180の言語がある国 軍事訓練で「愛国」は育つか
フィリピンって、本当に言語や文化が豊かな国だなあと思う
マニラ出身の友人と南部ダバオ市へ行ったときのこと。レストランで店員に話しかけられた友人は、目を白黒させてこう言った。「すみません、タガログ語で話してください」。現地のビサヤ語で話していた店員は「あっ、タガログのかたですね」と言うと、すぐタガログ語にきりかえて話し始めた。
ルソン島北部の北イロコス州で知人のお宅にお邪魔したときもそうだ。10人きょうだいで育った知人は、姉や兄らとは現地のイロカノ語で話し、弟と結婚した義理の妹がいる場ではタガログ語で話す。
同じ国の中で違う言語をあやつり、使い分けて暮らしている。理解しにくい方言などはあっても、おおむね、日本語を使う日本とはだいぶ状況が違う。
とても豊かでばらばらの国
日本の外務省のサイトによると、7641の島々からなり日本の8割ほどの国土をもつフィリピンには、180以上の言語があるという。民族はマレー系に中国系、スペイン系、そして少数民族がおり、宗教は人口の8割がカトリック、1割がその他のキリスト教。イスラム教は全体の5%だが、ミンダナオ島では2割以上を占める。
これだけ違った文化や民族的背景をもち、ことなる地理的環境に人びとが暮らす豊かさは、べつの見方をすれば、まとまりにくい「ばらばら感」にもなりうると想像できる。
貧富の格差もあるし、さらに、5月にあった大統領選のように、異なる考え方や歴史観をもった人たちが別々の候補を支持して対立もする。分断されやすい国だとみることもできる。
大統領選で「ユニティー(統合、統一)」をうたい、当選を果たしたボンボン・マルコス氏が支持された背景には、対立することにつかれた人々の思いもありそうだ。フィリピン人として一つにまとまった方が、もっとうまくいくこともあると多くの人が思っている。でもばらばらの人びとをまとめるって、そう簡単なことではない。どうやって統一するのだろう。
さて、選挙結果もおおむね判明した5月半ば、スマホでツイッターをながめていて、「ん?」と思った。ドゥテルテ大統領の次男で、ダバオ副市長のセバスチャン(バステ)・ドゥテルテ氏がつぶやいたという発言が、大量にシェアされていたのだ。
ツイートはこんな内容だった。
兵役義務うたう次期副大統領
「フィリピン大学を閉鎖し、軍事訓練を義務化した『バゴンピリピナス(新しいフィリピン)大学』に変えるっていう請願書に署名するページをだれかつくってくれないかな」
なんですと?
バステの姉は、5月の選挙で歴史的な票数をえて次期副大統領に当選したサラ・ドゥテルテ氏だ。彼女は1月に、「18歳になったフィリピン人すべてが国軍で国に奉仕するようにしたい」と述べ、若者への「兵役」の義務化を主張していた。その弟の口からさっそくこんな言葉が出たということか。
フィリピン大学は国立の大学だが、多くの学生が反ドゥテルテ、反マルコスの姿勢を鮮明にしている。でも最高峰の大学をなきものにするようなコメントは聞き捨てならない。
と、ぷんぷんしていたのだが。
なんとこのツイートはまたも、フェイクだった。
バステは公式フェイスブック上に「バステ副市長のふりをしたSNSのサイトにお気をつけください」というコメントを出した。
フェイクが広がるのは、多くの人が「的を射ている」「ありそうな話」だと感じ、喜んだりかっとなったりするからだ。
兵役・軍事訓練の義務化がフィリピンでリアルになりつつあるそのわけは、要人の言葉からみえてくる。
規律があり、国を愛する新世代
ロレンザーナ国防相は、予算などの課題をあげつつも、サラが提案した18歳以上の兵役義務化を歓迎し、こんな声明を1月に出した。「(義務化の)第一の利点は、人道支援と災害救援の訓練を受けた予備軍ができること。第二に、訓練と規律によってより良い市民が育つこと。第三に、国に奉仕する気持ちが彼らに植えつけられることです」。
そして、新政権で教育相に就くことになったサラは5月13日、公の場でこう話した。「私たちが今必要としているのは、規律があり、国を愛する新世代の若者です」。
つまり彼らは兵役や軍事訓練によって、若者の心に愛国の気持ちと規律が育まれる、と期待しているようだ。
はて、軍事訓練をしたら、国への愛や忠誠心がスッと生まれるものかしら。
私はそう思うのだが、北イロコス州のマリアノ・マルコス州立大学で、20代と30代の教師に話を聞いたとき、4人のうち3人がみずからこの話をし、期待していると語るのを耳にした。
そのひとり、ジャビー・ソリアノさん(25)が兵役・軍事訓練の義務化を支持するのは、高校生の時に必修だった一般市民軍事訓練(CAT)に参加した記憶があるからだ。「チームで弾丸なしのライフルをかまえる練習などをし、仲間と協力することやモラルを学んだんです。まさにユニティー(統一)のためになる。フィリピンは様々な国に占領されたこともあり、まとまりにくく様々な背景をもつ人が暮らしている。分断はとても有害です」
なるほど、軍事訓練から新しいことを学びとったと感じている、彼女のような人たちもいるのか。
フィリピンでは、大学生に予備役将校訓練課程(ROTC)を義務化していた時期があった。2002年に義務化が撤廃されたのは、訓練を受けていた聖トマス大の学生が、訓練の内容や費用をめぐる不正を告発した後、殺害された事件がきっかけだったという。軍事訓練までが不正の温床になり、学生をまきこむ悲しい事件につながった過去があるのだ。
私の知人の場合、当時「お金を払えば訓練に参加しなくてもよくなる」という詐欺にひっかかってしまい、お金を失ったうえ、家族の大学卒業が認められなくなるトラブルがあったと聞く。今後、訓練を避けたいひとたちの間で、同じようなことが起きなければいいが。
愛って自分にしかわからないのにね
他の国をみると、たとえばロシアには、広大な敷地に戦車や戦闘機、兵器を並べた「愛国者公園」があるそうだ。子どもや若者の「愛国心や祖国への敬意を育む」ことがねらいで、欧米メディアなどではミリタリー・ディズニーランドと呼ばれる、と同僚が書いていた(下に記事リンク)。強大な軍事力のイメージが気持ちを高揚させる面もあるのだろうか。ロシアでは愛国教育も盛んと聞く。
日本では、映画「教育と愛国」が話題になっている。安倍晋三政権のもと、愛国心が教育基本法にもりこまれ、教科書には「政府の統一的見解」にもとづいた記述が求められるようになった。
さて、そうした教育を受けた後、若い人たちの間で「国を愛する」気持ちは高まったのだろうか。そもそも、愛するという感情を、だれかに「こういうのが正しい国への愛です」「こういうのは違います」と言われるのも、ばからしい。どんな国を「美しい」と思うかは、自分にしかわからないのに。
そこに住む、より多くの人が、国のありようを誇りに思い、好きだなと思えるようになれば一番いい。その実現のために本腰を入れるべきは、愛国教育や軍事訓練とは、また別のもののような気がしてならないのだけれど。