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青春小説「STAR LIGHT DASH!!」8-13

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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」

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第8レース 第12組 その背中を追う者は

第8レース 第13組 翼なんてなくたって

「月代さんの師匠だったんすか」
 賢吾がハンバーガーをおごってくれたので、俊平はモグモグした後、そう返した。
 向かいの席に座って、ご機嫌斜めの表情の30代後半か少し上くらいに見える外国人の名前は、エドワード・クロムウェル。
 クラシック界ではなかなかの有名人らしい。
 賢吾はサングラスを外して、やれやれとため息を吐く。
 涼やかで切れ長な目。初めて、サングラスをしていない顔を見た。イケメンじゃーん。内心そんな言葉が過ぎった。
 弟の修吾も穏やかなハンサムだったので、納得するしかない。
「俺とアイツはエドに師事してたから、その関係で今も交流が続いてんの」
「はー。オレ、もしかして、邪魔しちゃったんすかね」
 でも、先程の拓海の困り顔を見るに、割って入ったのは間違いじゃなかったと思う。
「さっきも言ったとおりで、アイツはまだもがいてる最中だから、これでいいんだよ。エドも、今回はアイツの様子が見られりゃいいって言ってたくせに。まーじで、このおっさんは!」
「――――」
 翻訳アプリ片手に2人の会話を眺めていたのか、お師匠さんは申し訳なさそうに何か言った。
「はいはい。アンタはいつもそうだからもう慣れましたよ」
 賢吾が呆れたようにそう返して、ふーと息を吐き、スマートフォンで何か検索して、俊平に見せてくれた。
 ”星巳澪 今期待の若手ピアニスト。名だたる国際コンクールで連続優勝を果たす。”
 今より少し若い頃の拓海の写真と共に、そんな文章が踊っていた。
「……月代さん?」
「ほしみれい。それがほんとのアイツの名前」
「え?」
「音楽活動用の名前なのは知ってたろ?」
「え?」
 俊平は何も疑っていなかったし、スマートフォンもほとんど連絡用にしか使っていなかったので、目をパチクリさせるだけだった。
「ひっそり暮らすには、アイツは有名になりすぎたんだよ」
「あ……」
「普段の勤め先も、実名は伏せてる」
 俊平は拳を握り締めて、拓海の記事が表示されたスマートフォンを見つめる。
「だから、飛び入りの生徒さんはお断りなんすね」
「そうだな。下手を踏んで、自分のことを知ってる奴だったら困るから」
「……大変なんだな」
「お前に話したって言ったら、怒られるかもしんねーけど。でも、お前だって、なんも知らないままなのも気持ち悪いだろ? こんな面倒ごとに巻き込まれたわけだし」
 ぶっきらぼうにそう言って、コーヒーのカップに口をつける賢吾。
 エドワードがこちらを見て何か話しかけてくるけれど、何と言っているのか俊平にはわからない。戸惑っていると、賢吾が少ししてから口を開いた。
「……星巳は元気にしていますか? と」
「え。あ、はい。オレは、音楽はなんにもわかんないんですけど、その、受験勉強を、見てもらってて」
 翻訳アプリの翻訳文を読んで、エドワードがふんふんと頷く。そして、また何か言った。すぐに賢吾が訳してくれる。
「あの子はふつーの生活をしていられてるんですね」
「……どうだろう」
 俊平の言葉に、エドワードが不思議そうに瞬きをした。
「月代さんは……あ、これは、オレの勝手な想像なんすけど」
 エドワードは次を促すように目を細めた。
「月代さんは、ふつーの生活なんか、たぶん、望んでないんじゃないかなって」
 俊平の言葉に、賢吾が下唇を噛んだのが見えた。エドワードも、翻訳文を見て、寂しそうに目を細めた。そして、ゆったりと言葉を紡ぐ。それを賢吾が翻訳してくれる。
「あの子の才能を思えば、本当はそっとなんてしておきたくない。あの子はピアノを奏でられなくても、きっとこれから多くの空を描き出すし、あの子の才能は、今のクラシック界に必要だ。彼女こそが”音楽”だから」
 その言葉に、俊平は何も返せなくて、グッと息を飲みこんだ。
 何があったのかはわからないけれど、あの人は”選ばれし者”だったのに、そうじゃなくなった人だったんだ。
 賢吾が見せてくれた情報と、エドワードの言葉で、それをなんとなく察する。
 夏休み中、奈緒子と行った拓海のライブで会った修吾が、言葉を選ぶように話をしていたのは、そういうことだったのか。
 ……弾けるけど、弾けないんだ。
 エドワードはまた何か話し始めた。賢吾がそれを聞いて、少し翻訳に迷うように表情を揺らめかせ、うぅんと唸った。
「僕があの子の理解者でいなければいけなかった。それなのに、あの子の才能の翼は眩しすぎて、僕なんてあっという間に置き去りにされてしまった」
 エドワードは続ける。賢吾が少し考えてから、またそっと訳してくれる。
「僕はあの子の”音楽”に恋をしていたのに。理解の範囲を超えて、はばたこうとしていたあの子を、きちんと導いてあげることができなかった。あの子にわかってほしかった。立ち止まってほしかった。まだ、時じゃないと」
「……月代さんは、もうピアノを弾けないんですか?」
 話を聞きながら、そうなんだろうと思ったことを、ようやく尋ねる。エドワードではなく、賢吾が答えてくれた。
「俺なんかより上手に弾くよ、アイツは」
「え」
「怪我をしたわけじゃないんだ」
「……じゃ、どうして……?」
「舞から聞いてるけど、陸上やってんだっけ?」
「あ、はい」
「だったら、たぶん、イップスって言えば伝わるかな」
「……あ」
 俊平は言われて納得した。
 試合でのミスや練習のし過ぎなどが引き金になって、急に思い通りに体が動かなくなること。俊平はそう認識している。
「アイツは音楽に真摯で、納得するまで弾こうとする奴だったから。理想の演奏を追い求めた結果、局所性ジストニアを発症しちまったんだ」
「でも、それだったら……」
「理解者のいない音楽を奏でるために、治療に取り組むなんて。無理だと思わないか……?」
 冷静な賢吾の声。
 俊平は訳が分からず、首を傾げることしかできなかった。
 拓海の音楽は、自分に寄り添ってくれるような優しさがあった。理解者がいないなんて。そんなことは……。
「あの時の星巳の演奏は、別次元に行こうとしていた」
「…………」
「俺はすげーと思ったが、コンクールの審査員たちは、それを是としなかった」
 翻訳文を読んでいたエドワードが悲しそうに目を細め、両手を組んでテーブルに肘をついた。
「確かに、星巳がしようとしていたことを理解できた者はあの場にいなかった。それでも、もしも、あの時のあの演奏を、認めてやれる存在がいたのなら、きっと、全然違う未来があった」

『わたしのは復讐だから』

 数日前に彼女が言った言葉が過ぎった。
 あんなに楽しそうに音楽活動をしているのに、その言葉はあまりに不釣り合いで違和感しかなかった。

『音楽のことは愛しているけれど』

 あの後に続く言葉は、一体何だったのだろう。

『その躓きやブレを、きみは真面目だからきっと全部自分のせいにするかもしれない』
『貫くことだけが正しいことじゃない。音楽だって、たくさんの淀みや迷いの集合体なの』

 俊平は彼女の言葉を思い返しながら、グッと奥歯を噛み締める。

『きみはまだ諦めてないんでしょう? 選ばれし者になることを』
『なんだろうね。きみを見てると、つい言いたくなっちゃうみたい』

 あの人は。

「アイツがピアノから逃げたいならそれでいいと思ってる。音楽を続けてくれるならそれでいいと、俺は思う。むかつくけど、アイツの作る曲はすげーし、アイツがワクワクしながらやりたいって言ってくることは、音楽への愛に満ち溢れてるから」
 賢吾は複雑な表情で、それでも眩しいものを思い出すように目を細めて笑った。
 俊平は夏祭りの時の彼女の言葉を思い起こす。

『わたしには音楽しかなかったし、これからも音楽しかない。ただそれだけ』

 はーと息を吐き出し、すっと2人を見るために視線を上げた。
「月代さんは」
「ん……?」
「逃げてないです」
 上手く言葉にできないけれど、俊平はそれだけはわかったから、はっきりと言い切った。
 この人たちには逃げたように見えるのか。
 当時の様子を知っているから、そう見えるのか。見えてしまうのか。
 本当に逃げたのなら、音楽を続けようとなんてするだろうか。

『なんで、今なんだよッ!』

 自分が怪我をした時、ずっと渦巻いていた言葉。苦しくて悲しくて悔しくて。ただただ辛かった。
 和斗は当時のことを思い返して、俊平に言った。
『怪我だって、これでやめてもいいんだって思うもんだろ。おれだったらそうする。でも、お前はまだできるって思ってんだよな』
 どんなに回り道をしたとしても、自分がやりきったと納得するまで、絶対に諦めない。
 自分自身のために。そして何よりも、応援してくれた人のために。
 その時過ぎるのは、いつだって、傍で見守ってくれた邑香の笑顔だった。
 俊平はこみ上げてくるものを感じ取って、きゅっと目頭を押さえる。
 少しの間の後、3人の座っているテーブルの傍らに、誰かが立った。見上げると、息を切らせた拓海だった。
 少し遅れて奈緒子が杖の音をさせて、店に入ってくる。
「俊平さん、ごめんなさい。月代さん、戻るって聞かなくて」
 戻ってきたとしても、3人が一緒にいるとは限らなかったし、まだ駅前に留まっている確証もなかったろうに。
「先生」
 拓海がそっとエドワードに声を掛ける。
「いつまで、日本にいますか?」
 エドワードの母国語で話せるだろうに、拓海は敢えて日本語で問いかけたようだった。
 翻訳文を読んでから、エドワードが笑顔で何かを答える。
「秋祭りに誘ったからしばらくいるよ」
 賢吾が補足するように伝える。
 それを受けて拓海が今度はエドワードの母国語で返答した。
 俊平と奈緒子は何と言ったのかわからずに顔を見合わせる。
 賢吾が見かねたのか、そっと訳してくれた。
「あの時届けられなかったものを、きっと届けます」

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