勉強が嫌いという、残酷
生まれは愛知県。
なんて事は無い、ごく普通の環境で育った二人兄弟の次男。
" 良く勉強のできる兄 " と ” 勉強嫌いの弟 ”
という、良くありそうな構成である。
写真の世界に入って18年程になるが、なぜ写真を始めようと思ったのか、、、。
それは紛れもなく、『勉強が嫌いだった』からの他ならない初動である。
高校生活も終盤に差し掛かり、みんなは大学受験で猛勉強さながらの中
自分はなぜか、焦りは一つもなかった。
親からも大学に行っておいた方が良いと言われていた。
勉強するのが嫌いだから、もちろん大学にも行く気はさらさらなかった。
その前に、気持ちも意識も追い付いていなかったと言うのが本音だろうか。
全く、学校教育という先が想像も付かなかった。
自動的に学校に通えば1日が終わる。
いい子にしていれば、何事もなく終わる。
そんな毎日。
今思えば、幼さとは言い難いとても残酷な思考。
親をどうこう言ってもしょうがないし、
『そもそもなぜ大学に行くべきなのか?』の腑に落ちた解答もなく、
それを詳しく聞く自分も居なかった。
これがいかに受動的に人生を生きていたか、
物事に疑問を持たず、本質を考えずに日々を過ごしてきたのかの答えだ。
まだ若い時にそう言った考えは難しい、と大衆は思うだろう。
きっと、それが日本の教育だからだ。
若い子に気づいて欲しいのが、
『勉強』というものが、授業で受けるだけの科目の勉強だけでは無いと言うことだ。
学校の授業で習ったことなんて、社会で使う事はまず無いと思っている人は多いだろう。
ほぼ正解である。
細分化したらそれは習ったことも、社会で使うことがあるかもしれないがそんな細かい話は良い。
授業だろうがなんだろうが、『本質を意識した思考』が必要である。
なぜ?を持たない先に成長はない。
記憶学習の知識の先に、何を考えるか。
『なぜ?』を思い → 『なぜ?』を確かめる行動
人生の本質は、すべて能動的行動で成功に近ずく。
※能動的って何?って思ったら調べてみよう
※読めない?コピペしてGoogleに調べてもらおう。
『疑問を持つ』→『考察する』→ 『行動する(経験する)』
情報社会、知識豊富な人は多い。
勉強ができる人も記憶力が良いのだろう。
その人たちがもし成功できていのならば、行動がないからだろう。
先の人達を全て否定するつもりはない。
全ては情報(知識)から生まれるからだ。
基礎のないところに、良質な疑問は生まれずらい。
より生きやすい未来を望むなら、
『勉強(情報収集、疑問を持つ)』は必要不可欠だ。
そこから行動する事で、新しい生き方(アイデア)が生まれる。
と、話がずれたが
だからと言って、写真の選択が悪かったわけではない。
勉強は成長のスピードに相乗する。
という事が言いたい。
物事が訳わかってくると、世の広さを実感する。
どれだけ小さな世界で生きているか気付くだろう。
楽しい事、辛い事もあるけど自分の考え得るテリトリーだけが人生じゃないよ。
地図の広さを知って人生自分の足で歩けたら、めちゃめちゃ楽しいよ!
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