魔法でも引き寄せでもない幸せ
毎年、自分への誕生日プレゼントだけは、ちょっぴり贅沢することにしている。年に一度くらい、いいよね。
今年は、ここ数年の中で、もっとも高額なものを購入した。
アクセサリーというか、お守りのようなものなのだけど、この記事では画像は掲載しないことにする。(理由は後述します。)
アクセサリーとお守りのコラボ(?)といえば、学生時代、私が心酔していた雑誌「マイバースデイ」の全員プレゼントを思い出す。愛と占いの情報誌、と銘打っていたその雑誌の全員プレゼントは、魔法や不思議が大好きな私の心を鷲掴みした。
TRAPSペンダントから始まって、とにかく購読中の全プレは、ほとんど申し込んだはずである。切手で申し込むシステムだったので、おこづかいが足らない場合などは、余っている年賀状を持ち出して(ときには、今から書こうと母親が準備していた年賀状にも手をつけてみたり。苦笑)郵便局で手数料を払って、切手に交換してもらったりしたのも、今となっては懐かしい思い出かも。お母様、どうぞお許しを。
アル中の父親に使用済みの生理ナプキンを開かれたり、タンスのひきだしの中の下着をチェックされたりするような思春期が辛すぎたせいか、その全プレアクセサリーに対しては、やや依存が強かったかもしれない。
だけど、たちまちに幸せになるようなことはなかったけれども、希死念慮のかたまりだった私の心を、とりあえず「生きる」ほうに向けてくれたことには、感謝してもしきれないな、と、今でも本当に感謝し続けている。
ちなみに、今回購入したその、お守りのようなアクセサリーのようなペンダントを着用してから、なかなか面白い出来事が続いている。
ペンダント着用初日は、いきなり家中を片付けたくなった。もともとあまりものを所有していないので、片付けても何がどうなるってわけでもなかろうに・・・と思っていたのに、いくつかの不用品が発掘された。
そういえば、近所のリサイクルショップからお誕生月特典ハガキが届いていたっけ。今月売ったら、査定額に20パーセント上乗せしてくれるって。
早速売りに行ったら、思ってたよりも高額で引き取っていただけた。ありがたや。
片付けている中で、小物入れとして使用している貝殻(近所の海岸で拾ったもの)がいくつか不要になったので、海へお返しに行った。その帰り道、いつもと違うルートを歩いていたら、貴金属のリサイクルショップに出会った。
実は最近、とにかくしめつけられることが苦手になっていて、指輪もしんどくなってきたから、処分しようかなと思っていたのだ。近いうちに、査定をしてもらおうかなと思っている。
食生活でも、こんなことがあった。
無性にカレーが食べたくなったときにテレビをつけたら、カレー特集をやっていた。これだけを見て「お、シンクロ?」などとさわぎたてるほど脳みそお花畑ではないつもりだが、気付いたら、カレー味の野菜きのこ煮込みみたいなものを自炊していた。翌朝の排便の質の高さったらもう!(笑)
無性に餃子が食べたくなったときも、偶然に餃子情報をゲットした。その情報はスルーしたものの、結局、干し椎茸(自作!)を大量に刻んで、少量の鶏むねミンチと混ぜたタネを包んだ餃子を自炊。翌朝はもう・・・ご想像におまかせする。ってか、想像したくもないか(笑)。
ビールが飲みたくなったとき、はと麦茶で代用することもできるようになった。麦の仲間だしねー、みたいな(笑)。
いろいろ書きつらねてみたけど、実は今日で、まだ着用3日目なのである。この変化というか効果というか、すごくないか? と我ながら思うのだが、これを単純に「ペンダントの魔法」だとは、お伝えしたくないのだ。
ある種の「引き寄せ」が起きている! とも思っていない。
ただ、私自身の「心の向き」を、よきように整えてくれているのだな、という実感はある。心の向きを整えていただいた上で、片付けたり、売りに行ったり、海に行ったり、ちょっとヘルシーな自炊をしたりするのは、すべて「私が」やることなので。
冒頭で、そのアクセサリーの画像は掲載しない、としたのは、そのアクセサリーさえあれば、こんなに素敵なことが起こりまくるのよ! という誤解を与えないためだ。
もう少しお付き合いが深まったのちに(まだ、3日目のラブラブちゃんだから。笑)画像を掲載するかもしれないけれど、今は、できるだけフラットな心持ちで、自分自身に起こることを見ていたいと思う。
ちなみに、魔法系というかお守り系のアクセサリーって、ぶっちゃけ「アクセサリー」としてはどうなのよ?(笑)というデザインであることも多いのだけど、今も私の胸元にいるこの子は、都会に出かけるときにも自信を持って着用できると思っている。大人には、大切なことなのである。
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