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ワールドカップとジェンダー問題

ワールドカップ。カタール大会での日本の快進撃に胸躍らされる人も少なくないと思います。11月23日のドイツ戦は、間違いなく歴史に残る名試合でした。まさに日本人が一致団結して代表選手を応援する国を挙げてのイベントだといえます。

そんな中、日本の劇的な勝利に水を差すような意見を表明する人もいます。もちろん日本人でもドイツにゆかりのある人はいるでしょうし、純粋にスポーツ競技のたしなみ方としては、誰がどのチームを応援するかはまったく自由なのはいうまでもありません。



日本対ドイツ戦。試合開始前にドイツ代表選手たちは、手で口を覆うしぐさで抗議の意思を示しました。あらゆる差別に反対して声を上げることを目的とする「#OneLove」の腕章の着用に対するFIFAの姿勢に対する強い意志だったとされます。

FIFAは「政治的中立」という立場から「#OneLove」腕章を着用すればイエローカードや退場などの制裁があり得ると通達しました。そのため、ドイツ代表選手たちは着用を断念せざるを得なくなり、メディアに対して抗議の意思を示したのです。

このようなFIFAのスタンスについては、行き過ぎではないかという意見も少なくないですし、さまざまな見解があると思います。また、ドイツ代表選手の姿勢についても、賛否があるのは自然なことかもしれません。

「#OneLove」腕章の趣旨や意図については、個人的には至極真っ当な内容だと思いますし、今の時代にそれを規制することは、いくらスポーツの政治的中立のスタンスとはいっても、とても残念な判断だとしかいえないと思います。



その上で、大会の運営のルールや細則については、主催者であるFIFAの裁量判断に委ねられるのはいうまでもないことですし、カタールにおける大会という性格上、国際社会の中で現実的なバランス感覚を持った対応が求められたことは現実だと思います。

実際に、ジェンダー平等やダイバーシティ推進といった先進国の常識からすれば誰がみても常識だと思えるような主義主張であっても、悲しいことに政治的な活動の中で利用されたり、政争の具にされてしまうような場面も少なくないといえます。

今の時代の複雑な利害関係の中では、国際的な大きな枠組みになればなるほど、大局的な視点に立った高度な判断が求められるのが現実であり、物事自体の判断として「正しいこと」が、そのままただちに運用に落とし込めるとは限らないというのが、大人のルールだといえるのかもしれません。



このように考えると、今回のFIFAの対応やドイツ代表の行動については、即物的・感情的な判断をするのではなく、後世の史家の判断をあおぐくらいの高次の判断が求められるような気もします。

ともあれ、非常に複雑ともいえる発端や経緯を踏まえるなれば、日本人として「今回の事態のみを理由に」素直に日本代表の勝利を祝福しないという態度は、いかがなものかと個人的には強く思います。

それこそ、国を挙げて純粋に世界一を競い合うスポーツの祭典に、イデオロギーを持ち込むことは基本的なタブーなのではないでしょうか。そもそも自国の代表選手を素直に応援する気持ちに、政治的な態度や国柄の違いは関係ないのではないかと思います。

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橘亜季@『男はスカートをはいてはいけないのか?』の著者
学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。