8 地租改正条例
第8回目の授業では,地租改正条例と貨幣制度,金融制度の整備について扱いました。
本時の問いは「土地制度や租税制度はどのように変化したのか」でしたね。
なぜ地租改正をする必要があったのか
まずは地租改正という税制改革です。改革をしなければいけないということは,何か問題点があるから変えようとします。ですから,これまでの年貢の仕組みにはどのような問題点があったのかにいて最初に考えました。
政府の収入が不安定だった
という問題点があったので,土地に課税することで安定した財源確保をめざしていったのが地租改正だということがわかりました。
次に教科書の資料「地券」から,地租改正がどのような税の仕組みなのかを読み取りました。明治10年から地租の税率が引き下げられていました。政府が地租改正反対一揆に対して妥協しています。なぜそうしたのかについては,今後の授業で明らかになります。
地租改正は,地券所有者が地価の3%を現金で納めるでした。
税金の仕組を改革したものですが,この改革を通して土地制度にも大きな変化がありました。教科書に書かれている「江戸時代には,土地は建前上は大名などの領主がもっていた。実際には庶民のあいだで土地の売買や貸し借りがおこなわれていたが,その権利は不安定であった」という土地に対する権利が,「国民の土地所有権を公式に認め」と変化したことについて考えました。
さらに地租改正によって農民の生活や政府の財政はどのように変わったのかについても考えました。いずれも物価の変動に生活や財政が左右されることになりますが,影響の受け方は農民と政府では違っていたことを理解しておかなくてはいけません。
通貨の統一がはかられた
1871年,新貨条例を制定し,通貨を十進法による円・銭・厘に統一します。この中で金本位制や兌換という用語について説明をしましたが理解できたでしょうか。今後,経済のことを学ぶときには金本位制や銀本位制,兌換と不換という言葉が何度も登場するので復習しておきましょう。
金融制度改革
1872年,国立銀行条例が出されました。政府は民間の力で兌換銀行券を発行させようとしました。しかしこの方によって設立された銀行は,4つにとどまり,政府のねらいは十分にかなえられなかったということを説明しました。
以上が本時の授業の内容です。