット、茶色の帽子)は、特にG1・3勝を挙げたマンデシャのおかげですでに最高レベルで目立つようになっていた。マンデシャはアスタルテ賞(G1 現ロッチルド賞)、ヴェルメイユ賞(G1)、オペラ賞(G1)で勝利を挙げている。

 カリム・アガ・カーン殿下はまた、シャンティイの街と永遠の絆で結ばれ続けるだろう。2005年に殿下はシャンティイの保護と発展のための財団を設立し、個人的かつ無欲の貢献をしたのだ。その行動がとりわけ奏功して、シャンティイ競馬場が修復され保存されることになった。

 このめったにいない偉大な人物の死去により、競馬界は真の象徴を失う。そして大きな空白が残されるだろう。

アガ・カーン殿下の調教師たち

 馬主としてのキャリアを通じて、カリム・アガ・カーン殿下はいつも調教師に忠実だった。1957年に祖父の厩舎を「相続」したとき、ひきつづき主要トレーナーのフランソワ・マテに所有馬を預けた。その関係は1983年のマテの死去まで続いた。その後、エーグルモン調教センター(グヴィユー)の舵取りをアラン・ド・ロワイエ=デュプレに任せた。そして、ザルカヴァを手掛けたこの調教師が2021年に引退するまでコンビは続いた。現在は、フランシス=アンリ・グラファールがこの有名な勝負服の運命を握っている。ミケル・デルザングルにも数年前から数頭が預託され、ジャン=クロード・ルジェも10年ほど前から数頭を預かっていることは特筆すべきである。アイルランドではダーモット・ウェルドとジョニー・ムルタに所有馬を託している。マイケル・スタウトとジョン・オックスも長いあいだ殿下の所有馬を管理していた。

Par ParisTurf.com

[Paris Turf 2025年2月5日「Le prince Karim Aga Khan est décédé」]

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