多様性
近年よく聞かれるようになった言葉だ。
便利な言葉だと思う。所属や生い立ちが違う人間のことも、規範から外れる人のことも、「多様性」という言葉で説明できてしまうから。
一方で、この言葉に違和感を覚えることもまああった。
私の通う学部は学際系であり、同じ学部を名乗っても一人一人興味あるテーマ・研究しているテーマは異なる。また、入試形態も一般入試、AO入試、5校ある附属高校からの内部進学、外国人・帰国生入試もあり、更に、留学生に対応するべく従来の4月入学だけでなく9月入学もある。まあ字で並べるだけでも多様性があるし、その多様性は自分自身の肌で感じている。
問題は、この多様性を100%多様性と言い切れるかどうか。私は違和感を払拭しきれなかった。
しかし、私が「多様性」に対する違和感を見事に言語化してくれるネット記事を最近見つけた。しかし、記事のタイトルを覚えていないのでいつかその記事を再発見したらここに貼ろうと思う。
要は、個人的な解釈も入るけど、みんなの言う多様性って、ある程度の画一性の上にあるものを言っていることが少なくないんだと。
そして、特に周りが言う多様性って、いや、自分がそう捉えていただけかもしれないが、キラキラしたものばかりだと思った。
でも、本当の多様性って、光が当たる部分だけでなく、ずっと抱える痛みとか、世間の理解を超越したものとか、画一性の下にあるそういう影の部分も全部ひっくるめて多様性と言えるんじゃないかと。
追記:wikipediaでは多様性のことを『性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。』と記述していた。まあこれをどの程度信頼していいかわからないけど、そうとなるとまた違う考え方が生まれるな。