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映画「息子のままで、女子になる」を観ました。

映画「息子のままで、女子になる」を観ました。
トランスジェンダーの生きざまのあまりにもリアルなドキュメンタリーを描いた話題作。
6月19日から公開されていますが現在は東京と名古屋のみの上映であり、東京での上映も延長されたとはいえ7月9日まで限定ということで、貴重な機会を逃すまいとさっそく映画館に足を運びました。
比較的小さなスクリーンということでそれほど密な状況になることもなく安心しましたが、見渡したところ男女半々といったところで一人で来場している人が多く、静かな空気の中にもこの映画への関心の高さと熱気を感じました。

この作品は映画というよりは、ほぼ完全なドキュメンタリーです。
LGBTやトランスジェンダーをテーマとした映画はいくつもありますが、基本的にはそうした創作やストーリーとは異なり、約105分のほぼ全編がカメラがありのままのサリー楓さんを追いかけたインタビューか流し撮りで構成されています。
ユーチューブで予告編として楓さんのインタビューの一部が公開されていますが、まさにその全体像をよりリアルにまとめられた作品だといえるでしょう。


サリー楓さんの魅力。
それは数々のインタビューに対する答えを聞いているだけで、いっきに彼女の世界に引き込まれる世界観に尽きるでしょう。
決してすべての問いに整然と流暢で論理的に回答しているわけではないけど、ときどき見せるあどけなさや心の揺らぎや彼女自身との葛藤がかえって誠実で飾り気のない楓さんの人間性をありのままに伝え、その奥底に燃えたぎる信念と熱意が聴く人の心をとらえるとき、自然と彼女の生き方やあり方に共鳴している自分がいるのではないでしょうか。

映画に限らず直接的であれ間接的であれジェンダーをテーマとしたタイトルと接するとき、その作品の底流に流れる社会性やメッセージ性ゆえに、どちらかというと主人公に感情移入しつつも、そこはかとなく創られた物語感を感じたり、ストーリーから打ち出される正義感や人間観に共感しつつも、ややもすると概念的な命題に誇張や脚色の香りをとらえることもあります。

この映画には、それが一切ありません。
あたかも、楓さんとリアルに対話しているかのような世界観の中で、彼女の強みや持ち味はもちろん、弱みや盲点すらさりげなく共有している自分がいるかのような・・・
観る人が女性であればよりリアルに女性の視点から、男性であれば男性の立場でリアルに社会と対峙する視点から、年長者であれば人生の先輩として年輪を刻んできた視点から、年少者であればすでに経過した年齢の過ごし方の目線から、いずれも彼女の生き方や言動にある種の対等性を持って対峙できるかのような余地が、この作品にはあります。


ストーリーの最大のヤマ場は、楓さんの父親が登場する場面。
両親に電話してドキュメンタリーへの協力を求める場面がありますが、「そんな恥ずかしいことは無理」と答える母親と、抵抗感を示しつつも「自分が決めたことなら」と最後は了解する父親。このリアリティーは脚色によっては決して表現できないゆえに、あらゆる人の心をえぐるものがあると思います。
数々のインタビューにも登場する父親からは、その言葉だけでなく表情からも、素直で柔軟で協力的な人柄が読み取れます。この存在感を見て、多くの人はある種の安堵感を覚え、おそらく父親世代の人は父親の葛藤に感情移入し、あるいは時代の変化や人々の意識の変化をリアルに感じ取るのかもしれません。

でも、そんな父親のなごやかで柔らかい表情とは裏腹に、楓さんは父親との間に一定の距離を感じ、柔軟な態度に心から感謝しつつも、今でもある種の葛藤を抱える姿が描かれます。親と子の関係。この複雑でとらえどころがない実存を知るものには、あえて解説など必要がない対峙と間合いがそこにはあります。父親のセリフにならないセリフにあえて行間を読む同世代人には、静かなうちに心に突き刺さる問題提起が残像に残るのかもしれません。

楓さんは絶対に優勝したいと意気込んでビューティーコンテストに出場しますが、コンテストに向けて日夜を惜しんで努力していく姿が余すところなく映し出されるものの、結果は惜しくも優勝を逃してしまいます。しかも、審査員からは「あまりもダンスが下手」という辛辣な品評。意気消沈する彼女の眼差しの先に、決して曇ることのない明るい未来がとらえられていることに、私たちはかえってリアルな現実を感じるのかもしれません。


この作品では、トラスジェンダーを決して美化しておらず、LGBTの権利を訴えることを命題にしているわけでもありません。楓さんのインタビューが魅力的なのは、彼女がトランスジェンダーであるゆえの話題性があるからではなくて、あくまで彼女自身の言葉や存在感、価値観や行動が十分に魅力的だと相手に伝わるからです。そんな魅力を持った人である楓さんが、たまたまトランスジェンダーであったに過ぎず、それはむしろ本人によっては何の疑いもない自然なことなのだと思います。

質問に対して、楓さんは答えます。
「もし建築士になれなかったら、女性になる夢はあきらめます」。
この言葉が、すべての本質を得ているのではないでしょうか。

世の中では、トランスジェンダーというと、男性が女性になること、女性が男性になることが、夢であり目標だととらえられがちです。そして、それは彼ら彼女たちにとっては権利なのだから、世の中は理解してあげたり、協力してあげないといけない。今はもうそんな時代、そんな社会になってきたんだと語られたりもします。

それは、決してものごとの本質をとらえていないのだということを、楓さんは誰よりもリアルに語っているような気がします。
男性であろうが女性であろうが、私はわたし。だから当然に人間としての夢があり、人生で叶えたい目標がある。仮に男性に生まれたことに違和感があって女性になりたいとしても、この本質は何も変わらない。むしろ、女性であることが自然なのであれば、そうなることは夢でも人生の目標でもなく、本来の夢や目標にありのままに近づいていくための第一歩に過ぎないのだと・・・


映画を観終わって、女性といわず男性といわず、思わず涙がこぼれる人たちがいました。私もそのひとりです。この涙はなぜか心洗われる涙でもあり、自分に素直に生きることの大切さを教えてくれた涙でもありました。

ジェンダーに限らず、年齢や職業や外観や貧富や性格や国籍や文化などをめぐって、人間が生きる社会にはさまざまな壁があります。一方で、それらを乗り越えてたくましく生き抜き、夢や目標をたぐり寄せる人たちもいます。「ありのままの自分」を受け入れ、明るく前進して、自分を成長させていくことの大切さ。

夢や目標に近づくためには、決して「ありのままの自分」を否定してはいけない。それはわがままや選り好みなのではなく、夢や目標を引き寄せ、自分が幸せになるだけでなく、まわりに明るく幸せを与え、前向きに社会に役立ってための原動力。

このことを、楓さんはありのままにさらけ出すことで、誰よりもリアルに教えてくれているように思います。

この時代に、この映画に出会えたことに感謝。
私たちも、夢に向けて、目標に向かって、突き進んでいきたいですね。

学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。