眞子さんのご結婚に思うこと。
10月26日、秋篠宮の眞子さまが小室圭さんと結婚しました。
この一週間は、この報道で盛りだくさんでしたね。
まずは、新しい家庭を築かれる眞子さんを心からお祝いしたいです。
眞子さんの結婚については、さまざまな意見が飛び交っています。
もちろん祝意を伝えるものも多いですが、中には辛辣な批判もあります。
一般人になった眞子さん夫妻をこれだけメディアが追いかけるのはおかしいとか、警備や移動、住居の費用などを国費で負担しているとしたらおかしい、といった意見もあります。
それぞれ、国民感情としては理解できる意見ではあります。
ただ、私は少し違う意見、異なる感想を持っています。
眞子さんの結婚がここまでメディアにおいて注目されたのは、その結婚そのものに国民的な強い関心があることもさることながら、皇籍離脱されることによって皇室のあり方が問われる機会にもなっているからだと思います。
眞子さんは、上皇さまの初孫です。誕生された当時を振り返れば、いうまでもなく国民だれもが期待とお祝いの思いを強く持っていました。
そして、小室さんとの間ではさまざまなことが取り沙汰されましたが、ともあれめでたく結婚されました。
ただ、眞子さんは結婚によって皇籍を離れ、それまでのご家族とは家族でありながら、制度上も一定の距離が置かれることになります。
憲法や皇室典範で女性皇族のあり方が規定されているかぎり、これは当然のことではあります。
それでも、眞子さん本人や小室さんへの思いはさまざまにしても、いずれ天皇になられる悠仁さまのお姉さんがこのような形で結婚されることは、今の時代の雰囲気からすると一つの問題提起なのだと思います。
私は必ずしも女性天皇がいいとは思いませんし、現実的にはそのような可能性はきわめて低いと思いますが、いずれ愛子さまが結婚されるとき国民感情はどうなのか、とても複雑なように感じます。
皇室制度、そして天皇制度自体がそもそも国民一般の法規範とは次元が異なるものである以上、男女差別という意見がそのままには当たりませんし、男子のみに皇位継承を認める規範にも一定の歴史的背景はあるのだとは思います。
その上で、やはり国民感情は揺らぎつつある。これは、ある種の現実なような気がします。
このような時代の中にあって、眞子さんの結婚にメディアが注目するのは当然だと思うし、これだけ国民的な関心が高い状況の中で、その移動や警備に国がいっさい関与してはならないというのは、これまた現実的な議論ではないと思います。
今まで、国民が皇室のことを語るのは、ある種のタブーとされてきた面があります。
今はもう、少なくともそんな時代ではないでしょう。
今は私たちが心掛けることは、一人の国民として、眞子さんのこれからの幸せを願いつつ、この機会に、これからの皇室のあり方について考え、自分なりの意見を持つことかもしれません。
それは決して僭越なことではないのではないでしょうか。
我が国の象徴でいらっしゃる皇室のあり方は、自然と国のあり方や私たちの心情面にも影響を与えます。
もしかしたら、男らしさ、女らしさといった規範が変化しつつある今日においては、皇室のお姿を見てさまざまなことに思いをなす機会になるのかもしれません。
男としていかに生きるべきか、女としていか生きるべきか。
今ほど、この問いに真正面から向き合うことが難しい時代もないのかもしれません。