留学の切符は片道: 名古屋発、大阪経由、世界行き
企業派遣の留学制度に合格した瞬間、私の心には喜びと期待があふれた。しかし、後に気づくことになった。
それは、ゴールではなく、むしろ長い準備の始まりだった。
当時、私は名古屋に住んでいた。インターネットもまだ普及していない時代、地方での情報収集には限界を感じずにはいられなかった。さらに、会社から与えられたのは「派遣決定」ではなく、1年後に海外大学院に合格して初めて派遣されるという条件付きの承認だった。この条件は、「フルタイムで働きながら、すべての準備を会社に頼らず自力でやり遂げよ」というものにほかならなかった。
地方からの挑戦
TOEFLやGMAT、そしてエッセイの準備にかかる時間は膨大だった。その中で分かったのは、企業派遣組の多くが留学予備校を利用しているという事実。しかし、名古屋にはそのような予備校がなく、私は週末ごとに新幹線で大阪の予備校へ通う決意をした。
大阪での授業は、まさに「目から鱗」の連続だった。TOEFL対策では、紹介された洋書や教材を駆使することで、スコアが一気に伸びた瞬間を今でも鮮明に覚えている。また、GMAT講義で教わった「問題を読まずに選択肢から正解を導き出すテクニック」には驚きを隠せなかった。当時の価格で1時間1万円という授業料は高額だったが、その効果は金額以上の価値があった。 いわゆる予備校に学生時代通ったことのない私は予備校のすごさを思い知らされた。
経済的な負担と決意
すべて自費で支払った授業料に加え、新幹線の交通費も馬鹿にならなかった。それでも私は、この出費を「未来への投資」と捉え、一切の妥協をしなかった。結果的に、これらの経験は単なる留学準備を超え、自分自身を成長させる大きな糧ともなった。
アナログ時代の貴重な経験
今では、オンライン学習やZoomやAmazonが一般的になり、地方に住んでいても効率的に情報収集や試験対策が可能だ。しかし、当時は全てをアナログでこなす必要があった。あちこちの書店で資料を探し、電車に乗り、対面で授業を受ける――これら一つひとつのプロセスが、私にとって自己成長と忍耐力を鍛える貴重な機会となった。
この1年間の挑戦は、単なる準備期間ではなかった。 自ら行動し、環境を切り拓くことで、未来への道を確実なものにした大きな転機だった。今振り返ると、苦しかったけど、すべてがかけがえのない経験だった。