2024年振り返り
はじめに
今年の出来事を上半期、下半期と分けて振り返ってみたいと思います。
改めまして、エンジニアのakiです。
上半期
2024年はエンジニア2年目の年でもあり、アプリケーション開発の経験をしっかり積んで、フロント・バックエンド共にエンジニアとして専門性を高めようと心に誓って、今年のスタートを切りました。
おとうさんは、わたしと おはなし したくないのかな
そんな、スタート切った1月でしたが走り出して間もなくして仕事と子育てを両立をする中で大きな壁にぶつかってしまいました。
うちの娘は今、年中なんですが、とにかく毎日新しい発見があるようで、家に帰ったら幼稚園であったこと、お友達と遊んだこと、出来るようになったこと、出来なかったこと、そんな毎日の出来事を聞いて欲しくてたまらない年頃なんですが、自分はと言うと、出社した日は娘が寝た後に帰宅していましたし、在宅の時でも夕飯もほとんど一緒に食べることは出来ず、ご飯を軽く食べたらタスクに追われて、また自分の部屋にこもって仕事をこなす日々が続いていました。
そんな日々が続いている中で、ある日妻からこんなことを聞かされました。家に帰ってもお父さんがいないし、家にいると時もすぐに部屋に戻っているのを見て「おとうさん、わたしと おはなし したくないのかな」と娘が妻に話していたそうでした。
それを聞いた時、胸がとても苦しくなりました。翌日、娘と話す時間を作って、話してみると「いっしょに ごはんたべたり おはなしできないの さみしい」と言われた時には、もう自分の中でどうするべきか答えは出ていました。
私自身、家族とごくごく普通の幸せな家庭を築いていくことが、自分にとって何よりも大切なことだと考えて、自分のやりたいことと家族の将来を考えてエンジニアの道に進んだはずなのに、夢を追いかけることに夢中になって、目の前の自分が本当に大事にしないといけないことから、ズレていたことにこの時認識させられました。
結局は自分の力量の無さで、仕事や自分のメンタルをコントロール出来なかったことが原因だったと思いますが、これ以上、プライベートを充実させるために自分の体に負荷を掛けられるほど体力的な余裕も無く、もし出来たとしても、これ以上の負荷を掛ければ長くは続かないということも感じていましたので、この時点で転職を決意しました。
我が家のルール
この時、家族会議を開いて、転職するときの働き方についての条件を決めました。
基本的に毎日家族みんなで夕食を囲むこと
娘が寝るまでの時間は一緒に過ごせるようにすること
週末はタスクのことを気にせず家族と過ごすこと
これらの条件を家族と決めました。
転職に迷いが無かったかと言うと、それは嘘で、働く仲間は本当にいい人ばかりで、いままでこんないい人揃いの職場は経験したことがない!ってくらい良い環境だったこともあり、転職するか実際悩みました。ですが、子育てという人生の中でも本当に短いこの時期は過ぎればもう二度と戻ってこないということを冷静に考えると、一生後悔するということは目に見えていたので、悩みましたが転職を決意しました。
転職活動
それから、転職活動を始めて、子育てと仕事の両立をしながらワクワック働ける環境は無いものかと探していたところ、たまたまお声がけ頂いた現職の株式会社アトラエが自分の理想のワークライフバランスを両立出来そうと思いました。お声がけ頂いてからは、あっという間に選考も進み、無事内定を頂くことが出来、5月からは新しい環境で働くことになりました。
ここまでが、上半期の出来事です。
下半期
株式会社アトラエでに入社してから、大きく3つのことが変わりました。
インフラエンジニアになったこと
リモートワークメインで働くこと
子供が見ている世界が自分も見れるようになったこと
インフラエンジニアになったこと
自分の特性
過去にプラントエンジニアという仕事を長年経験してきたことで「安定稼働」などの考え方が根付いていて、それらが大きく関係していると思いますが、Webのエンジニアを目指していた独学時代から、フロントエンド、バックエンド、インフラと大きく3つの分野を学んでいた時にコンテナ技術に興味が湧いて、Dockerのことを調べたり、AWSでインフラを構築することが楽しかったり、CI/CDを考えてメンテナンスを楽にしたりすることが好きで、自然と手が動いていました。この時から自分はインフラ領域は自然と好きになれる自分の専門領域だと感じて、そうなりたいと思っていました。ですが、そもそも未経験からインフラエンジニアというのはなかなか難しいと思っていたのと、フロントエンドやバックエンドの開発も楽しいし、アプリケーションレイヤーの知識もないと、とてもエンジニアの仕事は務まらないというのも未経験ながら感じていたので、前職ではWebアプリケーションエンジニアとして、フロントエンド、バックエンドの開発をしていました。
内定
話は戻って、アトラエのカジュアル面談の時に今は何を話したか、あまり記憶もありませんが、自分がインフラ好きなんだという思いを伝えていたのがあったのか、インフラ未経験だけど、こいつインフラでもなんとかなるんじゃね?っていうのを多少なり感じて貰えたことと、その時にポジションの関係など複合的な要因で、最終的にインフラエンジニアとして採用して頂くことが出来ました。この時の心境としては、マイクロサービス化されたアプリケーションをKubernetes(以下、K8s)で運用しているWevoxというプロダクトにインフラ未経験として携われるのは相当なチャンスだと感じてワクワクしていました。一方で、プロダクトの規模もそれなりに大きく、ユーザー数もどんどん増えていて、プロダクトもガンガン開発しているという話も伺っていたので、本当に自分で大丈夫なんだろうか?という不安も少しありました。
入社後
入社する前からインフラ見ている人が少なそうっていうのは感じていたのですが、実際入社してみるとその時、インフラを見ていたのは2人で、1人は採用やマネージメントメインで動かれていて、実質1人でインフラ見ているような状況に自分がポッと加わったようなそんな状況でした。入社してから徐々にアーキテクチャの理解が進んで、管理しているリソース、リポジトリ数など実態を把握し始めた時に、これは自分の手に負えないんじゃないか?と思い結構ヤバイかもしれない。と正直、当時は思いましたw
とは言うものの、何も分からんみたない状況だったので、最初の1、2ヶ月はインフラの基礎を学びならが少しずつタスクを振っていただいて、調べて実装してレビューして貰って、分からない時は教えて貰ってというスタイルで業務を進めていました。
自走
3ヶ月目に入った頃から、このままではとてもインフラを支える人間として役割を担えるような人材になれないと危機感を感じ、それからはインフラエンジニアは自分1人しかいない。誰か助けてくれる訳じゃ無い。調べて分からなくたって、誰も教えてくれない。答えは自分で見つける。とにかく、とことん調べて前に進むのをやめない。そういう気持ちで「自走」を意識して業務に取り組むようにしました。
短期でみると結果が出るまで時間がかかることは自分でも十分分かっていましたが、長期で見た時に、ゴリゴリ自走できるエンジニアになって背中を預けてもらえるようにならないと、とてもこのインフラを支えることは出来ないし、自分のキャリアも伸びないと感じていました。
そこからは、ドメイン周りの知見は人にお聞きすることはあっても、実装面はほとんど自分で調べて、どんどん実装して、時には失敗を恐れずチャレンジして、失敗しても次に繋げるように原因をとにかく調べて、検証して、改善して、というサイクルを回していました。
その甲斐あって、それからの4ヶ月でDifyというサービスをK8sで構築して、記事を書いたら公式ドキュメントとして採用されることになったり、Dify関連でOSSにコミットして海外の仲間と繋がりが出来たり、K8sのアプデも一から調べて結果、2バージョン自分たちであげることも出来たり、アプデの知見を社内のドキュメントに溜めることも出来ました。ほとんどK8sばかり相手にしてきましたが、とにかく毎日K8sを触り続けることで、結果として少しは仲良くなれた気がしています。
心の変化
今では、何それ?おいしいの?っていうような未知の技術でも、結局調べれば分かるじゃんっていう謎の自信がついて、新しい技術に対して、怖いという感覚がなくなり自信がついたと感じます。
もちろん、スピードはまだまだ遅いですし、勘所も悪いです。ですが、これからも自分の好きなインフラ領域を少しずつ深めていって、自分の専門性を高めて、磨いたスキルでユーザーに価値提供していきたいと思います。
リモートワークメインで働くこと
自走することを意識してから、自分で調べる量も多くなり、高い集中力でインプットして、アウトプットまで持っていくこの一連の流れを短時間でこなすために、PC環境と静かな環境が維持できる自宅をメインで働く方向にシフトしていきました。当然コミュニケーションが減るというリスクもありますが、それ以上に今何をするべきか考えた上で、今の自分にはリモートワークで集中して自分の脳を鍛えることが必要だと感じて、とにかく手を止めずに、インプット、アウトプットをしていくことだけに集中するようにしました。それが出来たのも、アプリケーション開発などのチーム開発と性質が異なって、ある種、属人的に作業をガーッと進めることが出来るのもインフラの特徴だと感じていて、この性質を自分なりに生かして、リモートワークメインで駆け抜けた半年でした。
ただ、どうしても人が好きだし、人と話したいし、仲良くなりたいって気持ちがあるので、イベントごとなど人が集まる時にはやはりオフィスに出社して、コミュニケーションを取りたいですね。これからもその時の状況に合わせて柔軟に最善のパフォーマンスが出せるように働く場所を選択していきたいと思います。
子供が見ている世界が自分も見れるようになったこと
スーパーフレックスということもあり、娘の送り迎えや夕食を一緒に食べるという。転職前に決めた家族のルールもストレスなく、問題なく守ることが出来ています。
そのおかげで、心に余裕が持てるようになり、娘との接し方が変わりました。例えば、娘の送り迎えの時に娘が何か気になったことを話したり、「あれ見て!」って言う時に今までは、「時間ないから後で教えてね」とかって、あまり聞いてあげられなかったことも、今では「どうしたの?」って足を止めて、娘が気になった花や、木の実、昆虫、乗り物など、一緒に見てあげることが出来るようになりました。
娘の視界まで目を下げて見てみると、自分では見えなかったような日常の発見はたくさんありますし、子供の感性にいつも驚かされます。
来年には年長、もう1年もすれば小学校に上がる娘。送り迎えの時間は、あともう少ししかありませんが、いまこの時間を大切に過ごしていきたいと思います。毎朝、ちょっと遠回りしていこうかなって思っているぐらい、今は娘との時間を大切にしたいと心から思えています。
夕飯も毎日家族で囲んで食べるようになったので、妻や娘とのたわいもない話しが今の自分の一番の幸せです。これからも家族との時間を大切にして、家族のために働いていきたいと思います。
今年の漢字
そろそろ、まとめに入っていきたいと思いますが、その前に先日チームでの振り返りで今年の漢字というお題があったので、ここでも取り上げておきたいと思います。
一文字で表すとしたら、それは「進」です。
インフラエンジニアとして進み始めた年でもありましたし、悩みながらも自走を意識してとにかく諦めずに、前に進み続けた年でしたので、この漢字にしました。
まとめ
今年は、転職もあり、職種も変わり、働き方も変わり、家族との時間も増え、新居探しに苦労しながらもマイフォームも購入し、色んなことがあった1年でした。
仕事では、まだまだ思っているような姿にはほど遠く、色んな方にご迷惑をおかけしながらの日々ですが、それでも前を向いて一歩一歩進んでいきたいと思います。
来年春からは新居で、物理的に新しい環境で生活がスタートすることになりますが、変わらず宜しくお願いします。
これからも、「今日も誰かと自分を笑顔にします」という気持ちを忘れず、家族や友人、仕事仲間と一緒に人生を楽しんでいきたいと思います。
今年1年お世話になりました。
また来年も宜しくお願いします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
おまけ
2024年のアウトプット:note
ほとんど絵に描いた餅でしたw
思ったより、需要があって多くの方のためになったようです
家族との時間をどうやったら有意義に出来るか、もがいていた時の記事になります
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2024年のアウトプット:Zenn
Dify Kubernetesを使って、DifyをK8s上にデプロイしたことを記事にしました。この記事をDifyの中の人が見て下さって、公式ドキュメントとして、日本語、英語、中国と記事を出すことになりそうです。
以上、2024年のアウトプットでした。