「コロナを疑われ」

 久しぶりに帰った実家で地元紙を読んだら、こんな川柳が。

「咳一つ夏風邪コロナを疑われ」(個人攻撃が目的ではないので一部変えてありますが、主旨はほぼ同じ)。

 目が点になった。いや、それほんとにコロナかもしれないし、いや、そもそも「疑われ」って罪人じゃないんだし、と瞬時にいろんなつっこみが脳内を駆け巡った。

 作者は自分がコロナではないという前提で書いている。検査したかどうかはわからないが、「まさか、ありえない」という前提で、「いやあ夏風邪引いたらコロナ疑われちゃってさ」という「つぶやき=川柳」に、おかしみ、笑いが生じると信じてる。だから投稿した。無邪気だ。それが「いや、実際に感染する人もいるんだよ」という思いに至っていない。

 東京と、全県で1日の新規感染者が十人台という地方の温度差といえばそれまでだが、その無邪気さが、やはり「感染した人」=「特別な人」「忌むべき人」だという空気に繋がっている気がしてしまう。

 そして、やはりひっかかるのは「疑われ」という言葉。たしかに病気には「疑う」という言葉を使うが、ここで使うこの一言に差別を感じるのは、感染した経験のある私のひがみだろうか。たしかにひがみかもしれないが、やはり素直に受け取れない。私が、考えすぎ、気にしすぎなのだろうか。世間の人はこの川柳をどう受け止めるのか。聞いてみたい。

 実は、作者よりも、この川柳を疑問もなく載せる新聞社に驚き、失望している。子供のころから読んできた新聞社だから、なおさらだった。ただ、もしこの川柳への意見を広く聞きたいと考え、あえて掲載したのだとしたら……ないだろうな。


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