25 明治時代の文化

本時の問い「何が人々の思想を変えるのか」

第25回目の授業は明治時代の文化について扱いました。内容としては近代思想史を中心に学びました。本時の問いは「何が人々の思想を変えるのか」でしたね。

民権論と国権論

明治思想史を見ていくときにまず確認しておきたいのは個人の権利を優先する民権論と、国家の生存を優先する国権論です。1870年代は啓蒙思想家の活動により、人はみな自由と権利を持つという考えが広められ、自由民権運動に影響を与えました。

1880年代末、鹿鳴館に代表される井上馨の急進的な欧化主義への批判を通して新たな思想が登場します。

まず欧化主義に対して、日本の伝統文化を尊重して国家の独立を維持しようとする国粋保存主義です。三宅雪嶺や志賀重昂が政教社を組織し、雑誌『日本人』でこの考えを主張します。雑誌『日本人』は前回の授業で取り上げた高島炭鉱事件を報道した雑誌でしたね。国粋保存主義は民権論と国権論のどちらを優先しているでしょう?

次に政府がおこなう上からの欧化政策に対して、民衆の立場から近代化を達成するべきとする平民的欧化主義です。徳富蘇峰が民友社を設立し、雑誌『国民之友』でこの考えを主張しました。徳富の立場は民権論と国権論のどちらを優先しているでしょう?

国家の独立の維持を優先する国粋保存主義は国権論の立場、民衆の立場からの近代化をめざす徳富は民権論の立場から自分の考えを主張しています。

日清戦争後の思想の展開

日清戦争の勝利と三国干渉は思想界に変化をもたらしました。

日本の海外への勢力拡大のためには、国内体制の整備を優先しようとする考えです。国家主義の台頭です。日清戦争の頃から徳富蘇峰は国家の強大化が何よりも重要と考えるようになります。高山樗牛は雑誌『太陽』を刊行して日本主義を主張し、キリスト教の排撃と日本の大陸進出を唱えます。

日清戦争後の時期は、大日本帝国憲法の制定により国会が開設され国民の権利が認められるなど、民権がある程度達成されたのに対し、三国干渉や列強の中国分割など国家の独立の維持のため国権論が強まっていった時期だといえます。

日露戦争後の思想の展開

日露戦争の勝利により、「不羈独立」「万国対峙」という国家目標が達成されました。そうなると、国民の間に国家主義に対する疑問が生まれてきます。このような動向に対し政府は、戊申詔書を発して国民道徳の強化につとめていきました。

以上、思想史を見てきましたが、これまでに学んできたことと思想の展開を結びつけて考えることが大切だということがわかってもらえたでしょうか。

今日はここまでとします。

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