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14 初期議会

本時の問い「議会と政府が対立するとどのような問題がおこるか。」

第14回目の授業は、憲法制定の前後に諸法典の編纂が行われたこと、1880年代後半に民権運動の再結集がはかられたこと、そして初期議会について扱いました。

本時の問いは「議会と政府が対立するとどのような問題がおこるか。」でしたね。

法典の編纂

国の最高法規である憲法の制定の前後に法典の編纂が進められます。欧米基準の法典の制定は、条約改正のためもあり急がれました。しかし、そのことによりフランスの個人主義的な考えを反映してつくられた民法は、日本の伝統的な家族道徳を破壊するものだとの批判を受けます。このことを民法典論争といい、その結果、民法は新たなものが制定されました。

地方自治

地方自治のしくみは、ドイツ人顧問モッセの助言により整備されます。注意してほしいのは、市制・町村制、府県制・郡制により地方自治制が整備されたのですが、今の地方自治とは違い府や県の知事は政府が任命します。中央集権的性格が強いということを確認しておきましょう。

大同団結運動

1880年代前半、衰退期だった自由民権運動が、議会開設を目前に再結集がはかられます。1886年に自由党の星亨の提唱により大同団結運動が始まります。これが盛り上がりを見せるきっかけは井上馨の条約改正の失敗でした。この政府の失策を批判するかたちで民権運動が盛り上がります。外交失策の挽回に、地租軽減と言論の自由を加えた3つの要求を掲げた運動が三大事件建白運動です。これに対し政府は保安条例で東京に住む民権派を追放しました。

第1回衆議院議員選挙

衆議院議員選挙法では、直接国税15円以上をおさめる満25歳以上の男性に選挙権があったことを確認しました。また、有権者の割合が人口の約1.1%だったことも確認しました。ビゴーの風刺画では選挙に投票する1人の人物を大勢の見物客が見ています。有権者が少ないと言うことを表わしているのでしょうか。ただ、ビゴーの出身国であるフランスも、1%に満たなかったことを教科書から確認してもらいました。

選挙の結果は衆議院300議席中、民党が171議席を獲得して主導権を握ります。これまで政府を批判してきた自由民権運動の流れをくむ、民党の勢力が過半数以上を獲得したのです。

初期議会

政府=内閣は薩長藩閥が主導権を握っています。藩閥政府は朝鮮問題で清国に対抗するため軍事力の強化を進めていました。議会が開設されると、軍事力強化のための予算は議会を通さなければいけません。では、予算の決定権を握る議会は政府の予算案に同意するのでしょうか。政府は議会が開設される前から超然主義を唱え、特定の党派に偏らないで政治をおこなっていくことを主張していましたが、それは可能だったのでしょうか。

政府は軍備拡張の予算を議会に提出しますが、民党は「政費節減・民力休養」をスローガンに予算の削減を求めます。このように政府と議会が真っ向から対立していた第六議会までを、初期議会と呼んでいます。

この初期議会を通じて藩閥政府は新しい政策をおこなうためには、民党が予算案に賛成することが必要だと感じ、一方の民党は政府案を反対するばかりでは自分たちの要求が政府には通らないことを考えるようになります。その結果、第四議会では第2次伊藤博文内閣が衆議院の第一党自由党と提携して予算案を成立させます。この妥協以降も条約改正問題で議会と政府の対立は続きますが、日清戦争が始まると国内対立はおさまりました。

政府に強い権限があった大日本帝国憲法ですが、議会の勢力もしだいに影響力を強めていったのです。

今日はここまで!

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