教えることは先生の仕事という固定観念を捨てる
教えることは教師だけの仕事なのか
これまでの私は、子どもたちに何かを教えるのは先生(教育機関・教師)の仕事、ということに何も疑問を抱きませんでした。
先生から読み書き、道徳を教わってきた私にとって、これは動かぬ事実であり、あまりに当然すぎて疑問を抱く対象にすらなりませんでした。
しかし、様々な経験や年月を経てこう思うようになりました。
「学び」というのは、先生から生徒へ、先輩から後輩へ、といった二者間で一方通行に行われるのではなく、様々な立場、年齢のものが相互に教えあい、学び合い、感じ合うものではないか。
確かに経験値や能力の違いから、特に若年層では先輩から後輩へ、ということが殆どですが、年齢を経るほどその度合いは薄れ、まして社会人でひとたび自社の外のコミュニティに出れば、「先輩後輩」という関係は成り立たなくなります。
会社で中においても、例えば自分の部下と話をする際、年齢関係なく、その考え方、価値観、ものの見方には学ぶべきことが多くあります。
子どもが先生になる時代
昨今、「共育(ともいく)」という概念が注目され始めています。
これが、共育の定義となりますが、この相互性、多様性というのが重要な要素なのだと、私は思います。
最近では、小学生が同じ小学生を教える「子ども先生」という取り組みも始まっています。
公教育としてはもちろん教員免許が必要ですが、教えること自体は特定の人しかしていけないものではなく、むしろ様々な立場、価値観の人が連携し、学び合う環境をつくっていくことが、双方にとって大切なのではと思います。
社会課題に挑む。
今後少子化が益々進んでいくのにあわせ、教育の担い手も当然減っていきます。
子どもたちを取り巻く社会環境も、私が幼かった30年前より複雑、多様化しており、SDGsにも挙げられる通り、質の高い教育の提供・享受はまさに社会課題の1つです。
事業開発をするうえでは、この社会課題の解決に挑んでこそだと思っていますので、この課題を他人事ではなく、自分事として捉え、信念をもって取り組んでいきたいと思います。
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