見出し画像

専門学校〜結婚後の金銭感覚

こんにちは。子どもの為、自分たちの老後の為に資産形成にハマっている4児の母あきです。今回は前回に引き続き、高校卒業後からの自分の金銭感覚について書いて行きたいと思います。誰得!?と思われるかも知れませんが、赤裸々に綴って行きたいと思います。乞うご期待!


祖父が全て払ってくれた専門学校、イギリス留学、アメリカ留学

高校卒業するまでは、割と貧乏生活で、お小遣いもなく、誕生日やクリスマスも普通の日、進学校は公立で、元々安かったはずだけど、父は無職年金暮らしのため…とさらに割安にして費用を払っていました。
そんな私が高校を卒業した時に、祖父が「(蒸発した)母の代わりに行きたい所にどこでも行かせてあげたい」と申し出てくれたのでした。その申し出に、姉は調理系の専門学校に行きました。私はというと、中学生になる頃には「インターナショナルナースになってアフリカで困っている人を助けたい」という夢があり、看護師の資格をとるのか、英語を頑張るのか、どうしよう…と悩んでいた高校3年生の時に突如頭に浮かんだのが「外国で看護師になったら英語も学べるし、看護師にもなれる一石二鳥では?」というアイディアで、そのぶっ飛んだアイディアを叶えてくれそうな専門学校を見つけ、祖父に「インターナショナルナースになりたいから、最初に大阪の専門学校に行って、その後、アメリカの学校に行きたいんだけど…どうでしょう?」という問いに、祖父は速攻でOKしてくれたのでした。そんな訳で、私は何一つお金を払わずに、専門学校、専門学校時代のアパート代、イギリスへの3週間のホームステイ代、アメリカの大学の費用、寮費、飛行機代など全て出してもらったのでした。その時の私は思いました。金額を知らずに出してもらうって怖いな、と。物凄く高いお金だったと思うのに、払ってもらってる自分はそのありがたさをあまり感じることが出来ず、自分で何もかもやりくりしていたことにある種の誇りを持っていたのに、その誇りも全然育たないなと思いました。祖父は私以外にも、弟にも6教科の塾代や、生活費、そして弟はアリゾナの大学に行きましたが、その費用も全て出していました。私は正直やりすぎだと感じていました。そして案の定というか、それほど重課金した末の弟はずっとニートです。ひたすらニート。少なくてもいいから自分でも払わせるという仕組みは絶対に必要だと感じたのでした。

祖父がお金持ちなのは何故?

これほど多額の資金を私たち孫たちに使ってくれた祖父は、専業主婦の祖母と、母の3人家族で、祖父は普通に大手百貨店のバイヤーというサラリーマンでした。ただ祖父には投資の才能があったのです。投資で莫大なお金を作りだし、それを惜しみなく私たちに使ってくれたのでした。そんな祖父が近くにいたので、私は投資をとても身近に感じていました。

お金持ちな祖父と貧乏な父

反対に父は割とジリ貧な感じでした。それは何故か?というと、こちらも投資が絡んでいます。父はバブルが弾ける直前に投資をしたものの、その後バブルが弾け、一気にお金を失ったようです。また不動産への投資として、京都の嵐山に別荘を購入していたのも当時お金がない原因だったのかも知れません。さらにその別荘をその後、継母にタダで譲っています。(その後10年以上住み、売却した時には2000万円ほどになったそうです)また父は京都市に4000万(当時の値段)ほどで購入した一軒家もタダで友達にあげているようです。そんなお人好しな面もお金が貯まらない原因かも知れません。また父は母と結婚している時にアメリカなどの外国へ数回行っています。(私たち子どもを置いて)さらにど田舎に引っ越したと前回書きましたが、そのど田舎の土地の広さは1000坪あり、山まるまるあったりするので、それもど田舎の中でも割と高い金額で買っていると思います。さらに藁葺きの和風の家でしたが、私が物心つく頃には、ほぼ洋風な家になっていたので、リフォーム代なども結構かさんでいたのかも知れません。

結婚のお祝いに100万円、節句に30万円をもらう

私が結婚する時、祖父母に報告に行くと、祖父は現金100万円をお祝いでくれました。私はこのお金で当時分割で購入してローンが残っていた車の借金返済に使わせてもらい、お互い借金のない形で結婚して欲しいという義両親の要望に応える形で結婚しました。
また長女の為に、お宮参りセット、お食い初めセットを購入して送ってくれたり、お雛様の時期に30万円をくれたりしました。祖父母がくれる金額はいつも大きくまとまっていて、それがすごく助かったのを覚えています。

義両親から家具、家電、洋服などをもらう

結婚後は、義両親宅にある家具、家電、洋服を色々いただき、いただいた物で生活していました。ソファや机は独身時代に楽天オークションで落札した1000円や2000円の物を使っていました。必要なものは購入することもありましたが、買わなくても大丈夫な物は頂き物を使って5-10年生活しました。

私のお金で生活し、夫のお金はローン以外全て貯金する

長女が生後10ヶ月の時に、失業保険が欲しくて、その条件として面接を受けるというノルマがあり、そのノルマを達成させる為に…とかなり条件の厳しめの工業地帯の会社にある翻訳業務の仕事の面接を受けに行きました。受からなくても当然良く、子どもを育てながら失業保険をもらうことが望みでした。それが何故だか受かってしまい、それでも今後の資産形成を考えると、今は娘に可哀想な思いをさせるかも知れないけど、後々は娘の為になるから…と自分を納得させて働くことにしました。私が働いたお金で家計をやりくりし始め、夫のお金はローンが自動的に引き落とされるので、それは触れませんでしたが、それ以外は使わずに取っておきました。2008年4月から働き始めて、リーマンショックの為、契約社員が全員首宣告される2009年1月までの約10ヶ月で100万円を貯めることが出来ました。ただ当時は2年働かないと契約社員から社員にはなれないというルールがあったので、契約社員だった私ももちろんクビになりました。その時の私の気持ちは…よっしゃー!という気持ちでした。私が何よりしたいことは子育てだったので、また子どもと一緒にいることが出来ることの方が嬉しかったのです。また会社側かクビ宣告しているので、失業手当が通常よりも長く受けることが出来たのもとても良かったです。

奨学金で看護学校へ行く

リストラをされた日、私は嬉々として義母にリストラされたことを伝えました。すると義母は「後1週間後にある看護学校の試験を受けてみたら?」と言ってくれたのでした。元々インターナショナルナースになりたかった私が、色々あってなれていないことを知っていた義母がチラシを見つけて、それを教えてくれたのでした。私はそこまで乗り気ではなかったものの、でも絶対に受かる訳じゃないし…と思い、受験することにしました。その年は、リーマンショックの煽りを受けて、学校内だけでは座る場所がなく、急遽別の会館にも試験会場を設ける盛況ぶりでした。そんな中、受かる訳ないでしょ、と思っていたら、受かってしまい、しかも結構成績上位だったらしく、成績上位者はスピーチや、花束を渡す役が回って来たのですが、その役も回って来て、人数限定の返済不要の奨学金にも応募することが出来たのでした。毎月23000円の奨学金をもらえることが決定したものの、それでもいくらかは払わないといけない状況だった為、働いていない私は結構焦りました。ただリストラ後だった為、午前中などに働いている生徒もたくさんいましたが、働くよりも失業保険をもらう方がずっといい金額がもらえたので、その辺は本当に助かりました。夜8時に1歳半になる長女を寝かせつけして、私も一緒に寝て、朝2時に起きてそこからレポートを書き、朝5時から夫のお弁当、皆の朝ごはん、夜ごはんを作り、夫を起こして、長女を起こして、保育園の準備をして…という怒涛の毎日がやって来ましたが、そんな中でも特に外食しようとか、惣菜を買おうと思わなかったのは、そういう発想がなかったからだと思います。

大きい買い物を瞬時に決めていくつか購入する

あまり細々とした出費はなかったものの、「一生涯」とか「コスパがいい」と思ったものには、課金しがちでした。大きな買い物としては鍋30万円というのがあります。友人におすすめされると弱いというのもありましたが、当時使っていた鍋がすぐに剥がれてきて、ご飯を食べているのか、鍋を食べているのか分からない状態だったのが恐ろしく感じていて、一生涯保証の鍋を購入しました。この鍋は今でも我が家で愛用していて、使い倒すのであればコスパはいいと判断しての購入ですが、かなりコスパ良く使っています。
他に高い買い物といえば、ディズニー英語システムという英語教材。こちらは子どもが4人出来た時点で、4人に使える、中古で試したがものすごい効果が期待できる、長く使える=コスパがいいと判断して購入しました。服などは年に数着購入しますが、基本は買ったものを長く着ます。

住宅ローンの繰上げがしたい→夫の借金返済へ

私が頑張ろうとしたこととして、住宅ローンの繰上げ返済です。繰上げ返済する際に2万か4万かかかるということもあり、少しでも貯めてから一気に返済したいと思っていました。基本100万が貯まったら…と思っていたのですが、この100万を貯めるのがかなり大変でした。何故かというと子どもがコンスタンスに4人生まれた為、パートしか出来ず、さらに産休、育休を何度もとることになり、本当になかなか貯まりませんでした。そしてようやく貯まりそう!となると夫がいつの間にか金融機関で借金をしていて、毎月定額の借金返済の首が回らなくなった時点で借金があるとカミングアウトしてくるというのが何度かありました。住宅ローンの為に貯めていたお金を夫の借金返済、そんなことが2度ほどありました。

俺が借金をするのはお前のせい!という価値観

夫の借金が100万円単位になったものを何度か返していて、夫名義の金融機関のカードに後少し借金が残っているある日、どうしてもコンビニからお金を入れることが出来なくて、よく分からなかったので、返済分のお金とカードを夫に渡して、自分で今月分は返して来てと伝えました。夫は返したと言った後、なかなかカードを返しませんでした。そして発覚したさらに100万円の借金。
しかもたったの1ヶ月で。その時には苦労して貯めたお金は底をついていて、一括で返すことは出来ない状況でした(厳密にいうと、私のへそくりは少しありました)。そして夫はというと「俺が借金してもすぐに返すやん。お前らがすぐに返すから、俺の借金を返す癖が治らないんや!お前らのせいや!」と悪びれることもなく言われました。
その時に専門学校、留学を全て払ってもらった過去の自分を思い出しました。申し訳ないことに、あまりありがたみがなかったあの時代を。夫の言葉も納得した私は、密かに離婚した時のことも考えつつ、借金を毎月4万円返済するという方法を取りました。夫に任せるとまた借りられる心配がある為、毎月私が返していました。毎月4万円返して、利息で15000円取られる、そんな状況でした。それがあまりにも不快で、今後の4人の子どもの将来を考えて、借金を返しながら、密かに資産を作ることに決めました。それが2021年8月に夫の借金100万円が発覚した直後の決意になります。

コツコツとした蓄えは大きな助けになる

資産を作ろうとした時に私の支えになったのは、毎月コツコツと入れていた子どもたちの学資保険や、定期積立でした。毎月だと1人1万ぐらいだけど、10年もかけていると100万ほどのまとまったお金になっていました。それを元手に投資を始めた訳ですが、投資をしている今も三女や長男の学資保険は続けていますし、毎月の定期積立もしています。コツコツは大きな力になることを知っているからです。

資産7000万円を目指して

2021年8月の夫の4回目の借金発覚後に我が子の為に1000万円を!と始めた資産形成ですが、ありがたいことに2023年12月に念願の1000万円を達成することが出来ました。そこでストップせずに、モチベーションを保つ為にも子ども1人1000万円➕自分の老後3000万円🟰7000万円まで頑張ろうとしています。そんなきっかけを作ってくれた夫にはある意味感謝しています。そして夫は有金を全て使う人間なので、家計の管理を全て私に一任してくれているのもとてもありがたいことだと感じています。私自身は、そこまでお金を使うタイプではありませんが、「経験」や「コスパ」を考えた大きな買い物や出費などはするタイプではあるので、来年は子ども4人を連れてフィリピンに1ヶ月滞在する予定にしていて、そういうことでは大きく出費したりするのですが、貯めるのも大好きなので、これからもコツコツと7000万円の資産を貯めるまではたゆまず突き進んで行きたいと思っています。
今までは子育てメインであまり収入も多くはなかったけれど、子育てが一段落したら、バリバリに働いて、もっと早いピッチで資金を貯めていけれたらいいなと思っています。私にとっての一番は子育てなので、今まで借金の問題などあったけれど、それでもここまで楽しく子育て出来たことには各方面の全ての方に感謝しています。特に今まで身を削って頑張ってくれた夫には大きく感謝しています。ただこれから先の未来は何があるかなんて誰にも分かりません。そんな時に子どもたちを支え、自分の老後の資金などもしっかり作っておくことはどう転んでも役に立つことだと思うので、これからも夫に得に言うことなく、密かに淡々と貯めていきたいと思っています。

いいなと思ったら応援しよう!