写真てなんだろう?
と、思います?
『写真ってカメラで撮って出てくるそれだろ?』
って、まぁそうなんですけど
写真と向き合っていくと色々と哲学的になってくるんですよね。
芸術的観点といいますか、写真論みたいな感じです。
写真や芸術をされている方は、自身の考えがとても強いのでどちらも譲れなく喧嘩っぽくなることもあるんじゃないですか?笑
一言で『写真』を語るって言っても『写真』をどの角度から見るかによって、語る話も様々になってくる。
ここでの話は、写された写真の事ではなく、『写真』とは?的な意味です。
写真って何?を考える。
ある人は、とても哲学的になったり(教養がある人は多いですね)、
ある人は、とてもシンプルだったり、
ある人は、何を言っているかさえ分からなかったり、
ある人は、ちゃんと考えてる?って会話にさえならなかったり、、、
その様なことはよくあります。
その人にとっての写真の
『必要度』『興味度』『実用度』『熟練度』『解像度(物事の)』『理解度』『知識の差』etc....
などなど
それぞれにもレベルがあるので、写真の評価なんてものは結局のところ自分の好き嫌いくらいのレベルに落ち込む
熟練度のある人でも、結局の所、自分の納得する『好き』が先に立った話であろうと思う。
しかしながら、写真を語る上で一番重要なのは『知識の差』が重要と自分は考えます。
知識の差と言うのは、カメラや写真の教養だけではなく
『世の中全てのことに対して』です。
博学の人ほど、写真をいろんな角度から見る事ができるよね。
それって『本当の写真』を読み取る力なんじゃないかと思う。
一枚の写真から、読み取る情報量もそうだし、感じ方も格段に違う。
※これは、撮影においても同じ事が言えます。
多くの人は、『この写真好き!』とか『なんか良いよね!』
と言う感じ方が多いんじゃないでしょうか?
それが良い、悪いとかの話ではなくてね。
写真を長くやってくると、本質を意識した撮影ってとても大事だとわかってくる。
『雰囲気の良い写真』ってとても素敵です。
デジタルが盛んになり最近はそう言った上手な写真って多いです。
でも、『雰囲気だけで撮っている写真』が多いと思うんです。
そこに本質がある人が本物のカメラマンだなと思うわけです。
何を言っているのか?
写真って極論自分が楽しい様に撮りたい様に撮れていれば良いんですが、
さっきも言った様にそれぞれにもレベルがある。
その写真の中が整理され、写っているものに意味を持たせた写真なのか?が、
本当に良い写真、上手な人なんだと思うんです。
それはスナップ写真でも、スタジオ写真でもそうです。
写真の中の情報が整理されて意味ある(意味が考えられている)写真。
スナップで言うならば、写っている場所(シチュエーション)、写っている物や人、配置、構図にカメラマン自身が解答を持っているか(意味を持って写真を撮っているか?)で、写真に真実味がでる。
スタジオ撮影で例えるなら
ブラジルの一級品の高級豆を使用した缶コーヒーの商品撮影をしたとしましょう。
缶コーヒーをメインに、淹れたてのコーヒーと豆を背景にして一緒に撮影した。
豆はコンビニで買ってきて何となく百均で買ってきた
おしゃれそうなカップに入れて撮りました。
…と、言う違和感。
わかりますか?
そう言う事なんです。
ブラジル産の豆を現地から取り寄せて…や
ブラジルのその豆を作った現地で撮影して…見たいなことをやって見ると、
写真に真実味が出てくるわけです。
※そこまで拘ってコストかけて撮影する人もいないと思いますけどね笑
極端な話をしましたが、雰囲気が雰囲気だけじゃなくなるんですよ。
『本質を持って写す写真』
それは本物の写真になるんです。