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チェリー先生

 私が中学生だった頃、昭和50年代には、分煙などという言葉は存在していなかった。喫茶店はもちろんのこと、電車の中だろうが職場だろうが、吸う人は当たり前のようにスパスパやっていたものである。職場というのはもちろんバイト先の話なのだが、紙を大量に扱う仕事なのに、作業場は常に副流煙でくすぶりまくっていた。防火管理者は何をやっていたんだろう。

 そんな時代だから、当然のごとく、学校の先生もスパスパやりまくる。学生だから、先生に呼ばれたら行くしかないのだけど、私は職員室が大嫌いだった。生来気管支が弱いので本当に辛かったし、実際咳が止まらなくなって話どころじゃなくなることもしょっちゅうだった。

 中学3年のときの担任の先生が、どの煙草でも私はつらいのだけど、ひときわ臭いというかキツイ副流煙を発する三大害悪煙草(と私が勝手に感じて命名していた。笑)のひとつ「チェリー」という煙草を吸っていた。今は廃番になっている。副流煙がえげつなかったからではないか、と勝手に思っている。ちなみに三大のあとのふたつは「ハイライト」と「エコー」である。どうでもいい情報。

 そんな担任に、高校受験の件で呼び出された。まだ二十代・独身の男性の先生だったのだけど、私が咳き込みまくるのを気遣ってか、チェリーを封印して、別室で面接をしてくれた。

 チェリーを吸っている、ということ以外では、なかなか素敵な先生だったと思う。少なくとも、どんなに私が咳き込もうとも平然と目の前でスパスパやりまくる、ニコチンで脳みそが完全に腐りきったオッサン先生なんかよりはよほど良かった。熱血なところもあって、生徒にも寄り添ってくれていた。だから私は、大嫌いな煙草だけれど、親愛の想いを込めて、心の中では「チェリー先生」と呼んで慕っていた。

「高校受験のことやけどな。」

 チェリー先生が、もともと細い目をさらに細めて切り出した。

「なんで、併願なん?」

 ああ、やっぱりそれか。

 当時、公立高校を受験する際、万一落ちたときのために、公立よりも受験日の早い私学を先に受験して、要するに「すべり止め」をキープしておくという「併願」が主流だったのだ。大学ならまだしも、高校浪人は絶対に避けたい、と、受験する当人よりも親の方が心配していたのであろう。専願(どこか一校しか受験しない)なんて、よほど成績の良い優秀な生徒だけの特権だと思われていた。

「あんなぁ、言わしてもらうけど。」

 チェリー先生は、この話題にはそぐわない笑顔を見せて、こう言った。

「おまえが公立落ちるんやったら、この学校には、公立受かるヤツなんておらんぞ?」

 そうなのだ。自慢ぽくて申し訳ないのだが(笑)私、バリくそ成績良かったんだよね。正直、自分でも「私、専願で良くね?」と思っていたのだ。

「あ、でも、ウチの親が、高校浪人とかさせられないからって・・・」

「だから、おまえが高校浪人とか、絶対にないから!(笑)」

 ウチの親は、私のことをかなりアホだと思っていて(笑)というか、父親の意向で「女は賢くてはいけない」というのがあるので、だからアホの子扱いで、併願のための受験料は出してやる、という流れだった。

 のだが、それをどうやってチェリー先生に伝えたものか。

 なんだかまさに、伝えられない「アホの子」状態で答えに窮する私に、さらにチェリー先生は追い討ちをかけてきた。

「おまえが併願するなんて、受験料をドブに捨てるようなもんや!
 その受験料、オレにくれ!!(爆笑)」

 そこまで言われても、結局、親の意向は変えられなかったのだが「受験料、オレにくれ!」と言って爆笑してくれた先生のことは、おそらく一生忘れない。

 私のことを、ちゃんと認めてくれていた先生だった。

 今思えば、二十代独身男性の先生のことを、たとえ心の中だけだったとはいえ、「チェリー先生」とお呼びしていたのは、実はセクハラだったのではないか、という不安がないわけでもないのだが、きっとあの先生ならこだわらないだろう。むしろ、こう返してくれるはずだ。

「チェリーちゃうわ!!」

 きっと、あの細目で。きっと、あの笑顔で。

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