競走馬ルクルトに敬意をこめて
2024/11/3
2024/11/3(日)、高知競馬第11R「四国カルスト特別C1-1選抜馬(1,400m)」は定刻通り20:20に発走した。私の推し馬ルクルトは9頭立ての6番枠から好スタートを決め、好位3,4番手にとりついた。4角で外を回し、あとは直線差し脚を伸ばしてどこまで、というその瞬間に、ルクルトは内を走るメイショウウズマサの斜行の影響を受け、落馬競走中止となった(裁決レポート 2024/11/03 高知11R)。正面からダートコースに叩きつけられ、馬体を2,3回転させ、その場に横たわる。脚を一瞬ピクリと動かす素振りをみせたものの、パトロール映像はそれ以上映すことはなかった。鞍上の山崎雅由騎手は落馬負傷したが、命に別状がなかったのが救いだった。
2021/11/13 出逢い
遡ること3年。『立川優馬の競馬と共に人生を歩むサロン(以下、立川サロン)』が2021年9月に開設された。その少し前にX(当時はTwitter)で立川さんのTweetが私のTLにも流れてきて、noteでの予想記事を何度か購入した。立川さんの予想にはブレが(あまり)なく、予想が論理的で(ある程度)一貫していたのが自分に合ったのか、外れても納得いくことが多かった。サロンが開設されるということで入ってみた(そのまま3年が過ぎることになるのだが)。そして2か月後の2021/11/13に、ルクルトという競走馬を知った。経緯は下記に詳しい。
立川サロンでは当時、週2回(火・金)立川オーナーがZoom配信をしていた。金曜の夜には翌日土曜のほぼ全レースの展望を、火曜の夜には土日のレースの回顧を中心に(いまは火曜回顧の配信は水~木曜でのテキスト形式に変更)行っていた。月極なのでできるだけサービスを活用したほうがよいと思い、予想も上達したかったということもあって、火曜と金曜の夜は、その配信を聞くことが多くなった。そして11/13のレース翌週の火曜の回顧配信で「タフな小回りはルクルト走るんですよ」と立川オーナー仰った記憶が残っている。(折角なので、その予想をここでも貼っておく)
「タフな」「小回り」「外差し」の『ルクルト』。
韻を踏んでいるわけではないが、リズムよく、その馬の特徴を捉えていた。別に一口馬主でもない私が、ルクルトに惹かれたのはいまだによくわからないし、他にも好きな馬がいないわけでもない(最近だと、良馬場で追い込んでくるバトゥーキとか、似たタイプのフルムとか。差し馬が好きなのだろう)が、この馬に関しては「なぜか惹かれた」としかいえないのだった。
2022/4/24 芝
そういうわけでルクルトは私の『推し』馬になった。会津特別の2着好走から彼が出走するレースが楽しみになった。2走善戦した後、最大のチャンスといっていいレースに彼は出走する。福島中央テレビ杯(GⅠ)である。
私はその日、珍しく予想に気合が入ったのか、前日深夜25:30過ぎまで見解文を書いて、それをそのまま立川サロンにアップするという暴挙に出た。
これがまさかのほぼほぼ完璧的中(◉▲○)した。ルクルトには最初で最後のド本命◉印だった。馬券も単複中心に的中することができ嬉しかった。展開にかなり恵まれはしたものの、彼がベストパフォーマンス発揮して圧勝したことに喜んだ。
このあとも私は彼の出走するレースを追いかけた。先述の『競走馬ルクルトについて考える』を参照してもらえるとよいのだが、彼自身が好走できる条件を懸命に探ろうとした。新馬戦から振り返って観た。ここまで1頭について深く掘り下げたのは初めてだったし、本当によくわからないのだが、
先の予想見解の中には、上記の通り記載しており、直線最後方から追い込んでくるところに、特に惹かれた感じなのだろう。
そこからおよそ1年の間、3勝Cに昇級したルクルトは5度にわたって芝1,200mに出走し続ける。毎回上がり最速を使って追い込むも3着が最高着順だった。その間、毎回予想するときに、前回も一緒に走った馬がいるなあと思うことがあった。「3勝Cにおける芝1,200m」となると、自然と出走馬は絞られてくるものだ。何頭かいたが、その筆頭格はグランレイだろう。サリオスが勝利した2019年の朝日杯FSで14番人気3着と波乱を演出した馬である。3勝Cで3回相まみえたが、ルクルトは一度もグランレイより上位で入着することはできなかった。脚質が似たタイプで、上がり勝負ならルクルトに分があるのだが、道中位置を取れるかどうかでいうとグランレイの方が優れていた。好位からそこそこの上がりを使える強敵で、予想する際にも基本的にルクルトより前にいて、差せるかどうかとなると抑えるしかないかあなどと悩まされた。一方でルクルトが出走しないときにはグランレイを応援したりもした。グランレイが勝てればルクルトだってまた勝てると思えたからだ。
グランレイは最終的に3勝Cを勝ち上がることはなかったが、テレQ杯で6番人気3着と中穴好走したときに、たいへんお世話になった。netkeibaの掲示板には引退後栗東トレセンで乗馬に転向との書き込みがあった。
このころには私の中でルクルトは福島巧者のイメージができつつあり、キングズベスト産駒の晩成血統だったことを踏まえると、当時6歳牡馬である彼は能力のピーク前後を迎えていたと思う。それだけに「3勝Cの福島芝1,200m」の番組の少なさに嘆いた。おまけに、開催が進んである程度馬場が荒れて、ハイペースになって外差しが決まる展開待ちでもあった。すべての条件が噛み合わなければ次の1勝が遠い。芝短距離戦で好成績を残す種牡馬では、例年活躍するスピード自慢のダイワメジャー、ロードカナロア、ミッキーアイルに加え、ビッグアーサーも台頭し始めていた。こうした馬たちの仔に敵うのも、やはり特殊なタフ馬場である福島コースでしかないと思った。
2023/4/23 ダート
そういった気持ちはあったが、2023年の4月、陣営はダート路線へと転向する。私としてはキングズベスト産駒がダートに合うとは思えなかった(正直、母父が米国血統のCurlinでなければまったく走れないくらいに思った)が、所詮は素人判断である。適鞍の番組が少ないことからも、ダートに活路を求めるのは選択肢の一つだろう。それからはダート適性や、好走できそうな条件を、レースごとに考察していった。舞台は変わったが、芝で走っていた頃と同じように、ダートでのレースVTRも何度も観た。ビッグレースでもないのにそういうことをしたのは、この馬が初めてのことだ。また、これまでと同じように、毎週初めにはnetkeibaの登録情報が「放牧」から「入厩」になっているかを確認した。「入厩」になっていれば近々どのレースに使ってくるかというところから予想し、日曜17時前後に更新されるJRAの「特別レース登録馬」のページをチェックした。
東京1,400mから始まり、試行錯誤しながらルクルトは新潟、中山、福島、そして京都のダートコースを走ることになる。2023/11/4の貴船Sで、ようやくルクルトの姿を目の当たりにすることができた。最内1番枠のゼッケンに鹿毛がよく映えてみえた。私はパドックで馬体をみても何もわからない類の人間だが、とりあえず周回するルクルトを眺めていた。当時を振り返るに、思ったほどの感慨深さみたいなものはあまりなかったけれど、ようやく逢うことができたな、とは思った。1番枠からその番号の着順でゴールしては欲しいけれど、3勝Cでも京都のダート1,200mは追い込み馬には厳しい先行有利のコースなだけに、次につながるレースになればと、頑張れ馬券を買って応援した。
ダートでもルクルトは1,200mが合うようで、急坂のある中山1,200mでもルクルトは好走した。上がりは最速だし、ゴール前激戦での5着で勝ち馬とは0.2、0.3秒差とかなのだ。あと一歩というのが、遠かった。
ダート転向後のルクルトの人気は7戦して9,9,9,5,8,8,8と芝コースを走っていた頃よりも穴馬になっていたが(そのなかで、なんとルメール騎手が騎乗したこともあった)、騎乗8戦目の福島1,150mで10番人気3着と穴をあける。おまけに勝ち馬と2着馬まで11番,12番人気で、3連単112万馬券の立役者になった。私は京都競馬場から遠く離れたルクルトを応援していたが、これまでと異なり、インを伸びてきたところに興奮した。8番枠だったが、立川サロンで話題になるフルーツラインカップ理論を証明してくれたからかもしれない。それにしても戦績からして芝ダート問わず福島コースとの相性がよい馬で、このときには、『福島短距離で差しが決まるならとりあえず抑えておけ』というのが馬券的な戦略となった。
今年の4月には京都競馬場で改装後2度目の天皇賞(春)が行われた。しかし私にとってはそのあとの12R東大路Sがメインレースだった。所用があったため、テーオーロイヤルをはじめとする出走馬への歓声を聞きながら、ギリギリ16時前にパドックに着いて、ルクルトの写真を撮る。
そして、前走で穴をあけたのに今日も人気にならないなあと思いながら、応援馬券を買おうと思ったのだが、馬券を買うってレベルじゃねーぞといったGIの人混みは強烈で、券売機に並ぶことすらできず、叶わなかった。最終的には11番人気の9着(上がり2位)と、人気よりちょっとだけ上位に走ってくれた。先行好位勢が上位を占める傾向のコースなのだ。仕方がないところだ。ルクルトが勝つ瞬間を目にするなら、私が福島競馬場に行くしかないわけである。
次走は7月に行われたTUF杯で、福島コースだ。ただ私は行くことはなかった。今にして思えば行った方がよかったのかもしれない。『推しは推せるときに推せ』とはよく聞く。ものすごい熱量であれば行っていたのではないかとも思う。だから私は、やはりよくわからない。彼に惹かれたとして、そして彼の好走確率が上がるコースなら、推しているなら行っていておかしくはない。芝コースではなかったからだろうか。あの強烈な圧勝劇を見せてくれる芝の舞台に再び戻ってきてくれるならと、心の奥底で願っていたからだろうか。
走ることは、生きること
ここでは(ここでもかもしれないが)特に、私個人の考えで思うがまま書いていくが、私は、競走馬というものが、いまや人間の経済活動と共に消費されることについて、時に競馬自体を厭世的に感じることはある。強さを求める人間の都合で産み出され、大半の馬はひとつ勝つことすらできずに消費され、大きなレースを勝利した馬でさえ消息不明になったりしている。種牡馬入りしてからも、こんどは文字通り血の争いが始まる。仔を宿した牝馬も、一緒に暮らせる安息の月日は短い。競走馬を引退した馬の大半の残りの馬生を察するに、かなり暗いイメージを持ってしまうが、近年では引退した競走馬の馬生を支援する取り組みを紹介する記事やニュースを見ることも増えてきた。そういった活動を主導できる人は本当にすごいと思う。
どの競走馬も『走ることは、生きること』ということを、宿命づけられて産まれてくる。そして競走馬として産まれたからには、基本的には例外なく、過酷なトレーニングを重ね、強くなって、速く走って、レースで1着を獲ることを目指すのだろう。レースを重ね、走っている瞬間は生きていることを証左する。だから、走れなくなった競走馬は、あくまでも『競走馬』としては『死んでしまったもの』と捉えられなくはない、とも思う。
うだるような暑さや、震えるほどの寒さ、激しい雨風のなかでも、彼らは走る。対照的に、室内で、安全な場所で、他力本願に競馬に興じているときにふと、さっき書いたような厭世的な気持ちになったりもする。「頑張れ!」と応援するのは、(人によっては命の次に大事な金を賭けていることも多分にあるが)そんな気持ちから目を背けたいからだろうか。ルクルトに対してはどうだっただろう。ただただ純粋に、無事に、ゴールまで「頑張って」駆け抜けてほしいと願えていただろうか。
2024/10/20 高知
その後ルクルトはJRA登録抹消となった。その情報も立川サロンで後追いで知ったので、やはり私は果たして熱心なファンなのだろうかとも思った。
さらに追って、高知競馬が移籍先になることを知って、少し安心した。まだ走れる環境下にいてくれたと思った。その初戦は10/20(日)高知競馬第7R「C1-4(1,300m)」で、JRAが終わった後の18:10発走だった。実はこのレースには勝てるのではないかという自信があった。地方競馬のダートが合わない可能性もあるが、曲がりなりにもJRAで3勝したわけだし、地方勢に比べても地力はある。ただそれよりもJRAにはない、『コーナー4つの短距離』というのが、最大の根拠だった。
ルクルトはテンに置かれるが、しかし一方前半はじわっと自分のリズムで走れないと、末脚を発揮できない。その末脚に注目が行きがちだったが、福島中央テレビ杯の3,4コーナーのスパイラルカーブで一気に馬群の外を押し上げたように、実はコーナリングに長けているのではないかと思ったのだ。2F目は競走馬のスピードが最も上がるから、その付近で1,2角を迎えるなら、強制的に減速することになる。そこを上手く回ることができれば、先行勢とそこまでポジションを離されずに済むと考えた。
11番枠から好スタートを決め、4,5番手で1角を迎えた。スムースに回ったように見えたが、思ったほどでもなかったかもしれないがどうだろう。向こう正面まで4番手で進み、3,4角で押し上げる。前を行く2頭よりも持ったままで抜群の手応えに映る。ルクルトは外に――いや2頭の内を突いて直線先頭に向いた。そこから山崎雅由騎手のアクションに応え、後続を引き離す。最後は4馬身差をつける完勝で、ゴール寸前は余力を残しているようにもみえた。
地方初戦で、メンバーレベルなどはわからなかったが、好位から押し切る強いレース内容だったので、昇級後の次戦にも期待が持てた。次も同じような1,300mか1,400mなら、今度もコーナリングに注目してみたいと考えたし、地方競馬はさっぱり門外だが、ルクルトの高知競馬適性とかを書いてみようかなと思った。位置を取っての末脚が使えるなら、そこそこ闘えて、またもう一度JRAで走る日も来るかもしれないと思った。そして――。
2024/11/3-7
私がルクルトを知るきっかけとなったのは先述の通り会津特別から、ということにななるのだろうが、それ以前を調べてみても色んなことがわかる。新馬戦では改修前の京都競馬場で先行してレイパパレの3着だったこと、未勝利戦は藤岡康太騎手を背に1番人気でハナ差勝利だったこと、リレーションシップ、ディヴィナシオン、グレイトゲイナーといった馬たちとも走っていること、武豊騎手や坂井瑠星騎手が騎乗したこともあった。
深く知ろうとしたあとは、会津特別の勝ち馬ローレルアイリスがのちに不慮の事故で亡くなってしまうこと、福島中央テレビ杯で3着のジューンベロシティが障害重賞4勝馬になること、2度目となる1番人気で臨んだバーデンバーデンカップで単勝4万円賭けたけれど、先行決着となって末脚が不発だったこと、とか、ここまで述べてきたことを、ふと思い出す。
先日10/27に行われた天皇賞(秋)では、ドウデュースが3度目となる『逆襲の末脚』で圧巻のレースをして勝利した。馬券はレーベンスティールから買っていたので悔しさもあったが、同時に、全頭が見せる闘いとドラマに心を揺さぶられた。
11/2は金曜から雨が降り、東京・京都・新潟3場ともあまり馬場のよくない状況での開催となった。特に私の住む京都でもダートは水が浮く不良馬場になった。金曜の展望の時点で立川オーナーは自身満々だったのだが、おあいにくな結果となった。
翌日11/3はアルゼンチン共和国杯が行われ、8歳の白毛馬ハヤヤッコが東京コースで上がり最速で最後方から15頭をごぼう抜きして勝利した。先日のドウデュースに勝るとも劣らないシーンだった。立川サロンにはハヤヤッコを推しとする怪物が居て、当然のようにデカい的中を果たしていた。立川オーナーも復調し、福島最終レースをフルーツラインカップ理論でワンツースリー決着で攻略した。
しかし私の馬券はそういったサロンの波に乗ることができなかった。単勝を買えば2着、ワイドを買えば2-4着といった馬券が積み重なり、救いようがなかった。ある意味でいつも通りではあったし、4着を当てるとおかしな満足感もあるのが(余談にはなるが、オッズ妙味を踏まえて2~5,6番人気あたりの馬を本命視にしていることが多く、そりゃあ4着が多くなるにも多少納得はいく)、こんなに運の悪い日もないなあと感じていた。
けれど私にはその日は高知11Rがメインレースだったから、いくら負けてもハズれても、ルクルトが走るレースが楽しみだった。だから、、彼が競走中止した瞬間、声にならない悲鳴が出た。唖然とした。レースは直線の攻防を伝えていたと思うが何も聞こえてこなかった。ただただ無事を願うことしかできなかった。こんなにも、まさしく大殺界なことがあるのかと、こんな日に応援したのが悪かったのだろうかとも思った。
それから4日が経ったところでこうして文を紡いでいる。今年は競馬での悲痛な事故事件が数多く続いたけれど、本当に全人馬無事というのがあってこそだ。そのうえで、また心震わせる競馬に出会いたいと思い始めている。
ルクルトに関しては公式発表のようなものがなく、モヤモヤともしているが、積極的にはどうなったかを知りたいとも思えない自分もいる。しかし「競走馬として」は死んでしまっただろう。彼はもう走ることはできない。最後のレースは走りきることができなかったけれど、ここまで、生きて、よく走り抜けてくれたと思う。
通算成績33戦4勝。
父キングズベスト、母アトランティード(その父Curlin)。
「タフな」「小回り」「外差し」の『ルクルト』。
ありがとうございました。その走りに敬意をこめて。
2025/11/3に、高知競馬場に行ってみようかなと、そんなことを考えている。