~精神的自立をめざして~大人になったら思考の再教育は自分ですべき。
私たちは今まで、自分の人生が豊かにならない教育ばかりを
受けてきました。
「~すべき」「他人に迷惑かけるな」「泣くなみっともない」・・
「我慢しなさい」「我慢しなさい」「我慢しなさい」
「ガマンシナサイ」・・
「一つの生き方を押し付けて、他の選択肢は木っ端微塵に否定される」・・
生まれた時は祝福を受け、その個性を微笑ましく受け入れられるものの、それはごくごくわずかな期間で、
それ以降、待ちうけているものは、
それとはまるで正反対の、個性を殺すような、個性を持っては
いけないというようなことを言われる。
主張すると糾弾される。
幼少期から始まり、それ以降もずっと。
ロボットになることを強要される。
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人によりパターンがあると思いますが、言葉は違えど共通したメッセージ性があると言えます。それは。。。
「あなたがあなたであることを、私達は許しません」
結果、、
「自分が自分でなくなる」「”私”を奪われる」
そして、ものすごい生きづらさを感じる。
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そりゃ、ねえ、、自分を奪われると、そりゃあ、生きづらいでしょうよ。
だって、「自分」が、「無くなる」んですよ
全部、他人軸。親軸。世間軸。
あれ、、自分はどこ・・?どこにいるの・・・?
大事なコトなので、もう一度言います。
「自分」が、「なくなる」んですよ。
生きた屍です。
もっと生きやすい世界があると知る
でも、生きていると、色んな人を知るわけです。
そしていろいろな人生がある、ということも、分かってくるわけで。
いい人、悪い人、幸せな人、不幸な人、、色んな人間を見る、知る、その中で、
中には「素晴らしい人格者で、物質的にも豊かで、自由で、幸せな人もいる」ということが。。
そういう人たちって何が違うのかって、やっぱり、思考が違うと思うんですよね。
基本的に「OKモード」というか、物事の見方が開放的。
「これはだめ」「あれはだめ」とか、決めつけない。批判しない。懐が深い。
そして、自分軸。「自分はどうしたいのか」が生きる基準のすべてで、そこに準じた行動や発言をしている人たち。
子供のように無邪気で、楽しいこと、おもしろいことが大好きな人たち。
そして、フレンドリーで、他人を心から応援できるマインドを持っている人たち。そんな「自分とは違う生き方をしている」ということが分かるわけです。。。。
で、ここでなにが言いたいかっていうと、もう私たちは子供じゃないので、
親や世間の言うことを聞く必要はないんですよ。
真に受ける必要はないんですよ。
だって、そのせいで苦しんでいるんだから。
もう私たちは大人なのだから、「自分の思考は自分で選択できる」
ということなんですよね。
そこには、自分軸がある。「自分」が帰ってきた感覚。
「そうか・・今までは親や世間の思考、価値観で生きていた」
「そしてそれは、自分をがんじがらめに縛るだけのものだった」
「でも、もっと次元の高い考え方、価値観を知った今、自分をレベルUPさせるために、こっちの思考で生きていこう」って。
もう自分でなんでも決めちゃって、なんでも好きなことをすればいい。
親や世間から刷り込まれた思考って、何も考えずにいるとずうっっとその
思考に縛られたまま、気づけない、そのまま一生を終えてしまうということになり得る。
本当はソレ、「自分の思考」ではないのに。
「持たされてしまった」ものなのかも知れないのに。
だから、ある考えがよぎったときに心が辛くなってしまう、
という時は、一度冷静になって立ち返ってみることが必要。
自分の思考を客観的に見つめてみる。
「これは、本当に私本来の思考なのか??
この思考、本当に「絶対的に正しい」ものなのかな??
・・・・たとえば、何かしようとすると否定ばっかりしてしまう自分がいる、というとき。
(例)・・そういえば、親は否定することばっか言ってたな。
ひょっとして、この感覚(否定する感覚)は、親の思考で、
長年一緒にいたことで、無意識に自分のものにしてしまっただけかもしれない。「持たされていた」だけなのかもしれない・・」etc
それはつまり、ここで客観的に自分の思考を見つめ、分析し、自分にとってそれは辛くなるだけだという考え方ならば、そこから意図的に離れ、より生きやすくなる考え方、ほっとする考え方・・に向かわせるということ。
上の例だと、「この感覚は親からもらってしまったものなので、自分の本当の気持ちではない。現に自分は○○したい、とおもっていて、それが本当の気持ちなんだから、それに従えばいいだけのこと。冷静に考えれば、何でもかんでも否定する必要性なんて、実はない。」
断捨離みたいなもんですね。思考の断捨離。
そして、思考のアップデート。
私が以前読んだ本に、こんなことが書いてありました。
それは禅に関する本だったのですが、
「自分を楽にする考え方なら、どんな考え方でもよい」
こんな姿勢では、ただ堕落してしまうだけじゃないの?
と思うかもしれませんが、「自分を楽にさせる考え方」って、
多くは自分を肯定することや自分を癒すことにつながると思うので、
逆にエネルギーが湧いてきたり、人にやさしくなれたり(自分にやさしいからね)、これで悪い方向にいくことは私はないと考えます。
それに、「自分を楽にさせる考え方」と、「怠惰」や「言い訳をする」こととは、別物なんで。
たとえ言い訳っぽくなったとしても、それさえ「否定しない」
という姿勢になるので、やっぱり、自分を癒すことにつながります。
大切なのは、自分は今まで、誰の、どんな影響を受けて、こうなったのか、ということに気づくこと。この「気づく」ということが、一番大切なことなんじゃないかと思います。
そして「それ」に気づいたら、より幸せに向かえる思考を繰り返し、それを自分の中に落とし込ませましょう、ということです。
持つ必要がない、重荷だと感じる思考があったら、積極的にそれを
捨てるという姿勢でいきましょう。
そのためには、自分に言い聞かせることが必要になるかもしれない。
それが、「自分を自分で再教育する」ということだから。
方法としては、もちろん本からもたくさんのことが吸収できる。自分を再構築したくなるような、すばらしい考え方をたくさん仕入れることができる。
でも、やっぱり生身の人間に触れることのほうがより影響力があって。。
そのお手本は、自分が憧れるような生き方をしている人、
自分より次元の高い人、自分よりもっと人生を楽しんでいる人。
今はYoutubeやネットで、自分が憧れるような生き方をしている人は、
探せばいっぱいいるということに気づく。
周囲にはいなかっただけで。。
私がオススメするのは、もう、そういう人たちに積極的に会いに行って、
生き方に直に触れ、自分から染まりにいっちゃおう、ということ。
そして、自分に言い聞かせるということを忘れない。
幸せの方向に、自分から舵を切るつもりで、
レベルの高い人たちと会い、その人の考え方を自分の中に取り入れよう。
そして、自分にとって生きやすい道へと、自分で自分を誘導してあげよう。
自分の人生を、より楽しく、より輝かせるために。
いつまでもさなぎのままでいてはいけない。
もう、脱皮するしかないんだ。