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「美術館女子」は何が問題なのか?

「美術館女子」が話題になっています。
美術館連絡協議会と読売新聞オンラインによって企画されたプロジェクトですが、SNSなどで批判にさらされています。

AKBのメンバーが各地の美術館を訪れて、写真に納まることを通じて、美術家の魅力を伝えていこうという企画。
圧倒的に男性が多いアートの世界について、一般人が身近に感じてもらうための試みとしては、とても素晴らしいと思うのですが・・・

批判の主な視点は、ただインスタ映え的にアイドルが美術館を背景にポーズを取っているだけで、肝心のアートの魅力はまったく伝わってこない、とういうもの。

私も実際に見てみましたが、言われてみればその通り。
主観的に言えば、アイドルをメインとした写真集の中の美術館シーンとでも呼ぶべき絵柄ですね。

そもそも「○○女子」という呼び方自体も、やはり男性からみた女性像(可愛らしい、あどけない、慎ましい)にとらわれていると感じさせます。

女性が少ない美術館の世界について、ポジティブアクション的にアイドルを起用して周知啓蒙活動を行うのは素晴らしいと思いますが、それであればやはり肝心なのはコンテンツ。

そのアイドルの目線を通じて、美術館の魅力やアートを素晴らしさがリアルに伝わってくるものでなければなりません。

おそらく男性が会議を重ねて成立したであろうこの企画、方向性自体はいいにしても、女性の起用の仕方、ポジショニングが「アイドル」という点にこだわり過ぎているように感じます。

もういい加減、「○○女子」という世界を描くのはやめた方がいいと思います。

男性=「ふつうの存在」(主体)
女性=「異なる存在」(客体)

こんな固定観念にかられたプロジェクトは、完全に時代遅れ。
そんな認識がようやく世の中に定着して、前向きな批判が力を持つようになったことは、逆説的ながら時代の進歩なのかもしれません。

女性目線を語るのであれば、私は少なくとも2つの要素が必要だと思います。

①企画・立案から人材起用、コラボレーション、運営までを一貫して女性が主導して実行すること

②自然な女性目線を実現させるために、あえて男性の存在をモチーフとして登場させること

この①②は矛盾しているようですが、そうではありません。
女性目線を徹底するためには当然女性がコアな役割を果たす必要がありますが、その企画の延長線上には客体として男性が登場するのが自然というものです。

世の中はあくまで女性と男性によって成り立っているのです。
女性をモチーフにした方がリアルに女子の世界が描けるというのは、ある意味男性目線によるエゴの可能性もあります。

女性が、可愛らしい、あどけない、慎ましい存在というだけではなく、言葉や表情や目線や空気感を介して、「何を伝える」のか?

これが本質だと思います。

ただ男性受けを狙った「○○女子」が通用する時代は、すでに完全に終わっています。

女性の真の存在感は、男性との対等性が描かれることによって、はじめてリアルに見る人に伝わるものですよね。

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橘亜季@『男はスカートをはいてはいけないのか?』の著者
学生時代に初めて時事についてコラムを書き、現在のジェンダー、男らしさ・女らしさ、ファッションなどのテーマについて、キャリア、法律、社会、文化、歴史などの視点から、週一ペースで気軽に執筆しています。キャリコンやライターとしても活動中。よろしければサポートをお願いします。