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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」4-9
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連載小説「STAR LIGHT DASH!!」
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第4レース 第8組 星屑チケット
第4レース 第9組 正直者のジレンマ
あれはいつの夕暮れだったろうか。
逢沢先生に強制的に部活休みを言い渡された冬の日だった気がする。
『受験生だぞー』
邑香はそう言いながらも、出掛けないかと俊平が誘うと嬉しそうに笑った。
この子がこんなに可愛く笑うこと。みんなは知らない。
表に出すのが苦手な彼女の、いろんな表情を、みんなは知らない。
独り占めにしたい気持ちと、もっとみんな知ってくれたらいいのにという気持ちが、俊平の中でいつもせめぎ合う。
『で? どこ行くの? 遠くてもいいの?』
『日帰りできる距離なら』
『んー。行ったことないから、夢の国とか』
『え? ないの?』
『ないよー。病弱なめんなー?』
『病弱って』
邑香の言い様が可笑しくて俊平は笑う。自分で言うことじゃない。他人が言うことでもないけれど。
『すげー早起きしないとだ』
『がんばるよー』
『あんまがんばらなくていいよ。無理せずふいんき楽しもうぜ』
楽しげに気合を入れる邑香が可愛くて、ひひひと俊平は笑う。それでも、彼女のことが心配なので、すぐ付け足した。その言葉に対して不服そうに邑香は唇を尖らせる。本当に、この子はこんなに分かりやすいのに、どうしてみんなは分からないのだろう。
『あたしのこと心配するの禁止』
思い返すと、邑香のその言葉を、自分は一度だって守ってあげられていなかったのかもしれない。
:::::::::::::::::::
しーな【一昨日はありがとう】
しゅんぺ【連絡くれるの久々だ】
しゅんぺ【あの時は】
しゅんぺ【ちょうど通りがかってよかった】
しゅんぺ【なんともなくてよかったよ】
しゅんぺ【(うるうるした柴犬のスタンプ)】
しーな【また送信と改行間違えてる】
しゅんぺ【(うるうるした柴犬のスタンプ)】
しーな【(ほくそ笑む猫のスタンプ)】
しーな【ねぇ、シュン。来週の水曜、空いてる?】
「ねぇ、母さん。これ、変じゃない?」
「最近の子の流行りはお母さんには分かりませーん」
洗面所から顔を出して、通りがかった母に見てもらったが、母は素っ気なくそう言って台所に入っていってしまった。
別に流行りではなく、変じゃないかを尋ねたのだけれど。つまりは似合っていないということだろう。
「いつもどおりでいっか」
試行を繰り返しすぎてよく分からなくなったので、俊平はワックスでベタベタの髪を無理やりいつもどおりに戻し、水道で手を洗う。
突然彼女から送られてきたメッセージにできるだけいつもどおりを装って返した。
彼女とのメッセージのやり取りは3月の自分が怪我をした日で終わっていた。約5カ月ぶりになる。
自分が”あの日”何をしたのか話さないと先に進めない。今日それを話せなかったら、終わる気がする。
お気に入りのネイビーのTシャツ。お気に入りの空色の袖なしパーカー。お気に入りの柄入りハーフパンツ。お気に入りのスニーカー。
忘れ物があったことを思い出して、部屋に一度戻る。
「……お前も来るよな?」
1年以上つけて、くたびれてしまった夢の国のキーホルダーを机の小箱から取り出して、ボディバッグのファスナーにつけた。
部屋の時計を見ると、待ち合わせの時間が近づいていた。
「やべ」
慌てて階段を下り、もう一度忘れ物がないことを確認して、スニーカーを履く。
「こんにちわー。母がお中元持ってけって……あれ? しゅんぺー、出掛けんの?」
仲の良い家を回らされているのか、余所行きの恰好をして、大きな紙袋を持った和斗が玄関を開けて顔を見せた。
「ああ。別に気にしないでゆっくりしてけよ。母さん、カズ!」
「あらー、カズちゃんいらっしゃいー」
――先程と声のトーンが違うようですが?
内心思いつつ、道を空けてくれた和斗の脇をすり抜ける。
「今、ちょうど甲子園やってますよね。その試合見てから続き行こうかな」
案の定上がって行けと言われたらしき和斗がそう答えたのだけが耳に残った。
待ち合わせは駅前広場。誘われたのは、どうやら奈緒子が言っていた拓海主催のライブらしかった。彼女がなぜそのライブのチケットを持っているのかは分からなかったが、家が商店街にある青果店なのもあり、顔も広い。誰かから譲られたものだろうか。
お金がないと恰好がつかないので、念のため、財布の中身を確認し、バッグに入れ直した。
スマートフォンの時計を気にしつつ、駅前広場までの道を歩く。てっぺんを通り過ぎた太陽はまだジリジリとした熱さを放っていて、すぐに汗が出た。到着した駅前広場。見回すが、まだ彼女は来ていない。バッグから汗拭きシートを取り出して、吹き出してきた汗を拭う。メンソールの刺激で多少涼しくなった。
「シュン、ごめん。早いね」
キョロキョロしていると後ろから彼女の声がした。
首だけ振り返ると、日傘のドット柄が視界に入ってくる。
「どっちも予定より早く着いてるし、謝らなくていいでしょー」
笑ってそう返し、きちんと彼女のほうを向く。瑚花のコーディネートなのか、いつもよりも大人びた綺麗めのシャツとフレアスカート姿だった。姉馬鹿(失礼)だけに、妹に似合うものをよく心得ている。
日陰に入ると、彼女は日傘を閉じて、バッグにしまった。
「そのカッコ、可愛いね」
いつもどおり、と言い聞かせる。
「お世辞はいいよ」
つれない返し。それもいつものことだ。
「向いてないのに、お姉ちゃんが着てけってうるさいから」
「似合ってると思うけどな」
取り付く島もないが、気にせずに言い加えて、首筋を親指で掻く。照れくさいのか視線を伏せ、横髪を耳に掛け直す彼女。
「そういえば、シュンが知ってる人の演奏会だなんて思わなかった」
「たまたまだよ。チケットいくら?」
「貰い物だから、それは気にしなくていいよ」
「そう。時間は大丈夫?」
「行き方は調べてきたし、少し早めの待ち合わせにしたから」
「そっか」
普段バスも電車も乗らないので、2人は券売機に向かう。
何か話したほうがいいだろうかと思うものの、話題が上手く出てこない。
切符を買って、2人は改札を通った。彼女が2番線を指差すので、それに従う。
「ちょっと早いからのんびりしてよ」
階段を上り終えると、彼女が穏やかにそう言い、空いているベンチに腰かけた。俊平も倣うように座る。
ホームから見上げる青空は清々しいほど青かった。ぬるい空気の中、吹き抜けていく風だけが心地いい。
聞くなら今じゃないだろうか。俊平は覚悟を決めて彼女に視線を向ける。が、それよりも早く、彼女が口を開いた。
「この前、あたしに付き添ってくれていた先輩、なんていうの?」
意外な問いに驚いて、俊平は一瞬息を止める。
「水谷さんだよ」
「みずたに先輩」
「珍しいね」
「何が?」
「ユウが他人に興味を示すなんて」
「……いい人だと思ったから」
ぽつりと言い、暑さを振り払うようにふるふると首を振る邑香。
「何組?」
「オレと同じクラス」
「そっか。あとでお礼言いに行かないと」
名前をインプットするように何度か口ずさみ、彼女はそっと目を閉じた。
どこかでセミが鳴いている声がする。
何を話すでもなく、ただこうして同じ音を聞いて、同じ景色を見ていられれば、それで良い。
彼女の歩幅、彼女のペースで歩いて、それを自分はぼんやりとただ眺めている。そんな時間が好きだった。
分からないかもしれないけど、分かりたかった。だから、彼女の見ているもの、聞いているものを気付くといつも追っていた。
自分に新しい世界を与えてくれたのは、彼女だ。だから、きちんと話さないといけない。
すっと短く息を吸い込んで、口を開こうとした瞬間、また彼女と話し始めようとするタイミングが被った。俊平は察して、言葉を飲み込む。
「膝の経過って、どうなの?」
「んー。順調だよ。今は6、7割の力で走るようにしてる。夏休みで集中的にトレーニングできてるし、来月中には競技復帰できるんじゃないかな」
「そっか」
「……まぁ、積み上げてきたものが高かったから、そこまで戻るのは根気が要ると思うけどさ」
「短気は損気だよ」
「……おぅ」
彼女の穏やかな声が心地よくて、俊平は笑顔でそう返す。今なら訊けるだろうか。鼻の頭を手の甲でこすってから吐き出すように声を出した。
「あのさ」
「ん?」
「すごいダメな質問だと思うけど」
「なに?」
「オレ、退院した日からしばらくの間の記憶がはっきりしてなくて」
「色々あったから仕方ないよ」
「……お前の気に障るようなこと、したのかな?」
絞り出すように問い、下唇を噛んで地面を見つめる。
彼女の沈黙は長かった。すーと深く息を吸い込む音が隣でする。
「してないよ」
それはさすがに嘘だ。
「シュンは何もしてないよ」
言い聞かせるように、強い語調で彼女は言う。
「何の相談もなく、陸上部辞めちゃったのが寂しかっただけだよ」
「それもあると思うけど、それだけじゃねーだろ。だって、オレが辞めるって言う前から、様子おかしかったじゃん」
「シュンは、なんでもわかっちゃうよね」
「わかんねーよ。わかんねーから、聞かなきゃって」
断片的な記憶の中で、邑香がずっと自分の頭を撫でていてくれたことだけは思い出せる。それ以上は思い出せない。起きたらもう彼女はいなくて、夢だったのかと思った。けれど、1階に降りると、夕飯の支度をしていた母から、『邑香ちゃんとは茶の間で話しなさいって言ったでしょ』と叱られたのだ。あの時の心地の良い夢は夢ではなかった。部屋に戻った時に仄かに香った彼女の残り香が妙にリアルだった。
軽く走ろうとしてみんなの前で転んだ後から自宅にどうやって帰ったか思い出せない。
どうして、あの時、彼女が部屋にいたのか思い出せない。
彼女と何を話したのか思い出せない。
「……絶対、オレがなんかしたじゃん。してないわけないじゃん。頼むから本当のこと話してくれよ」
「あたしはキミには嘘つかないよ」
「…………」
「もう一度言うけど、シュンは何もしてないよ」
彼女は真っ直ぐこちらを見てそう言い、頬を滑り落ちてくる汗をハンカチで拭った。
「暑いね」
ぽつりと。それだけ。
彼女はこの会話を求めていない。それをまざまざと肌で感じてしまう。それ以上は俊平からは何も言えなくなってしまった。
邑香が空を見上げて、長い睫毛を揺らめかせる。そして、切り替えるように笑った。
「もう、過ぎたことだし。今日は楽しもうよ」
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