「22歳女子東大生が一人でアメリカの男子のみの寮で暮らす」実話 vol.9
こんにちは、こんばんは🌞
Akiです☺︎
みなさんお気づきでしょうか👂
そう、タイトルが変わった!22になった!!!!!おーーーーめでとうあたし!
まだプレゼント間に合うので!お待ちしてますねっ♡
ということで今日は私の誕生日から振り返ろうかな!
11/7 It's my birthday!🎂
この日は朝起きたらめちゃお腹痛くて←出だしw w w
まあ案の定血祭りの初日でしたねw最悪ですねw
ゆっくり学校行って、授業受けて、そのあと親友と合流
夜ご飯のお店を決めるためにダウンタウンを散策して、イタリアンを食べることに決めました🇮🇹
イタリアンはとんでもなく、とんでもなくうまかったし(furoが一番美味しいけどね!!!!!!!!)
久々に飲んだAperolが沁みました…🍊
お酒頼んだ時にID見せなきゃいけなくて、パスポート見せたら店員さんが「今日誕生日?」って言ってくれて
そう!って言ったらおめでとーーう!って
それだけで全然嬉しいのに、食事終わったらソフトクリームに花火つけて持ってきてくれた!ぶっくり!!!!
お腹も心もパンパンでおうちにかえりました🏠
ちょっと残念だったのはお家の子あんなに「パーティー開いてあげるよ!!」とか言ってたくせに何もしてくれなかったことw
二人くらいが「オメデト!」って言って終わりだった
まあ気にしないけどねっ(←根に持ってる)
親友ちゃんが私の1日を特別にしてくれて、
すごく彼女の大切さを感じた日でした🧡ありがとな!また泊まりにこいよな!
(言わなくても来る絶対wこの人週2は絶対に泊まってるw)
ちょっといいタイミングだから振り返らせて
22年って長い。振り返ってみると私の人生って長かった
今日はせっかくなのでちょっと赤裸々に人生を簡単に振り返らせてもらうけど
9歳までは家族4人で暮らしてて(その頃も姉とは仲良くできなかったけど)ある程度幸せで
それから父親が単身赴任になって、そっからあんま会えなくなって
中2になって、父が帰ってきた頃には家族みんな変わっちゃってて
私も中学受験落ちて最初の挫折を経験してたし
母も一人で仕事しながら二人を育ててたし
父も独り身できつい仕事を乗り越えなきゃいけなかったんだろうし
姉も姉で色々あったみたいで(読んでるかもしれないから書かないけど)
もっかい立て直すにはあまりに濃くて長い時間が経ちすぎてて
私と姉はどんどん性格が合わなくなって11歳の時から全く口を効かなくなって
母と父もうまくいかなくなって、
私と父もうまくいかなくなって、
父はいなくなって
私にとっての「家族」はここから母と犬だけになった
私はいつも少し寂しくて、ちょっとした愛情不足だったんだと思うし、それはいまだに私の性格に大きな影響を与えてるけど、
受験に落ちて、妥協して行った中学が私の人格形成にすごくすごく大事な場所になって
だいぶやんちゃで賑やかな中学だったけど一生ものの思い出と友達と先生に出会って
私の22年の中のピークはいつまで経ってもここにある。
その中で距離を置いてた勉強をまた再開して、県内で一番賢い高校に入って
ギャップに苦しんで、苦しんで、毎日泣きながら学校に行って倒れるように寝る毎日を繰り返して、限界超えて退学届を出そうとしても家庭内トラブルで辞めれなくなって、成績も250位/360人とか平気でとってて、
絶望の中で、初めて心から信頼できる人に出会った。
学年で一番賢くて、私には考えられもしない「東大」を目指す彼に触発されて
一浪してまで必死こいて1日15時間以上休みなく勉強して
東大に入った。
だけど、この「1年」っていう時間を乗り越えるには私たちは若すぎて
私は彼を失って、
東大には全く馴染めなくて、年を追うごとに「過去最低」を更新するような大学生活だった。
21の冬には完全にメンタルを壊して、本気で「終わらせる」こと以外全く考えられなくなった
今だから言えるけど、心療内科で処方されたキツすぎる睡眠薬をオーバードーズしてお風呂を溜めていた時期がちょうど去年の今頃
外に出られなくなって、太陽を浴びると涙が出てきて、誰の言葉も響かなくて
このままじゃ死んじゃうって本気で思った。
だからここにきた。アメリカ。何もかもでっかくて広くていちばんの国
ここにきて感じるのは、日本って本当にちっさくて独立した島国なんだな、ということ
そして世界はWWⅡからあんまり進んでないということ
人種や宗教、肌や目の色、文化の違いなんて日本にいたら全く気にならなかったけど、それは日本には日本人しかいないからで
アメリカに来たらそれらは大きな問題になる。
私だって心のどこかで無意識に「まあ私アジア人だから白人と比べたら劣ってるよな」って思ってる節が絶対にある。
そして、まだまだ戦争や貧困で苦しんでる国がたくさんある。
なんか植民地時代の話とか、奴隷制度の話とか、授業で聞くたびにこれって昔の話だと思ってたけど、全然まだまだ「now」の話なんだって心がキューってなる
日本は島国で独立してるからこういうことから目を背けるのが簡単だし、
その分小さな中でコミュニティを確立してるからより言葉が繊細になったり、さまざまなことが問題になって、逆にその結果進んでるなと感じる部分もある。
それに私は日本人として生まれたから今これに気づけてる。
これに気づいちゃったからにはもう目を背けることはできないから
きっとこれから私は世界に目を向けて生きていく、んだろうなー
いつもいつもしんどい方の選択肢を選んでしまう私だから
留学前の生活には戻れないんだろうなあ、
と、いうのが今の私。22年と1週間たった今の私。
ここまでの私は人間関係でうまくいかないことを家庭環境のせいにしたり、他の人のせいにしたりしてたけど
もう「過去最低」を更新したくない
だって生きていくことって楽しいって思いたい
死ぬ前の寝床で「あーーーーーたーーーのしかったさいっこう!」って言いたい
「期待」をすることは苦しいからしないけどそのまま「希望」を捨てると目の前に光がなくなっちゃう
だから何があっても懲りずに「希望」だけは捨てたくないし、
どんな選択をしてもその選択にワクワクする気持ちを持ってる人間でありたい
そしていつまでも自分が磨いてきた「知性」を人に振りかざすためじゃなくて、人を楽しませるために「ユニーク」という形に変換して使える人になりたい
22歳の一年はどんな一年になって、誰と出会って、何を思うんだろう
今からとても楽しみです🐣
なんか、いい機会だったかも!振り返れて!長くなってしまってすまそ!
今回別の書きたいことあったのに!センチメンタルモードに入ってしまったw
さーーて次回のnoteは!
Thanks Giving Dayについてかな?わっかんない!気が向いたら更新します!楽しみにしててくれよなっ☆