青春小説「STAR LIGHT DASH!!」8-11
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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」
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第8レース 第10組 孤独を編んで
第8レース 第11組 さがしものは青空です。
月曜、いつもの時間にカフェに行くと、俊平が難しい顔をして参考書を睨みつけていた。
集中力を途切れさせないように、先に飲み物を買ってから、そっと椅子に腰掛ける。
俊平は気が付くこともなく、古文の問題を解いていた。
運動部でずっとやってきただけあって、ここぞという時の集中力の高さはすごい。
彼がバランスを取ることを覚えていれば、今複数教科を抱えて頭を悩ませることもなかったろう。
……でも、バランスを取ることを考えられるような人だったら、きっと陸上に傾倒することもなかったのだろう。
彼を見ていると、昔の自分がちらつく。
自分はこれほどまでに不器用ではなかった自負はもちろんあるのだけれど。
「……？ あれ？ 月代さん、声掛けてくださいよ」
俊平が問題を解き終えて顔を上げ、ようやくこちらの存在に気が付いた。
拓海はすぐに笑顔を作る。
「集中してるみたいだったから」
「……それはありがたいですけど、オレは月代さんの時間を借りてる身なんで」
「ふふ、しかも、タダでね」
「体で返します」
「その言い方は語弊があるからやめようか」
さすがの拓海も俊平のその表現に慌てて、俊平の口を塞いだ。
周りの席を気にするように見回して、聞かれていなかったことを確認してから、手を下ろす。
「はは」
「なに？」
「月代さんでも慌てるんだと思って」
俊平がいたずらっぽく白い歯を見せて笑う。
「きみねー、ひとつ間違えたら、わたしの立場が危うくなるんだから、よく考えて発言して」
「……？ どういう？」
「あー、わからないならいい。さてと、土日で修正してきた答案ちょうだい。こっちは新しい問題」
表情から分かっていて言ったのかと思ったのに、どうも彼は高校3年生にしては純粋すぎるところがある。
こういうタイプにそういう話を気にしろと言っても、そんなのどこ吹く風なのは当然なので、気にするこちらがおかしいのかと思わされる。
拓海が問題を差し出すと、俊平も答案用紙をこちらに渡してきた。
解き直し答案を丸つけしている間に、彼が次の問題を解く。
拓海側の準備が整って、金曜からその方針に切り替えた。
解き直し答案も、口では「100点にしてきて」とは言っているものの、さすがにはじめからそれは酷だった。
口元に手を当てて、「惜しかったな」と呟き、間違えた箇所に丁寧に赤ペンで正しい答えと、どうしてそうなるのかを書き加えてあげる。
彼の解き直し答案は、すべて真面目に解いて戻ってくる。
教えてもらっているのだから当然だと彼は言うかもしれないが、今教えている英会話教室の生徒さんたちのことを考えると、このくらい勤勉であったなら教え甲斐もあるのだろうなと思わざるを得なかった。
「先週返してもらった月代さんの解説読んだんすけど」
「うん」
「試験だとこう出るだろうけど、現地だとこういう言い回しじゃないときょとんとされるから。とか書いてあってちょっと笑っちゃいました」
「せっかく学ぶなら使える知識でと思ったから」
「わかるんすけど、オレ、それだと、実用性高いほう覚えちゃうなぁって思って」
「そこは上手く切り分けて」
「ハハッ。わかってます」
俊平の言葉に、いつものつれない調子で答えると、彼はおかしそうに笑って、問題用紙に視線を戻した。
「オレ、選ばれし者じゃなかったから、陸上留学とかしたこともなかったけど」
「選ばれし者」
俊平の言い方が可笑しくて、拓海はその言葉を反芻する。
「いつか必要になるかもしれないでしょ、って月代さんに言われて、初めてそう考えて生活しなきゃいけなかったんだなって意識するようになって」
「仕方ないよ。わたしも当時困ったなぁって思ったから言っただけだし」
「当時っていうのは、海外飛び回ってた頃のことすか？」
「……まぁ、そうだね」
「月代さん、舞先生と同じくらいですよね？ それって、10代の頃の話だったりするんすか？」
俊平は解き終えたのか、よしと言って、シャーペンを置いた。
腕時計を確認するが、まだ時間が残っていた。ちょっと簡単にしすぎたろうか。
「へへー。今日のは自信あります。ちょうど、昨日やったとこでした♪」
「あらそう」
解き直し答案を俊平に返し、俊平が綺麗な姿勢で両手で差し出してくる今日の分の答案を受け取る。
真っ直ぐで純粋な目がこちらを見つめている。
拓海は横髪を耳に掛け直し、答案に視線を落とした。
丸つけをしながら、ゆったりと口を開く。
「高校2年から海外留学してた」
「それは音楽で……？」
「ええ」
「へー。すげ」
「自分は特別な存在なんだって信じて疑わなかった」
「そりゃ、17とかで海外留学なんて、選ばれし者ですもん」
「ふふ。谷川くんはその言葉が好きなの？」
「……好きじゃないすよ。オレはそっち側じゃない人間だから」
順調に丸をつけていたが、そこで不正解の×をつけ、拓海は手を止めた。
顔を上げて彼のことを見ると、俊平は真面目な表情で、窓の外を見つめていた。
「小学2年まで引っ越しの繰り返しで。友達ができてもすぐお別れだし。でも、足だけは速かったから、別のところ行っても、かけっこが速いやつですぐ覚えてもらえたんすよね」
「そう」
「……でも、みんなはじめだけで。勝負なんてもうわかりきってるんだから、そんな何回も一緒に走ってくれなかった」
彼は寂しそうに目を細め、苦笑してこちらを向いた。
「ただ、一緒に走ってくれる人が欲しかっただけだけど、でも、実際問題、オレだって、自分より速いやつに付き合ってあげられたかなって思い返してみると、そりゃ、みんなのほうが正しいよなって思うんすよ」
「そう、かな」
「オレはそういう子たちの中ではずっとはぐれ者で」
はぐれ者という表現に、拓海はドキリとした。
「小学4年で陸上大会に出てよくなって、ようやく、独りじゃなくなった気がした」
”神童”ともてはやされた小学生時代のことが過ぎって、拓海は目を細めた。
音楽一家。才に恵まれ、環境も申し分ない。
受けるべき期待に応えうるだけの能力が自分にあったこと、それだけが救いだった。
「中学まで、年に何回か、そういう全国の速い連中と競える大会があるのが嬉しくて。次会う時は、あいつより速くなってやるんだ！ みたいな。そういう楽しさの中で、オレはずっと走ってました」
「そっか」
「子どもの頃から夢は”オリンピックで金メダルを取ること”で」
彼が以前「夢のために頑張ると決めている」と言っていたのは、そのことだったのか。
「でも、ずっと全国大会に出られてたから分かってた」
「え？」
「このままじゃ、オレの夢は叶わないって」
「…………」
俊平の声にノイズが走り始めたのを感じ取った。
拓海はそっと右耳を押さえる。
今まで彼が発していたノイズとは違うノイズだった。脳髄に響くような嫌な音。
「高校に上がって、今までなら余裕で全国大会に行けていたのに、それが難しくなって、すげー焦って」
テーブルに肘をついて、合わせた両手の上におでこを乗せて、俊平が息を深く吐き出す。
そこで拓海が感じ取っていたノイズが止む。
「怪我した時はなんでって思ったけど。今は自業自得なんだってちゃんと分かってる」
「自業自得……？」
「ずっと誠実に追い求めていたつもりだったけど、オレは高校に上がってから、速く走れるようになりたいばっかりで。陸上のことを、ちゃんと楽しめてたかって訊かれたら、即答できないんす」
はっきりとした声。
刹那、彼がいつも放っていたノイズもクリアになった。
それはほんの数秒のこと。
拓海が彼の音から感じ取っていた、ノイズの先にある青空が姿を見せた。
突き抜けるような青空。
トランペットの音色が似合う、キラキラした日射し。
あまりの綺麗さに、拓海は息を飲んだ。
「仲間が欲しかったはずなのに、仲間を見もせずに、オレは自分のことばっかり」
すぐにその青空は鳴りを潜め、またノイズに覆われてゆく。
「走ることは楽しいことだって、忘れたからバチが当たったんです」
俊平は深く息を吸い込んで、拓海を見つめてくる。
「月代さんはすごいです」
「え、わたし？」
「……だって、音楽やってる時、楽しそうですもん」
優しい声でそう言った後、自分語りしすぎたことを自覚したのか、恥ずかしそうに俊平は鼻の頭を手の甲でこすった。
拓海はそう言われたことに驚いて、目を丸くする。
『あなたたちにとって、この演奏が大事な思い出になってほしい。……音楽は楽しいんだって思い出すきっかけになってほしい』
土曜に奈緒子たちに語った言葉を思い返して、すぐに目を閉じた。
「わたしのは復讐だから」
「復讐……？」
「音楽のことは愛しているけれど」
それと同じくらいに、憎んでもいる。
「谷川くん」
「はい」
「これから先、きみがその道を歩き続けると決めているなら覚えておいて」
柔らかい声を発し、拓海はゆっくりと目を開けて、俊平を見つめた。
「いつでも誠実じゃないといけないなんて、絶対考えないで」
「…………」
「人はそんなに単純じゃないから、どこかで躓くし、ブレることもある」
彼がグッと唇に力を入れたのが分かった。
「その躓きやブレを、きみは真面目だからきっと全部自分のせいにするかもしれない」
拓海はそこで泣きそうになって、眉間に力をこめてから、もう一度視線を戻した。
「貫くことだけが正しいことじゃない。音楽だって、たくさんの淀みや迷いの集合体なの」
俊平と初めて会った時歌っていた名前のない歌。敢えて、名前を付けなかった歌。
あの曲は、自分自身で音楽と闘うと決めた時に作った曲。
複雑な感情から生まれたその曲を、二ノ宮修吾は、拓海とたくさんやり取りをして、繊細なひとしずくまでも掬い取って歌詞を付けてくれた。
「好きなことと接し続けるのは、長期的な消耗戦だから」
「消耗戦……？」
「疲れたな、苦しいなって思ったら離れてお菓子を食べたっていいし。憎くて憎くて仕方ないなら、殲滅するくらいの気持ちで立ち向かえばいいんだよ」
拓海の表現がおかしかったのか、俊平がそこで笑った。
「きみはまだ諦めてないんでしょう？ 選ばれし者になることを」
「うす」
「ふざけんじゃねーよって思ったら、ふざけんじゃねーよ、でいいんだよ。自分が悪い、で全部済ませちゃダメ。でないと、きみが苦しくなるからね」
そこまで話して、ようやく、拓海は気が済んで息を吐き出した。
俊平がどう受け止めるべきか悩むように、テーブルに視線を落として考え込んでいる。
拓海は丸つけの続きを進めて、最後に”80点”と書き加えた。
小テスト5回目にして、一番まともな成績だった。
「夏祭りの時も言ってくれましたよね」
だいぶ時間が経ってから、俊平がそう言った。
自分を大切にして。と確かに言った。
「なんだろうね。きみを見てると、つい言いたくなっちゃうみたい」
拓海はそこでようやく自分の気持ちのベクトルを認識した。
どうしてか、自分は彼に夢を叶えてほしいと思っているようだ。
拓海は先程、彼のノイズが晴れた数秒間垣間見えた青空のことを思い返して、目を細める。
光の粒子たちが見せてくれていた幻想の青空に似ていた気がした。
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